〔ウサギ〕 前回は「心臓がどきどきして、胸が苦しくなって、頭ががんがんして、口の中に唾が溜まって・・・・」で終わったけど、それで、そのあと一体どうなったの?ねー、ねー、早く教えて!
〔エゾ鹿〕 まあ、まあ、落ち着いて。口の中には唾が溜まって、脇の下には汗をかきながら、暫らくの間、可哀想な坊やは必死で良心との葛藤に耐えていた。
「一口でいいから食べてみたいなー。」
それは坊やの偽らざる気持ちだった。それに対して、
「食べてはいけない!それは、お父さんの言いつけに背くこと。あの優しいお父さんを悲しませること。その愛を裏切ること。だから、食べたらきっと後悔するよ!お父さんの目をまともにみられなくなるよ!絶対に食べては駄目!」
その声は、坊やの心の奥底に響く声、誰か知らないけれど、坊やの心に語りかける確かに誰か別の人の声だった。食べたい!という自分の気持ちと、坊や絶対駄目だよ、という他者の声とがせめぎあって、身動きが取れなかった。
びっしょり冷や汗をかきながら金縛り状態にあったとき、もう一人、別の声が聞こえた。
「お兄ちゃーん!一緒に遊んでー!あら、チョコレート?!美味しそう。一ついただいてもいーい?」
お人形のように愛くるしくあどけない、悪餓鬼の妹だった。坊やは、心ひそかにその女の子のことが大好きで、この家に遊びに来るのは実はそのためでもあった。
「おひとちゅ、どーじょ!!」
その子が坊やにチョコレートを差し出した。なおためらっていると、不思議そうに見上げて、
「いらないの?一緒に食べないの?じゃー、もう遊んであげない!」
その瞬間、坊やの心のバランスが崩れた。女の子の小さな手から受け取ると、それを口に運んだ。口の中に、チョコレートの甘美さが広がっていった。美味しかった。(つづく)