:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ カトリック教会内のこの温度差: 《バチカン》 vs 《東京》

2008-05-23 02:43:18 | ★ 野尻湖・国際村

2008-05-22 07:11:57

この温度差! 2008年5月18日発行の
「ヴァチカン機関紙」と「カトリック新聞」
( “L’OSSERVATORE ROMANO” vs “THE CATHOLIC WEEKLY” )
新求道共同体の「規約」は5年前に前教皇ヨハネ・パウロ二世によって既に5年間の期限付きで承認されていた。現教皇ベネディクト16世はそれを恒久的に承認する。



この温度差! 2008年5月18日発行の:
      「ヴァチカン機関紙」 と 「カトリック新聞」
( “L’OSSERVATORE ROMANO” vs “THE CATHOLIC WEEKLY” )  
 
  《 「混乱と分裂に解決を」 4司教、教皇に現状訴える 》
                   vs
 教皇様 《 運動体に対応する際に求められる賢明さと忍耐 》


 この日のカトリック新聞(日本カトリック司教団の機関紙)の一面右半分を占めるトップ記事の見出しを活字の大きい順に拾うと、

 「混乱と分裂に解決を」   
  「4司教、教皇に現状訴える」

  ●「20年越しの課題」高松教区立国際宣教神学院
  ●「道」の規約は未承認
  ● 神学院問題が解決しない限り
  ● あなたの忍耐と苦労に感謝しています
  
 まるでそれに答えるかのように、同日付のオッセルヴァトーレ・ロマーノ紙(ヴァチカンの官報)は、教皇ベネディクト16世の司教たちへの訓話として、以下のような文章を発表した。その全文を訳したので、読んでいただきたい。そうすれば、ローマと東京の間にどれほど大きな落差、温度差があるかが一目瞭然になるだろう。

             * * * * * *

信徒省主催の司教たちのための学習セミナー参加者に宛てた

   ベネディクト16世の訓話

   諸運動体に対応する際に求められる
           賢明さと忍耐

 司教達は、賢明さと忍耐をもって、様々な運動ならびに新しい共同体に対応しなければならない:パパ様は、5月17日土曜日、コンチストロの間での謁見に招かれた信徒省主催の学習セミナー参加者に対して、そう言われた。

枢機卿方、
 司教職、並びに司祭職における敬愛する兄弟のみなさん、
 親愛なる兄弟と姉妹たち!
 信徒省主催で、教会内の様々な運動ならびに新しい共同体に対する司牧的対応について反省するために開かれた司教セミナーに際して、貴方たちにお会いできるのは私の大きな喜びです。世界中から参加された大勢の司教様に感謝します。おかげさまで、セミナーは成功裏にその最終日を迎えることになりました。司教職における兄弟の皆さんと全ての出席者、とりわけ、信徒省の長官スタニスラオ・リルコ枢機卿と秘書のモンセニョール・ヨゼフ・クレメンス、並びにその協力者たちに、心からの一致と平和の挨拶を送ります。
 信徒省が信徒の諸運動に関する司教セミナーを催すのは、今回が初めてではありません。1999年のそうした催しのことを私はよく覚えています。それは、その前年の5月30日に、私の敬愛する前任者ヨハネ・パウロ二世が開いた様々な運動と新しい共同体との出会いに続くものでした。当時、私は教理省の長官として、その討議に深く関与し、たくさんの重要な点について司教たちと率直で兄弟的な直接対話を確立しました。また、今回のセミナーは、ある意味において、私自身が2006年6月3日に開いた100以上の信徒集団に属する信徒たちとの会合を継続するものでもありました。そのような機会に、様々な運動と新しい共同体の経験の中に「キリストとその花嫁である教会の美しさの輝かしい印」が明らかになりました(2006年5月22日のメッセージ参照)。私は「様々な運動に属する親愛なる友人達」に対し、それらの運動が、キリストによって啓示され、使徒たちが証しし、その弟子たちの大家族を通して私たちに伝えられた真理と愛に生きることを学ぶ「一致の学校、歩みの伴侶」としてますます発展するよう励ましました。(同上)
 教会の様々な運動と新しい共同体は、第二ヴァチカン公会議を現実化するために教会の中で聖霊によって鼓舞された最も大切な新しい事象であります。それらは、公会議直後、特に熱烈な約束に満ちた数年間、に生まれ広まりましたが、それはまた、最初から多くの苦難と試練の印をも伴っていました。パウロ六世もヨハネ・パウロ二世も、様々の斬新な形で活気と信仰と希望を全教会に再び与えてくれたこれらの信徒の新しい現実のほとばしりを受け入れ、識別し、励まし、擁護することに努めてきました。事実、当時すでに彼らは、これらの運動が喜びにあふれ、信仰の道理にかない、キリスト者であることの美しさに輝いていることに関して証言し、それらが教会そのものである交わりの神秘に帰属していることへの感謝の気持ちを表していました。私達は、気付かされ生きられたキリストとの出会いの貴重な体験を、全ての人と分かち合いたいという願いに突き動かされた彼らの力強い宣教の情熱の目覚めを目の当たりにし、それが真理と幸福への人間の心の深い渇きに対する唯一の真実な答えであることに気付かされました。
 その際、神のご計画と今の時代の状況下における教会のミッションの観点から、このような新しい現実をどうすれば適切に包み込んでいくことが出来るかという問題が、未解決のまま残されていることを、見過ごしてよいものでしょうか。まさにそのために、多くの部分教会において、対話と協力が始められ、絶えずそれを深めていく過程で、司教たちの側からの数多くの指導や方向付けが相次いでいるのです。少なからぬ偏見や抵抗や緊張がすでに克服されました。しかし、全てのカリスマが、それぞれの特性を十分に尊重されて、最大限に、また自由に、キリストの唯一の体の建設に貢献できるようになるためには、教会の全ての構成要素とのより成熟した一致が促進されなければならないという重要な課題がまだ残されています。
 アドリミナの訪問に際して、ドイツの司教たちのグループに私が宛てた勧告が、このセミナーの指針として選ばれたことを、私は大変高く評価しています。もちろん、今日は、たくさんの部分教会の牧者であるあなたたちにも、それをあらためて披露したいと思います。それは、「深い愛をもってそれらの運動に対処して下さるようあなた方にお願いいたします」というものです(2006年11月18日)。それに何も付け加えて言う必要は無いでしょう!愛はよい牧者を識別する印です。愛こそが、私たちに託された責務の信頼に足る効果的な遂行を可能にしてくれるのです。様々な運動と新しい共同体にたくさんの愛をもって向き合うことが、表面的な印象や偏見無しに彼らのありのままの姿を理解する上で不可欠です。それはまた、教会内の運動や新しい共同体が、新たな問題の種や、ただでさえ重い我々の職務にのしかかるさらなるリスクではないことを理解するのを助けてくれるでしょう。そんな心配はありません!かえって、彼らこそ主からの贈り物、キリスト教共同体全体を新しいカリスマによってより豊かにするための貴重な資源なのです。それゆえ、彼らに活動の場所を与える信頼に満ちた歓待に欠けるところが無いように、そして部分教会の生活に対する彼らの貢献を正しく評価するようにしてください。また、個別の問題に関する困難や無理解が排他的な態度を正当化することの無いように。「たくさんの愛」は賢明さと忍耐を鼓吹するでしょう。かれらの宣教的情熱、キリスト教的養成の効果的な道、教会に対する忠誠と従順の証し、貧しい人々の必要に対する感受性、召命の豊かさなど、われわれが知って評価することを学んだたくさんの賜物を、彼らが惜しみなく用いて、秩序正しく実り豊かな形で、全体の利益のために奉仕することが出来るように、真心のこもった賢明な方法で、様々な運動や新しい共同体に対して父性的配慮をもって密接に寄り添うことが、我々牧者に求められています。
 新しい諸カリスマが本物であることは、教会の権威の識別に常に自らをゆだねようとする彼らの恭順な態度によって実証されています。既に、多くの教会内運動と新しい共同体が、聖座の認知を受けています。したがって、彼らが全ての教会のための神からの賜物であると見なされることに関しては、疑いを差し挟む余地はありません。まだ誕生の過程にある他のものは、部分教会の牧者によってよりデリケートに、注意深く見守られる必要があります。しかし、識別と指導の奉仕に召されたものは、そのカリスマの上に横暴に立ち振舞ってはなりません。むしろ、聖霊が唯一のキリストの体の建設と拡張に協力するために多様性を生かそうと望んでいるときに、それを画一化してしまおうとする誘惑と戦いながら、それらを窒息させてしまう危険を冒さないように気をつけなければなりません(1テサロニケ5:19-21参照)。聖別され神の霊に助けられ、教会の頭であるキリストのうちにあって、司教は、良いもの、真実なもの、美しいもの、個々人と共同体の聖性の増大に資するものを認め評価するために、カリスマを吟味し、試さなければなりません。矯正のための介入が必要になった場合も、それが「たくさんの愛」の現われとなりますように。様々な運動と新しい共同体は、独自の集会の自由と彼らのカリスマへの忠誠を大切にしますが、同時に彼らは、その忠誠と自由が、ペトロの後継者に結ばれた司教達によって管理され、保護され、導かれている教会との一致によって、制限されることなく保障されるものであることを十分に承知していることをはっきりと示しています。
 司教職における親愛なる兄弟の皆さん、この会議の終わりに際して、叙階のときに受けた恵みが、皆さんの内にあって活力を取り戻すように勧めます(2テモテ1:6参照)。全ての人のために教会の中で神の霊ご自身が引き起こされた驚くべきことがらを私たちがよく理解し、大切に護ることが出来るよう、私たちを助けてくださいますように。使徒たちの女王である至聖なるマリア様に、あなたたちの一つ一つの教区を委ね、あなたたちに心からの愛に満ちた使徒的祝福を与えます。この祝福は、司祭たち、修道士たち、修道女たち、神学生たち、カテキスタたち、全ての信徒たち、特に、今日あなたたちの心に委ねられた教会の様々の運動と新しい共同体のメンバーにも及びます。
 

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