:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 回教徒、ついに世界一? (その-2)

2008-07-07 12:20:50 | ★ 野尻湖・国際村

 

 

★ 回教徒、ついに世界一? (その2)

 

         = 若干の補足 =


 

ベトレヘムのキリストの降誕の教会の中庭で輪になって踊る共同体の若者達

 

気が付いたら 回教徒、ついに世界一? (その1)  は、大分前にアップしていました。そこでは、世界の人口に占める回教徒の数は、ずっとトップを走ってきたカトリックを追いぬいて世界1になったという話でした(どちらも9億人台ではあるが)。その単純な原因の一つは、カトリック教徒の一家庭あたりの数(ヨーロッパでは1.3)に対し回教徒の一家庭当たりの子供の数は3とか、4とか、それ以上とか(国、地域によるが)、とにかく2を遥かに上回っている現実が続いたことから来ています。それで、ここに若干の補足をしたいと思いました。
 
「アーミッシュ」 (この言葉は説明を要しますね、後でいたします) の場合と同様、カトリック教会の中の「求道共同体の道」 (これも説明が必要ですが、今はそのまま読み飛ばして下さい) の場合も、7の70倍赦し、敵を愛し、悪に逆らわないように、と言う福音的な理想に日々チャレンジしています。そして、そのチャレンジを通して、人間的にはそれが実現不可能なほど高い理想であることを、イヤと言うほど身に沁みて思い知るのです。

しかし、それと同時に、たとえ人間的には不可能なことでも、神の霊の助けによって、奇跡的にその不可能が可能になる、と言う信仰を、体験を通して、事実によって、着実に皮膚感覚で体得していくのです。

その結果、例えば、二人目の子供の誕生後間もなく、夫婦のいずれかの不倫や、金銭的問題からのいさかいや、育児教育の考え方の相違など、様々な動機と理由で不仲になり、猜疑や、嫉妬や、憎悪で早々と寝室を別にし、意味のある会話が失われて家庭内離婚状態となっていた夫婦が、民法上の離婚手続きに終わろうとする寸前に、たまたま「新求道共同体の道」に出会い、信仰を通して和解に導かれ、再び寝床をともにして愛し合い、何年ものブランクの後、また次々と子供に恵まれ、温かい愛に包まれた大家族に変貌して行くというような、現代の奇跡が相次いで起こっているのです。(信仰によらなければ、このような奇跡は現実にあり得ないでしょう!)

あるいはまた、初心を忘れ、倦怠と召命感の喪失で、生きる意味を見失った神父が、辞めて結婚に踏み切ろうとした矢先に、この共同体にめぐり合い、回心して気を取り直し、熱烈な宣教者、信仰の証し人に変わっていった司祭の例を、私は実際に目の当たりにしています。これなども現代の奇跡に数えていいと私は思っています。そもそも、私自身が、長い放蕩生活の末に、いまこうして司祭として生きているのも、私にとっては小さな、しかし確かな奇跡なのです。

そういう意味で、2000年前のキリストの時代と同じように、現代においてもキリストは目に見える奇跡をあちこちで行っているといえるでしょう。

  そういう奇跡を体験した人たちで形成された共同体では、一家庭あたりの平均の子供の数が回教圏の平均をも上回っているとしても何の不思議もありません。

信仰の証は、決して世界人口に占める信者の数で量れるものではありません。現に、たった16万人アーミッシュの沈黙の証言は強烈です。2001年にペンシルヴァニアで起きたアーミッシュの学校での児童に対する銃乱射事件の後にアーミッシュの共同体が示した赦しの精神は、世界中のキリスト教徒に衝撃を与えました。世界の新求道共同体100万人の存在も、9億のカトリックの中で大きな証しとなっています。

敵を赦すだけではなく、敵を愛する宗教。正当防衛と報復の権利を進んで自由に放棄する宗教。悪に逆らわず、裁きを神に委ねて、悪を前にして判断を停止する宗教。カトリック9億の中に、そのような福音の理想を体現するほんの一握りのグループがいるだけで、その存在意義は大きいと言えるのではないでしょうか?

  どんなに小さくとも、そのようなグループが現実に存在するなら、それこそ「時の印」、「地の塩」、「世の光」と言えるのではないでしょうか。

(近いうちに 「アーミッシュ」 について連載を考えています。)

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3 コメント

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イスラム教徒 (DANIA Bernadette)
2010-12-04 01:45:01
私はイスラム教徒が増えることを嫌だと思いません。イスラム教もキリスト教も清らかな心をもって信仰するなら素晴らしい宗教であると思っています。イスラム教に限らず世界の全ての宗教は変わらない部分と変わる部分があって変わる部分をつうじて寄り添って繋がって平和に導かれるのだと思うのです。変わる部分とは聖霊によって得た智恵により解釈や見方が変わる事のことです。矛盾は人の理解力と解釈力の限界によって生じていると思っています。またイスラム教徒に対して、同じアブラハムの神を信仰する兄弟という感覚があります。前教皇様がこうした広い考え方を持っていて私は大変喜びました。
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全てが吸血鬼でも吸血鬼の恐怖はなくならない (通りすがり)
2010-12-04 02:33:30
そうやってイスラムに甘い対応することで、ヨーロッパはアラブになると思います。そして同じイスラムでも些細な考え方の違いから互いに憎しみ会うようになるとおもいます。キリスト教もそうであるように、あまりにも世俗化、聖書に対する無理解があり、これはイスラムにも言えることだと思います。結果的には狂信的イスラムが世俗的イスラムを軽蔑し、その反対もあり得り互いに憎しみ合い殺し合うと思います。

この世はサタンの支配下ですから、未来社会は想像した以上に悲惨なものになるのではないかと思います。

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少しご紹介を。 (イスラム哲学者)
2013-12-31 07:46:05
イスラム誕生から12世紀末までは、ギリシャの哲学を好んだバクダットのアッバズ朝カリフの下、ギリシャ科学と哲学の原典が次々と翻訳され、特にアリストテレスと新プラトン派の注釈がアラビア語に翻訳されました。そして様々な思想家が出、キンディ、ファラビ―、イブン・スィ―ナ―(ラテン名アビセンナ)、イブン・ルシド(ラテン名アベロイス)などです。この時期イスラムの神を体系化したスコラ哲学で、これが中世カトリックに入った。次のイスラム神秘家はイブン・アラビー(これはアビセンナの遺志を継ぐもの)とスフラワルディです。これが16~17世紀シ―ア派イスラムの展開を示します。18世紀全イスラム文化圏が衰退し、独創的な思想家は生まれません。この時期哲学史上最大の哲学者はサブザワ―リ―です。現在イランで活躍している系統は、ほとんどこの系統です。
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