行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

新潟駅新幹線ホームの駅弁屋が撤退

2019年07月25日 | 駅弁
新潟駅の新幹線ホーム13番14番線の駅弁を扱う売店、いつの間にか閉まっていましたね。気が付いたのもかなり前の話なんですが。



ご承知のとおり、再開発が進む新潟駅。工事が始まってからどのくらいになりますかね?
在来線を新幹線ホームに合わせるという工事は、乗り換えの手間や時間を短縮しようとのことで、新幹線ホームの11番線と在来線の5番線を対面化させるという画期的な手法を用いて、昨年の春に供用を開始した。

新潟駅の新幹線ホームというと、11番線12番線と13番線14番線の島型ホーム2面ということになるが、私たちのイメージでは(まあ、日本の鉄道複線の場合、左側通行だから)13番線14番線から始発は発車する頻度が多かったと思うですよね。
それが11番線での平面乗り換えが可能になったことで、そちらの発着が増えたということは確か。特に、我々特急いなほ号を遣う羽越線のウエラーにとっては、その感覚が顕著になっているのではないだろうか?

そういえば、朝早い新幹線のほかは、11番線乗り換えが増え、たまに13番線14番線に立つとちょっと違った感じになる。
客足が11番線12番線に向けば、始発列車を扱っていた13番線14番線では、以前のように弁当は売れませんよね。
といって、11番線のあるホームには駅弁専用の売店はなく、いまでは新たにホーム売店やコンコースの売店で駅弁を扱うようになっていました。お弁当の必要な方は、新幹線ホームに上がる前にお買い求めください。

これもある意味のスピード化や利便性を求めた結果か?少し寂しいような気がしますけどね。
同じ新幹線ホームのそば屋は大丈夫?昨年暮れ、在来線1番線にあったそば屋が閉店したというのがニュースになっていたけど。今度注目してみましょう。いや、一本遅らせても、蕎麦食べますかねー!
(写真下:新潟駅新幹線ホームと、私のお気に入りの幕の内「コシヒカリ弁当」)



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佐渡味紀行7、噂のあの店も紹介

2019年07月20日 | 食(グルメ・地酒・名物)
これも先月のことになるが、久々の佐渡味紀行。なんと先月は三回も佐渡に渡りながら、やっとプライベートで訪れた三回目で味紀行ができた。



真野の市街地を抜けて、真野湾を見ながら国道350号を小木方面に向かうと、海岸端にポツンと一軒家が「長浜荘」。民宿と併設された人気の食事処だ。
あまり愛想のある玄関とはいえないものの、店に入ると中は意外に広く、窓から真野湾を一望するロケーション抜群の店だ。夕日なんかも楽しめそうだなー。
名物は、器から落ちそうなくらい刺身てんこ盛りの海鮮丼。佐渡の海鮮丼は多くの店で取り扱っているし、これからも色々と紹介していきたいと思うのだが、この海鮮丼の右に出るものがあるものだろうか?
この日だけだと残念に思いたいことは酢飯が少しベタベタとだまになっていたこと。それでもこれは要チェックの海鮮丼だし、再チャレンジしてみます。



長浜荘の帰りに、真野の街中で立ち寄った「わたぼうし」というお菓子屋さん。佐渡人の娘がいなかったら、見過ごしそうな店構えだが、写真ののぼりが数本立っているので何とか見つけることができた。
路上駐車のため私は店の中に入らなかったが、おまんじゅうなどを扱って地元では人気らしい。
名物はパンダ焼き。1個80円。人形焼みたいな感じですかねー、ちょっと食感も味も違うような気がするのですが。
あんことクリームの二種類があるんですが、私は当然あんこ派だけど、娘はクリームが美味しんだって。まあ、大盛りの海鮮丼食べてからも食べれる大きさですので試してみてください。



さて、今回のしんがりは焼き鳥「やじま」。この店はもう何回も行っています。地元から佐渡赴任した学校の先生を飲みに誘い出したら連れて行ってくれた店。もう10年近く前?それ以来お気に入りの店。
美味しいのはもちろんなんですが、お店の雰囲気、店員さんの対応、客層もいい!まあ、佐渡人はいい人ばかりですけどね。
また、メニューが豊富なんですわ。焼き鳥だけでなく、魚や揚げ物、定食、丼など、どれも美味しんです。これは噂の佐渡の名店と言わせていただきましょう。とにかく一押しですよ!
そんな店で、妻が釜めしを注文する。これまた見栄えのいいというか、上品な感じの釜めし。味?食ってないからなー。でも絶対美味いよ。(写真(下)をほかより特別に一枚多くして紹介します。)


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震災後8年、再び女川を訪れてみて

2019年07月14日 | 旅行記・まち歩き
「東北支援の旅」としての書き込みも久々。
といっても、仕事で何回か東北は訪れているので、もう何回目かという書き込みもできないほど。このところ、前に紹介したように仙台にある東北支店に何回もお邪魔する機会も増えているので。

先月のことだが、たまたま金曜日に仕事で仙台に泊まることになって、翌日が休みであることから、震災以来まだ足を運んでいない地域として女川を訪ねることを思い立った。
電車乗りでは、以前に一度行ったことがあったのだが、震災後は初めて。



駅はきれいで立派な駅舎に建て替わっていて、温泉施設が併設されていました。
女川湾の一番奥に位置する市街地とJR石巻線の女川駅。ここまで津波の影響を受けたことはニュースでも大々的に報じられ、停車中の気動車が津波に巻き込まれた。
5年の月日をかけて復旧。超赤字路線だっただけに、もしかすると廃止?そんなも危機もささやかれた場所。石巻から途中までの運転再開が早かったから、やっぱり女川まで復旧させないとという住民の熱意が伝わった形か?



テレになどでも紹介される駅前の再開発も目覚ましい。
「シーパルピア」と呼ばれるエリアには、グルメやショッピングを楽しめるエリアがあり、多くの観光客で賑わっている。
また「ハマテラス」では地元の特産品や美味しいものが並び、フードコート的なスペースが設けられている。どうやら、ここで海鮮類を買い食いをするのがスタイルの様だ。
市民が広場に集まって、観光客をもてなすイベントなども行われていた。
震災を乗り切って、町おこしにつなげようと一丸となった取り組みがここにはあるような気がするし、町外からこのエリアに出店したいという人も多く、勢いさえ感じる場所だ。



女川原発こそ被災を免れたものの、人口一万人の町に14メートルを超える津波が押し寄せ、死者は570人、行方不明者も相当数いる。
港の方向や、少し山手の方に目を向けると、土曜日なのに大型建設機器が動き、ダンプカーが走り回っている。
駅前エリアの勢いは勢いとしても、以前の町の様子には程遠い。まだまだ復興の旅は続くな。
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建設業なのに「学校」を作っちゃいました!

2019年07月08日 | 仕事(教育活動・いちご・建設・選挙含む)
仕事で仙台に行く機会が増えている。
というのも、お世話になっている建設会社が中心となって、「学校」を設置した。建設業だけに、建築・土木の技術者を養成、資格取得のための講座を提供しようというもの。そのお手伝いをさせてもらっている。

技術者が資格を取得するためには、専門学校などの専門講座を受講し受験するのだが、社会人になってから通学するのも大変なので、「それなら自ら学校を作っちゃえ!」というものです。全国の地域建設業が7社参画して、仙台を拠点に一般社団法人を立ち上げました。

4月からトライアルで技術者の最高峰の資格である「技術士」の資格取得のための対策講座を開講。先月、正式に「開校式」を行い、100名近い関係者を集めてセレモニーが行われた。



この開校式で、特別講演を行ったのが大石久和氏。元国土交通省の技監、土木学会長を歴任、全日本建設技術協会の会長という要職に就き、土木の世界では知られた人(写真下)。
実は以前、佐渡で大石先生の話は聞いたことがあって、この時も分かりやすいお話しされる方だと思っていましたが、改めて日本の置かれている現状とインフラ整備の必要性を再認識した次第。(2016年1月31日の記事参照。ただしこの時は大石先生の件については触れていません。)



またその後のパネルディスカッションでは、それぞれ違う立場ながら建設業にかかわり、人材育成の必要性を感じている方々が意見を発表した(写真下)。
地域建設業に限ったことではないが、少子化の波は各産業界で人材不足を引き起こしている。地域社会の中で、建設業の重要性とそれを支える技術者を育成するということが急務の課題になっているのです。
さて、この「学校」の行方にも注目していきましょう!

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北海道の露天掘りの炭鉱を視察

2019年07月02日 | 旅行記・まち歩き
6月に佐渡には三回訪問。ただ今年は北海道へもすでに三回訪れている。

三回目の今回は公式なイベント2つを事務局でドッキングさせ、毎月開催の勉強会も6月は北海道での出張開催。
これに会員メンバー会社が運営する炭鉱「三笠炭鉱」にお邪魔する機会を得た。日本で数少ない炭鉱で、しかも山奥の露天鉱を見れるのはめったにないことですからね。



まずは山奥であること。そして広大で、スケールの違いを実感できること。「ここが日本か?」と思うほどの景色が広がっていた。
鉱脈に沿って、掘っては植樹をするなどの環境への配慮を繰り返し50数年。今も第5、第6の鉱脈を掘り続けて、資源の少ない日本の発電事業を立派に支えているのです。
鉱山というと坑道を掘っていくというイメージがあったが、ここでは完全露天掘り。こんなところがあるとは知らなかったが、僅かに残る北海道の炭鉱は露天掘りが多い。経費が掛からないというので、斜陽産業のように思われる鉱山事業の中で、立派に生き抜いているということだ。



重機やダンプカーもすごいね。まさに露天掘りの炭鉱でなければ見れない大きさ。外国での様子をテレビで見て、そのスケールの違いを実感するのだが、ここでは本物。これでなければ生産性が上がらないといったところか?

日本では、大正から昭和初期に炭田の開発が進み、戦後ピークを迎えたが、石油やガス、電力に限れば原子力などの資源シフトが急速になされ、北海道、九州を中心に一気に廃鉱になった炭鉱が多い。
北海道・九州では、かつては炭鉱で繁栄した町が、一気に衰退するという事例が多いのも事実だ。

ただ、地震による原発の事故から石炭が見直されている。国内需要もまだまだ多いし、輸入品にも価格面で唯一対抗できる資源でもある。実際ここで採掘された石炭も、地元の火力発電所で使われている。
ただ、いつまで掘り続けられるかは未定。まだまだ鉱脈はあるらしいが、開発や環境の面での規制はあるようだ。

さて、炭田に再び光が当たることはあるのか?


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