:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 知床日記、または、鹿とウサギのデート、または、神学的対話-その8

2008-05-01 19:00:06 | ★ 日記 ・ 小話

エゾ鹿とウサギの悪の根源談義は、重すぎて動きが取れなくなってきた。むしろ、正直に行き詰ってきたと言うべきか。一本の糸として語り継ぐには問題が複雑すぎる。たくさんの概念を同時並行的に撚り合わせないと、とても答えまでたどり着きそうに無い。だから、伏線のヒントとして、間に一回他の話、「イタリア人神父のブラックユーモア」を挟んだのは理由の無いことではない。将棋や囲碁の対局にたとえれば、ここで一回目の考慮時間をとったようなものだ。そして、気を鎮め、先の手を読むために、浅い夜の野尻湖畔に降り立った。折りしも、満月が明るく湖面を照らしていた。

           鏡のような湖面に月の群雲までが映っていました。
           

〔エゾ鹿〕 水に映る満月を見ていると、心まで澄んでくるような気がする。神の創ったままの世界に悪は存在しなかったというのが確かなら、創られた世界に後天的に悪が発生したと仮定しなければならない。ひょっとしたら、「神父たちのブラックユーモア」でちらちら覗いたテーマ、すなわち「人間の罪」と「悪」が密接に関係しているのではないだろうか。罪は、神が創ったものではない。神は罪を創りえない。神は罪を犯さない。そうではないかね?ウサギ君。
〔ウサギ〕 へーっ、本当にそうですかね?シカさん。私にはどうもそんなこと簡単に言い切れないように思えますがね。でも、もし無前提に「神も罪を犯すことがある」などとうかつなことを言ったら、中世なら異端審問にかけられて火あぶり、現代だって言論・出版活動の禁止(従って当然ブログの閉鎖)、さらには聖職停止、悪くすると破門だって全く無いわけではない。クワバラ、クワバラ、・・・。
〔エゾ鹿〕 君はまことに厄介なことを言うね。口は慎みたまへ、さもないと・・・本当に面倒なことになるよ!
〔ウサギ〕 (独り言として)でも、神は本当に罪と完全に無関係だろうか。神が罪と無関係だとすれば、人間は神と無関係、ということにもなりはしないだろうか?(ぶつぶつ・・・・)
〔エゾ鹿〕 お願いだからバカなことを考えるのをやめておくれ。さあ、月を眺めてご覧!心が澄んで、邪念が消えていくから。


     月ふたつ
     

コメント
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