奈良、広島、島根、そして大阪という長旅。実は出発点は長岡だったんですよ、連れの上司の関係で。滅多に乗り降りする場所でもないので、ついつい駅弁などを購入。
駅弁はいつも食べたことのないものを選んで食べることにしているが、今回は池田屋の「魚沼コシヒカリ弁当」にする。
実はこの長岡、以前は駅弁や三社がしのぎを削っていたが、現在は池田屋一軒となってしまった。
このことを話題に取り上げるつもりで調べたところ、実は自分のこのブログがヒットしてきた。実は2009年7月3日に取り上げられていたのだ。なんという失態。だが、せっかく写真も撮ってきたので紹介しておく。
この時は「長岡浩養軒」が自社都合でこの年廃業。積極的な営業展開が上手くいかなかったと新聞記事を引用して紹介しているようだが、果たしていかがか?
また、2004年まで頑張った「野本弁当部」は、中越地震で店舗・工場が被災し甚大な被害が出たとして長期休業の上、廃業に至っているとしているが。。
長岡は新潟県内では新潟市に次いで二番目の都市。東京に向かうのが信越本線から上越線に代わり、鉄道の要所としての役割が増大する。そして、1982年の上越新幹線開業に伴い乗換駅・経由駅としても機能し、駅もその役割も大きく変わっていったのは事実である。
このとき、北陸方面に「かがやき」という特急が長岡始発で運行されていた時期(1988年~1997年)あった。485系に全車普通指定席、福井や和倉温泉まで乗り入れる列車もあり、一日6往復の時期も。そのほかに、新潟・金沢間には「北越」が走っていたので、長岡の駅は賑やかだったでしょう。
(写真:は開業当初、上越新幹線に投入された200系新幹線(2013年3月撮影)、「北越」の代替列車として導入された485系快速「くびき野」(2003年9月撮影)。いずれも長岡駅で撮影)
長岡の駅弁屋にとって大きな打撃は、1997年「ほくほく線」の開通にあった。これまで乗換駅・経由駅として機能が失われ、かつ列車本数も激減。「かがやき」の始発駅だったころの輝きは失われていく。
確かに、そんなときに発生した中越地震のダメージは大きいのでしょうけどね!
鉄道の高速化や地域の利便性を高めるための整備が、実際は駅弁業者をいたぶっている?鉄道の歴史を支えてきた地方の名物がなくなるよう何とも悲しい。北陸新幹線開業に伴い同じ境地にある越後湯沢の川岳軒、頑張るんだぞ!
(写真下は、懐かしの長岡弁当の写真で、野本弁当部の「鱩(はたはた)寿し」と長岡浩養軒の「日本海さけかに合戦」。)