卒業後、どうしても行った記憶がない。たぶんキャンパス内や駅周辺は30数年ぶり。仕事の関係とはいえ、母校を訪れる機会をいただいた。
懐かしい?いやいや、あまり景色の変貌ぶりに浦島太郎状態に。記憶が蘇る場所を探すにも探しようがないと言っていい。
まずは駅。小田急線で当時は「大根(おおね)」だったが、今は「東海大学前」。狭いホームも改善され、橋上改札になってた。駅前のロータリーが立派。駅前広場と呼べる場所などなかったからね。
されば、あの裏道の最深部に位置していた急斜面の階段は?いまあの裏道が「東海大学近道商店街」と呼ばれているし、あの階段は「留年坂」と呼ばれるのだそうだ。夏日になったこの日、汗かきながら挑戦と思いきや、工事中で通行止め。何でも、エスカレーターを付けるのだそうだ。へーってな感じで、ちと残念。
まあ、キャンパス内は広々とした印象は変わらないが、樹木が大きくなっている。もう少し敷地を見渡せる感じがした。30年だもんねー。
何れにしても、懐かしいのと、あまりの変わりぶりに、言葉も出ないってな感じがありましたし、卒業時10号館、11号館完成などと言っていたものが、今は19号館建設中。倍だもんね。
また行く機会、果たしてあるんでしょうかねー。
懐かしい?いやいや、あまり景色の変貌ぶりに浦島太郎状態に。記憶が蘇る場所を探すにも探しようがないと言っていい。
まずは駅。小田急線で当時は「大根(おおね)」だったが、今は「東海大学前」。狭いホームも改善され、橋上改札になってた。駅前のロータリーが立派。駅前広場と呼べる場所などなかったからね。
されば、あの裏道の最深部に位置していた急斜面の階段は?いまあの裏道が「東海大学近道商店街」と呼ばれているし、あの階段は「留年坂」と呼ばれるのだそうだ。夏日になったこの日、汗かきながら挑戦と思いきや、工事中で通行止め。何でも、エスカレーターを付けるのだそうだ。へーってな感じで、ちと残念。
まあ、キャンパス内は広々とした印象は変わらないが、樹木が大きくなっている。もう少し敷地を見渡せる感じがした。30年だもんねー。
何れにしても、懐かしいのと、あまりの変わりぶりに、言葉も出ないってな感じがありましたし、卒業時10号館、11号館完成などと言っていたものが、今は19号館建設中。倍だもんね。
また行く機会、果たしてあるんでしょうかねー。