毎年この時期になるとジャコビニ・ジンナー流星の事が気になります。
確か1972年の10月9日でしたか。
私は地方の工業高校の3年生でした。
まだ、オイルショックの1年前のことで影響も無く、周囲の同級生は所謂金の卵となり、一流企業に就職内定が決まり、工業高校の進学組は実験実習の時間にも受験勉強をしなくてはならない時でした。
そんな時に私は好きな女子高生がいて付き合っていました。
今考えれば、他愛無い高校生の事でしたが、得体も知れない受験勉強が目の前に立ち憚り、恋愛なんかしている場合ではありませんでした。
そんな時期に、これからの数か月をどうするか考えあぐねました・・・
でも、選択肢としては、合格するまで勉強に勤しむしかありませんでした、ともかく一日の時間は24時間しかありません・・・
貧しかった故に浪人は望むべくもありませんでした。
不合格に備えて、国家公務員の高卒の試験も受けました。
そんな時に彼女に思いついて、白紙の手紙を送りました。
私としては、しばらく勉強に時間を注ぎたかったのでした。
今考えれば、どうということは無いのですが、その時は自分自身は切羽詰まっていましたから、しかたありません。
今考えると、なんでそんなことをしなければならなかったのか不可解です。
でも、その時にはその判断しかありませんでした。
翌年の春には無事に希望の大学に合格しましたが、半世紀も前の事でしたが毎年この時期になるとジャコビニ・ジンナー流星が見えるかなと秋の空を眺めてしまいます。
確か1972年の10月9日でしたか。
私は地方の工業高校の3年生でした。
まだ、オイルショックの1年前のことで影響も無く、周囲の同級生は所謂金の卵となり、一流企業に就職内定が決まり、工業高校の進学組は実験実習の時間にも受験勉強をしなくてはならない時でした。
そんな時に私は好きな女子高生がいて付き合っていました。
今考えれば、他愛無い高校生の事でしたが、得体も知れない受験勉強が目の前に立ち憚り、恋愛なんかしている場合ではありませんでした。
そんな時期に、これからの数か月をどうするか考えあぐねました・・・
でも、選択肢としては、合格するまで勉強に勤しむしかありませんでした、ともかく一日の時間は24時間しかありません・・・
貧しかった故に浪人は望むべくもありませんでした。
不合格に備えて、国家公務員の高卒の試験も受けました。
そんな時に彼女に思いついて、白紙の手紙を送りました。
私としては、しばらく勉強に時間を注ぎたかったのでした。
今考えれば、どうということは無いのですが、その時は自分自身は切羽詰まっていましたから、しかたありません。
今考えると、なんでそんなことをしなければならなかったのか不可解です。
でも、その時にはその判断しかありませんでした。
翌年の春には無事に希望の大学に合格しましたが、半世紀も前の事でしたが毎年この時期になるとジャコビニ・ジンナー流星が見えるかなと秋の空を眺めてしまいます。