行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

佐渡味紀行(その16)、わざわざ行きたい話題の店

2022年06月28日 | 食(グルメ・地酒・名物)
さて、仙台に長居をしてしまったが、話を佐渡に戻すことにする。そう、佐渡の美味しものを紹介するのを置き去りにしていた。今回も3軒。その後に別に紹介したい店があるので、お楽しみに!



はい、お待ちどうさま!佐渡の老舗旅館「伊藤屋」が経営する「レストランこさど」の紹介。真野新町の交差点にある伊藤屋から少し路地を入ったところにある佐渡牛ステーキやカニクリームコロッケ、ドリア、カレーなどが評判の洋食の名店。今回は平日だったこともあり、遅くなると次の日の孫の保育園にも影響するというのでテイクアウトで。コロナ禍ではあるものの、ちゃんと佐渡のテイクアウトできる店に名を連ねており、さっそくハンバーグ弁当を注文する。
佐渡牛は少しお高いが、ハンバーグは手ごろ(1,178円)。焼きたてですが、肉がズシリとしっかり詰まっている感じがするし、やはりソースが老舗の濃厚なお味。お手頃化価格だったことから、こちらも噂の自家製ケーキを追加。テイクアウトで名店の味を楽しむことができた。



こちらの店も「わざわざ行きたい」と言われている蕎麦屋「茂左衛門(もぜむ)」である。写真でお分かりのとおり、民家を改装、小さな旗印に「そば」と書いてあるだけの外観から、実は見過ごして通り過ぎてしまった。それも二回も。
基本そばコース(昼は単品もあり)だが、実はこの店は完全予約制。提供されるのは十割そばの「ぶっかけ」か「もりそば」。佐渡にはぶっかけのそば文化がありそうなのでそちらをチョイス。あご出汁が利いたタレというのも佐渡の食文化を感じさせるこだわりの店なのだ。
店主は若いUターン組。佐渡のそば文化を人から教わったことをきっかけに、佐渡に奥さんと子どもを連れ帰って2014年にオープンさせた。新穂田野沢の能動沿いにあるが、行く場合には予約とナビ設定を忘れずに!



和食の店となると島内で数多いが、何気なく探していたところ「神楽(かぐら)」の評価が上がっているという情報を得て、畑野地区の宮川にある店を訪れる。シンプルな店構えの入り口から店に入ると、奥では宴会?まあ、コロナ禍で静かな食事会は、こちらもちょっとテンションが下がる。
ただ、ホールを任されている奥さんは腰が低く丁寧。大将(旦那さん)は厨房で手際よく調理をする。なんと、中学生らしき体操着を来た娘さんもお手伝いで動き回る。厨房がガラス張りなので、注文してからの時間はそちらをちらちら見ながら待つことになる。
私は、地元のお刺身と地元の野菜の天ぷらが付く御膳を注文。丁寧に調理されていることがうかがえ味も料亭並みで急にテンションが上がる。食事メニューは決して多くはないが、うどんやそば、酒のつまみになりそうな一品料理もある。シンプルで丁寧、お勧めします。
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アクアイグニス仙台、超積極的な復興事業にあっぱれ!

2022年06月25日 | 旅行記・まち歩き


今週、つい先日も仙台に行って2週間で4回目。前回ご紹介した米坂線を使ってはいいた三回目に訪れた場所、「アクアイグニス仙台」を紹介しておきたい。
仙台東部の沿岸は、ご承知のとおり3.11東日本大震災で津波の被害が甚大だった場所。実は、防災のため住民に集団移転を促し、市が買い取った土地(集団移転跡地)を魅力的な場所にすることを目的に安く貸し出そうとする復興のための制度があった。
何とかこの地を再生させたいとの思いを抱いたのが、地元で建設業を営む深松組の深松努氏。震災前に、すぐ近くの海岸で防波堤の工事も行っていた会社の社長が、地域建設業のネットワークを活かして既に三重県で実績のある「アクアイグニス」の誘致・建設に踏み切ったものだ。



さて、アクアイグニスとは?アクアイグニス(三重の公式ホームページから)は、「訪れる人々の心を癒す、食と人が交わる極上の休日空間」とある。仙台は全国で5番目のアクアイグニスとなるが、そのコンセプトは同じである。
「癒し」と「食」をテーマにした、複合温泉リゾート施設。温泉を使用した温浴施設を中心に、地元の食材を生かした和洋食のレストランなどが入る。温泉は地下1,000メートルから汲み上げ、休憩所はライブラリーカフェ。高級感漂うリラクゼーションもある。
食事は、全国から有名シェフを招集し、和食・笠庵(笠原将弘シェフ)、イタリアン・グリーチネ(日高良実シェフ)、スィーツ・コンフィチュール アッシュ&ル ショコラ ドゥ アッシュ(辻口博啓シェフ)と各店が別棟で並ぶ。ベーカリーやコーヒーショップ、マルシェなどもある。



このアクアイグニス仙台は、深松組・アクアイグニス、福田商会の三社が合同で出資し、運営会社の「仙台reborn株式会社」を設立。震災の被害が甚大だったこの地に、復興のシンボルとして作るという強い意志のものと建設に至った経緯がある。
「地域への思いと愛着を新しい形で表現し、愛される事業になれば」と深松社長は現地を案内しながら説明してくれた。SDGsの達成や、熱交換やその効率を求めてエネルギー問題にも挑み、地域の環境課題解決や地域雇用の創出にも力を入れているという。
正に、この事業全体をとおして、持続可能な地域の未来を創造する場所になることを目指している。総工費36億円。地銀や商工中金のシンジケートローン、他の融資もあったというが、国・県から3億3500万円の補助金を調達できたことも大きい。この資金の捻出についても、多くの方々の復興への思いも感じさせる。



しかしながら、予期せぬコロナの襲撃は津波と同じく甚大で、地域社会ばかりでなく日本経済をも飲み込んでいる。そこに世界情勢の不安定も取りざたされて、円安や物価高などの不安材料を抱える中の船出になったアクアイグニス仙台。
それでも、「復興を支えてくれた方への感謝」、「賑わいの創出」、「地域との連携」、「未来への新たな姿を発信」、「自然エネルギーの活用」と、今後の展開にはまだまだやることがたくさんあるのだとか。
これまでも、復興支援ということで度々東北各地を訪れてきたが、アクアイグニス仙台のその後を確認しながら、各地の応援をしていきたいとの思いを強くした次第である。超積極的な復興事業に、あっぱれ!

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新幹線より早い?最強のローカル線・米坂線で仙台出張

2022年06月23日 | 鉄道


ブログの話題が佐渡に行って、そろそろ恒例の美味しいものを紹介するパターンであるが、先週から仙台に行く機会が多くなり(2週間で4回)、その中の一度は米坂線で向かう機会があった。出張で米坂線研究会はラッキー?佐渡は少しだけ置いておいて、仙台への経路を紹介する。
本来、新潟本社から仙台にということになればクルマを使うし、出張の内容によるが日帰り圏内でもある。ただ、今回は夕方の食事会付きで、翌日は東京での会議ということもあり、午後、仙台に着けるように電車での経路を模索していた。
当然ながら、上越新幹線で大宮乗り換え、東北新幹線乗り継いで仙台へというのはビジネスでは当たり前。ただ、地図をご覧いただくと分かるとおり、この経路は東京方面へ南下してから再び北上、当然距離が長くなる。ということは運賃も高くなるということになる。



地元の駅から新潟へ、そして上記の経路で新幹線を乗り継ぐと、19,850円(新幹線指定席・閑散期)。仙台片道の運賃・料金は、東京との往復にも相当する。
更に所要時間を調べてみると、3時間21分。これは上越新幹線内(新潟~大宮)、東北新幹線内(大宮~仙台)とも全く停車駅のない最速タイプのもの。実際のダイヤを見ても乗り換え時間にロスがなく、最強の行程であることは違いない!と確信したのだがー。
念のために、米坂線経由も調べてみる。米沢での乗り継ぎはいいものの、山形からの仙山線に少しだけ待ち時間があり、所要時間は4時間53分。まあ、そんなものだろう、新幹線にはかなわないなと思いつつ、念のため山形新幹線・福島経由も調べてみた。



すると、米沢で待ち時間7分で「つばさ」に乗り換え、福島では何と3分待ち合わせで「やまびこ」に接続。(というか、すでにつばさが福島に到着する際には、やまびこが向かい側のホームに入線・停車中である。)もしかして、これ最強になるのでは?
時間的には、3時間14分。新幹線の最強乗り継ぎパターンより7分短い。そして料金・運賃は6,700円也!(山形新幹線特定特急料金、東北新幹線自由席)新幹線利用の約三分の一。米坂線内は運行列車の本数が限られるため、その他の代替になる選択肢はないのだが、朝9時過ぎに出て昼過ぎには仙台に着くこの経路・パターンは絶対に使える!
存亡の危機にもある各地のローカル線だが、新幹線よりも早い!安い!そして何よりも今回写真で紹介しているような川と絡み合い、新緑の山々や木々の美しい景色が楽しめる米坂線の旅。米坂線尾勝利に、アクション映画の逆転劇を見るかのようにスカッとした気分になった。

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佐渡で県土木部が管理する3つのダムへ

2022年06月20日 | 土木構造物・土木遺産
これまでにも佐渡のダムはここでも紹介してきた。アースダムでは県内最大級の佐和田ダムや堤体が美しいロックフィル式の小倉ダム、最近では島民に親しまれている新穂ダムなどなど。
しかし、これらはいずれも島特有の農業用水不足を解消するため、かんがい目的に設置されたダムで、農政局の事業により設置。県でも農地部や島内の土地改良区が管理するもだった。
今回は、新潟県土木部(佐渡地域振興局地域整備部)が管理するダム。佐渡には金北山(きんぽくさん)など標高1,000メートル級の山が存在する。しっかりと洪水調整や治水のためのダムも必要である。



「新保川ダム」は、国府川水系新保川に設置された重力式コンクリートダム。1973年竣工だが、その後かさ上げ工事を実施していて、現在は堤高38メートル、堤頂長254メートル(ダム便覧から)。
大佐渡山脈を越える観光路線「大佐渡スカイライン」のすぐそばにあって、観光に訪れた人も一息つく場所にある。実際私もスカイラインから佐渡金山にの途中で見学(昨年秋の写真)。
前述の金北山を水源とする新保川、治水にも重要な役目を果たしているが、二度目のかさ上げが計画されており、洪水調整とかんがい用水の役目のほか、上水道用の役目も担うことになる。夏場、佐渡の水不足は今も深刻な問題なのだ。



やはり国府川の支流であるが、小佐渡側にあるのが「大野川ダム」。重力式コンクリートで、堤高47メートル、堤頂長183メートル、1978年完成。
今回紹介する3つのダムの中で、堤体を容易に正面から見れるのはこの大野川ダムだけ。3つのダムを管理する地域整備部の管理事務所がここに置かれている。ダムカードもここで配布。
正面から見ているとわからなかったが、ダムの提体が途中で曲がっている。取付部の地盤の関係だろうが、ダム事務所から出てきた人に聞いたが「分からない」と言われた。私でも分かるのに?



3つのダムで一番新しいダムが「久知川ダム」。1985年10月竣工。堤高51メートル、堤頂長131メートル。この久知川だけが両津湾に注ぐ。両津湾に注ぐ川のダムとしては最大規模ということになる。
両津港からもそれほど時間もかからず、集落からもそんなに遠くないのだが、やけに秘境にある感を醸し出す場所にひっそりとたたずんでいる。
3つのダムの中で唯一管理用エレベーターが設置されているほか、天端からは加茂湖が望める。いろいろな意味で、非日常を感じることのできるダムである。
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客足が戻ってきた、観光の島・佐渡へ

2022年06月18日 | 旅行記・まち歩き


さて、話は佐渡に飛ぶことになる。今回の佐渡は孫の運動会が金曜日であるため、木曜日の午後から佐渡に渡り、土曜日に戻るという行程。妻は仕事の関係もあって、一人で佐渡に渡ることになる。
16:00発のフェリーを予約していたが、その20分後に出るジェットフォイルだと一時間以上早く着くことができるので急遽変更。どうやら、木曜日・金曜日だけの臨時のジェットフォイルようだが、なぜこんな時間に?しかも週末の平日だけ?
そう、佐渡への修学旅行やツアーが再開されていて、そのため週末に臨時便が出ているようだ。もっとも、私の乗るジェットは夕方便、その入れ替えに佐渡から新潟に向かう便がメインのようで、それほど混雑は感じなかったが、着実に客足は戻っているようだ。

実際土曜日の午後佐渡から帰る便ときには、ツアー客を迎える観光バスのガイドがツアー名が書いていあるカードを掲げていたし、上の写真は、私が搭乗した帰りのジェットフォイル1階席の様子。まあまあの入りなのだが、2階席は修学旅行とツアー客で満席状態。
アフターコロナということもあるが、佐渡では「トビシマカンゾウ」はこの時期が見ごろ。佐渡のトップシーズンは5月末から6月中旬というところがある。まあ、これまで打撃を受けてきた観光の島だけに、頑張ってほしいところだ。
ジェットフォイルの座席に冊子が置いてある。こんなのあったっけ?東北や北関東の観光地を紹介する中に佐渡の記事も。冊子の名前は「みちのり」。おー、あまり目立たないアピールではあるが、佐渡汽船を傘下に入れた「みちのりホールディングス」のものかー。こちらも頑張ってほしい。

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井上尚弥、三団体統一・三階級制覇は電光石火

2022年06月15日 | スポーツ・スポーツ観戦


井上尚弥、強かった!まさに電光石火の勢いと攻撃。三団体統一戦となったノニト・ドネア(フィリピン・WBC世界バンタム級王者)と因縁の対戦は、井上の圧勝となり、井上は日本人としては初めて3本のベルト(WBA・IBF、そして今回獲得のWBC)を手にした。
試合は、第一ラウンド後半、井上の放ったカウンターがドネアのテンプル(頭)にヒット。この一発がモノをいって、2ラウンドも攻勢を保ち左フックで仕留める。あっという間でもあったが、すっきりした勝ち方にファンは安堵したに違いない、もちろん自分も。
これでバンタム級の残る1タイトルを目指し、4団体統一戦に臨むのか、はたまた階級をスーパーバンタム級に上げて4階級制覇に挑むのか?そして、どこまで行くのか?何より次の試合が今から楽しみになってくる。



ノニト・ドネアとは、2019年の11月にWBAスーパー(ドネア)とIBF(井上)の王座統一戦に臨んだ井上。判定3-0で勝ったものの、井上は目の上をカットし、鼻血を出すなど、見方によれば危うい勝ち方。ドネア自身も井上との再戦を期して、WBCのタイトルを獲得してこの試合に臨んだ。
ドネアはフィリピンの期待の星。フィリピンと言えばマニー・パッキャオがいるが、すでに最盛期を過ぎたパッキャオの後継として期待を一身に担っていたのがドネアだ。アジアの「至宝」という言葉をフィリピンが継承してきたわけだが、気が付けば井上がその役目を今回引き継いだとも言える。
井上はこの試合で、パウンド・フォー・パウンドランキング(全階級を通じて世界で最も強いボクサー)の1位にランキングされる。世界が認めた強さなのである。



実はこの試合は。Amazon(アマゾン)の「Prime Video」での独占放送。Prime Videoでは、国内のサービス開始以来、最も視聴数を得たということだ。地上波ではライブ放映されていなかった。
この大事な試合を?そういえば、サッカー日本代表のワールドカップ予選もDAZNの独占放送ってのが話題になった。よくこのブログでも紹介するサッカーチャンピオンズリーグやユーロ、テニスの四大大会はWOWOWの独占だ。
スポーツの生中継は、地上波抜きになってきているのか。スピード感やライブ感を求めるのには、CMのない衛星・ネットの有料放送による中継がいいとの声もある。関口宏さん、「試合が早く終わると困る」などと地上波放送側に立った発言していると、置いて行かれちゃいますよ!(写真は:AmazonPrimeVideoから拝借)
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山古志・のどかな村を襲った新潟中越地震において(その3・復旧への英知)

2022年06月12日 | 土木構造物・土木遺産


「あの日、山が崩れ、道が消えた」と表現されている中越地震(2004年10月23日発生)。山深い旧山古志村(=村)は土砂崩れ、地すべり、家屋はじめ構造物の倒壊が発生し、完全に道路が寸断。電気・水道のライフラインも断たれ、全村避難という選択を取らざるを得なかった。
そんな中で、まずは村へ入るための道路がなくては災害復旧はできない。そんな中で、特に被害の大きかった東竹沢地区村と小千谷市を結ぶ国道291号の復旧が大きなカギとなるが、この国道は県管理の補助国道扱いなので、直轄権限代行により長岡国道事務所(国)が復旧工事にあたることになる。
11月11日から緊急復旧工事に着手、雪深い土地であることから12月中に緊急復旧を終了。仮設道路の建設は、崩れ落ちた土砂や山の樹木を使うなどし、正に土木の原点を見るようだったとか。その後、翌年春から除雪作業を伴う本格的な復旧工事が始まり、山古志トンネルや新宇賀神橋の新設を含め、全面開通は2006年(平成18年)9月3日となる。早い!
(写真上:村内虫亀地区から望む山古志の風景と、国道291号の「中山トンネル(魚沼市方向・1998年開通)」)



ただ、村での心配はライフラインの寸断だけではなかった。前々回紹介したとおり、山崩れ土砂崩れで川に流れ込んだ土砂が、川の流れを堰き止める「河道閉塞(かどうへいそく)」による二次被害が下流・上流にも襲い掛かろうとしていたことだ。
すでに堰き止められた水は上流の集落に浸水被害をもたらして、被害を増大させていた。各地でポンプを設置し、下流に排水をするという作業が24時間体制で行われたほか、家屋を撤去させて河道を確保するという試みにより、徐々に溜まった川の水位は下がったという。
ただ、ここでも応急対策を施す必要がある。いつまた大雨や雪解けにより土石流が発生するとも限らないので、こちらも国土交通省北陸地方整備局・湯沢砂防事務所が村内9か所(1か所は県からの受託工事で、地すべり対策工事を含む)で工事を行っている。(村の中心を流れる「芋川」は信濃川水系魚野川の支流で一級河川。)
(写真上:村内東竹沢地区の土砂被害を伝えるパネル(やまこし復興交流館「おらたる」展示)と、河道閉塞による浸水被害が発生した木篭(こごも)地区(木篭・郷見庵展示))



砂防工事でも大事なのは工事用道路の設置。そのほかにも軟弱な地盤を改良したり、大雨による出水対策、そして何よりも豪雪地帯で工事が施工できる期間が限られていることから「スピード(工事期間の短縮)」が要求される。そんな課題の中、ここにも土木の粋(すい)が詰まった工法が用いられている。
「鋼製セル式砂防堰堤」は、円筒型に組み立てられた巨大な鋼製セル中に、玉石や礫(れき)、土砂を詰めたものをいくつか並べて堰堤を組むもの。この詰め物に土砂崩れなどで流出した土砂や現場内から発生する残土を利用するというもので、エコな工法でもある。(写真上:村内竹沢地区で)
また、「コンクリートブロック砂防堰堤」は、ブロックを堰堤の形状に積み上げたもので、地すべり地帯で用いられる工法。とにかくコンクリート製品を積み上げていくということから、早い!(写真上:村内神沢川上流で)

先に触れたように、故・長島忠美氏の村長としての孤独な決断もそうであるが、復旧作業においても、どこにどんな技術を導入するか、何を優先的に取り組むか、考えるのは「人」である。災害対応時には、人の英知が試されているといっても過言ではない。(山古志シリーズ=終わり)
(※前回、前々回の記事(その1、その2)ではカテゴリーを「まち歩き」としたが、今回(その3)は土木技術に関連する内容なので「土木構造物」とした。「土木構造物・土木遺産」の記事のみ、Facebookでリンクを貼り付けています。)




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山古志・のどかな村を襲った新潟中越地震において(その2・村長の決断)

2022年06月11日 | 旅行記・まち歩き


新潟・中越地震、それは2004年(平成16年)10月23日17時57分に発生した。マグニチュード6.8、深さ13キロの直下型地震で、阪神淡路大震災と同じく震度7は、日本での観測史上最大のもの。
先に紹介したとおり、本当にのどかな山あいの里・旧山古志村(=村)でも震度6強を観測し、その地形もあって甚大な被害を被った。
死者5名、国・県道の寸断25か所、135か所で土砂崩壊、全村域で電気の寸断、断水、地すべり329か所、家屋倒壊・半壊570戸、そのほかにも農地の流出・埋没、養鯉業の錦鯉や、闘牛を含めた畜産業も大きな被害を受けたが、なにせライフラインが完全に寸断されたのが大打撃だった。
(写真上・下:山古志支所の隣にある「やまこし復興交流館・おらたる」では、震災の直後から避難、復興などの村や村民の様子が紹介されている。)



そんな中、村内被災状況を自分の足で歩いて確かめ、被災の次の日に一人「全村避難」を決めた人物がいた。当時の村長である長島忠美(ながしま・ただよし)氏である。
長島氏は、49歳で村長選に初当選し、1期目の途中でこの中越地震に遭遇する。全村避難は、若い村長の大決断であるが、誰にも相談しなかったのは他に責任を押し付けたくなかったからだという。
全ての村人が、我が家を離れ、村での生活を捨てる苦渋の措置。自衛隊の輸送ヘリに乗って隣の長岡市に避難し、余震が続く中、不便で不安な避難所での生活が始まるのである。
(写真下:被災時の村長が身に着けていたものを展示、また復興のためのポスターでは自らがモデルを務める。)



長島氏は、被災した村に通い陣頭に立って復興や陳情に走り回る。しかし、夜遅くになると、自分の避難所のテントに戻り、村幹部と打ち合わせをしたり、記録を付けたりしていたという。
各避難所は各地区ごとで分けるように指示しコミュニティを重視した。そこには住民の声を聴くために「頑張れノート」が置かれ、記された村民の不安や苦情に対し、遅く帰ったテントの中で村長自ら返事を書いていたという。
2007年12月31日、全ての村民が避難所(仮設住宅)を去るのを見届けて、最後の一人として長島氏が避難所を後にしたという。とことん村を愛し、村民に寄り添う姿、全村避難の責任を自ら負っていたんでしょうね。(続く)
(※長島忠美=長岡市の合併後、衆議院議員に当選(比例・北陸信越ブロック)、2012年の総選挙では新潟5区で出馬し田中真紀子氏の復活を許さない圧勝、2014年復興副大臣就任、2017年8月66歳の若さで脳卒中で他界。)
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山古志・のどかな村を襲った新潟中越地震において(その1・地震発生)

2022年06月07日 | 旅行記・まち歩き
中山隧道は長岡市山古志地区と魚沼市を結ぶところにあることは紹介したとおり。この山古志という場所(旧山古志村=村)を少し紹介しておきたい。
平成の大合併で、新潟県古志郡山古志村は長岡市に編入されることになった。平成17年(2005年)のこと。一郡一村という珍しい形態であったが、合併前の人口は2,000人を割り込んでいたと思われるので、新潟県では粟島浦村に次いで二番目に小さい村であった。
先に触れたように四方を山で囲まれており、長岡、栃尾、小千谷、魚沼と東西南北の峠道を経なければここへは入れない。加えて、冬は3メートルを超える豪雪地帯。山肌に民家が点在し、平らな土地はほとんどなく、谷に向かって棚田が広がる風景は日本の原風景とも呼ばれるが、居住環境としてはかなり厳しい。



産業は錦鯉の発祥の地ということで養鯉業と牛の角突きや棚田風景を売りにした観光であるが、林業のほかは山菜などを採取して販売するといった細々としているものの、牧歌的な風景とのどかで人情味の熱い人柄・土地柄を求めてやってくる都会人も多くいた。
そんな村を、合併前の2004年10月23日に発生した「新潟中越地震」で村全体が大きく揺れた。そう、上越新幹線が脱線したり、土砂崩れ現場から2歳の男の子が92時間振りにレスキュー隊に救助されたあの大地震である。
震源は長岡市の旧川口町で震度7.村では竹沢地区で震度6強との記録があるが、役場に設置されていた震度計は激しい揺れで壊れてしまったほどだったという。各地で家屋の倒壊、道路の寸断、四方の山々もあちこちで山崩れ、土砂崩れは発生した。



村の中心を流れる芋川でも大規模な山崩れにより、土砂が川をせき止める「河川閉塞」が各所で発生。下流では土石流の危険が、また上流では土砂や川の水が堆積し、二次災害が発生する事態が襲った。(写真上:山古志地区木籠(こごも)のメモリアルパーク、写真下:同じく木籠の「郷見庵」の展示写真)
完全にライフラインが寸断された村では「全村避難」を決めて、隣の長岡市へ移動。震災後に実施された国勢調査では、村の人口は僅か10人。長岡市との合併が決まっていたため、山古志村の閉村式も避難先の長岡市で行われた。
角突きの牛が崩壊した小屋から逃げ出し、自衛隊のヘリで救助されたという話や、長岡市のグランドに避難した方の中には車中で寝泊まりすることによって引き起こされる「エコノミー症候群」がこの地震によるり注目されることになる。(続く)

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住民の勤労奉仕で掘られた「中山隧道」は、土木の原点

2022年06月03日 | 土木構造物・土木遺産


長岡市山古志地区に行って来た。若い時、何十年も前に仕事で行ったことがあったが、久々の訪問。山の中にあるということは承知していたし、震災の被害も大きかった場所。様々見てこようと思っているが、再訪しようと思ったきっかけは「隧道」。まずこちらを紹介したい。
場所は山古志地区でも一番東側、つまり山の中のそのまた山の中、豪雪地帯の中の最も豪雪地帯にある。山古志地区の東竹沢・小松倉集落と魚沼市(旧広神村)水沢地区を結んでいる。たどり着くのにも、ここでいいのかと不安にになるほどの山道を進んでいく。
現在は、国道291号の「中山トンネル」が1998年(平成10年)に完成したが、それまで使用されていた隧道(トンネル)が今回の主役。新トンネルの前後、特に魚沼市方向は道路が整備されており、実はここへのアクセスは魚沼市側の方からのアプローチが容易だ。



この隧道は土木学会選奨土木遺産としては、新潟県内でかの「萬代橋」に次いで二番目に選定されている(2006年・平成18年)。竣工年は昭和24年というからとびぬけて古いというものではない。その価値は、手掘りで国内最長のトンネル(完成当初922メートル)というところにある。
加えて、1933年から始まった工事は、小松倉集落の住民による勤労奉仕により掘られたもの。冬の積雪が4メートルにも及ぶこの地では、買い物や病院に行くのには旧広神村経由で小出に出る必要があった。正に生活のため、命を守るために必要な隧道だったのだ。
戦前戦後の厳しい時代、住民が自らがツルハシを持っての血と汗を流しながら無報酬で実施した工事は、土木の原点を見るというような評価もあって、早い時期の土木遺産に選定されたのである。「掘るまいか、手掘り中山隧道記録」ドキュメンタリー映画も製作された(2003年)。



完成後、崩落などがあって877メートルと少し延長は落としたものの、手掘りでは日本最長。2015年に崩落の危険があるとのことで通行止めとなり史跡として整備されたが、新・中山トンネルが完成するまではれっきとした国道だった。
小松倉集落方向の入り口近くはポケットパークとして整備され、案内板やトイレ・東屋、駐車スペースなどが設けられているほか、トンネル内にもパネルの展示、崩落や水滴が落ちるのを防いで快適に見学できるよう整備されている。
入り口を進む神秘的で、ひんやり。夏は快適だろう。水滴がポチャンと落ちる音も涼し気。一方、魚沼市側は新トンネルの上の目立たない場所にあり、入り口はパイプで塞がれている。中は荒れ放題で、ちょっと不気味。まあ、これもある意味涼し気といっていい。(写真上:魚沼市側の隧道口)



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