kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

『指導』についての考え

2008-01-26 | 陸上競技
選手に話した内容とは全く別。思うことがあったので『指導』について書きます。若造がえらそうな事言うな、と受け取られるかもしれません。批判があればいくらでも受けます。

競技の指導というのは、一体誰のためなのかを考えないといけないと思います。指導者はもちろん、選手もそれが分からなければ意味がない。
ありがちなのは指導者が選手を『道具』や『おもちゃ』と勘違いしてしまうパターン。自分が楽しむために選手を使う。力が付けば大会を見ても楽しいし、周りには「自分が指導したから強くなった」と話ができるので楽しい。もちろん、指導者の力もあるでしょうが、本人の努力があったから強くなったのです。『自分が強くした』なんて私は言えません。選手に失礼です。指導者のエゴですね。私が目標とする先生方は決して『自分が強くした』とは言われません。何故なら「速く走る」事だけを求めないからです。それ以外の指導をして初めて「走る」ことの意味がある。「メニューを作るだけ」なら本を見たり、他の人がやっているのを真似すれば誰だってできます。大変でなおかつ「やり甲斐」があるのは『心』を育ててその選手の「本当の成長」が感じられた時です。ここにのみ『本当の価値』があると思っています。『心』の動かない指導は意味がない。だから厳しい事も言う。嫌がられる事を恐れない。指導者としての私の考え方です。

では、選手はどうか?私のような指導スタイルの下で練習をする選手は、最初「先生の言うことは意味が分からない」とか「何で自分が注意を受けるのか(怒)」という考えになると思います。反発する選手もいて当然です。そこまで言われる事は生活の中でなかったはずです。中学の環境から厳しい練習環境へと移ったので考え方が変わるまでに時間がかかります。ある程度は仕方ないと思います。これが最後まで同じ状態だったら手の打ちようがありません。言われている事が『自分が成長するためだ』と理解できると一気に変わります。ここをいつ理解するかがポイントだと思います。上級生がしっかりしていたら早い段階で理解できると思います。そうなると素直にアドバイスを受け入れるようになるので、様々な面での成長が見られるようになります。理解しようとしない選手は自分の力を最大限に発揮できません。『心』が育たないからです。

選手の意識をある程度まで引き上げるのは指導者の力だと思います。「技術」や「練習メニュー」で指導者の力が問われるとは思いません。『心』を育てる事が指導者の一番の役目だからです。方向付けに選手が乗ってくるかどうかに全てはかかってくると思います。だから「メッセージ」を受け取ってくれるかどうかは大きい。いくらメッセージを送っても受け取る側が受け取らなければ何も変わりません。
私はいつも「自分自身の問題だ」と話をします。「○○をやった方がいい」と話はしますが、やるかやらないかは選手自身の問題です。責任から逃げるわけではありません。だから「意識を高く持ち続けなさい」と話をするのです。

選手は「顧問が悪いから伸びない」と言う。本当にそうでしょうか??自分がやるべき事をきちんとやってそれでも伸びないなら指導者の責任でしょう。だいたいそういう時は自分自身が逃げていて、その言い訳を「指導者」に求めるのです。本当の理由は別の所にあります。気付かないのです。「指導をしてもらっている」「力を貸してもらっている」という部分を選手が理解しなければ「不満」しか生まれません。

私は指導しても特にプラスはありません。何かもらえるわけでもないし…。では何故指導するのか?全てに一生懸命に取り組んで、成長していく選手が好きだからです。それ以上でも以下でもありません。それが全てです。

長くなりましたが、これが今の私の考える『指導』です。31歳の今だからこういう考えなのかもしれません。全てが正しくて万人から受け入れられるとは思いません。思い出すのは1年前…。なんだか書かずにはいられませんでした。苦しくなりますね……。
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昨日の続き

2008-01-26 | 陸上競技
昨日の続きを。

選手には私の考えていることを伝えました。何度も書いていますが話をしても伝わらない部分だってあります。それは仕方ないことだと考えています。それでも話し続けなければいけないと思います。伝わる者には確実に伝わり大きな変化を示す。それが少しずつ周りの者に伝わっていけばいいと・・・。

今の練習を普通の生徒ができるかどうかといえば「無理」だと思います。練習量がどうこうというよりも、そういう雰囲気ではないからです。気を抜くこともできません。加えて日常生活、勉強、考え方についてもかなり言いますから「息が詰まる」と感じるかもしれません。それでも「本気」になって取り組むことができればかなりの「成長」を見せます。いつも言うことですが「走る」ことだけの「成長」はほとんど意味はない。陸上競技部なので「速く走る」ということが表に立つのは当たり前です。しかし、そこだけを求める指導は教育的価値がない。学校教育の延長線上にある意味はありません。この辺りを勘違いする人は多い。「楽しい」を優先している人も多いのではないかと思います。キツイことを言わなければ選手との関係は「お友達」になりますし、非常に楽ですよね。ワイワイやっていて「選手に嫌われなければいい」のですから。

私は選手に嫌われることを全く恐れません。私の仕事柄「当然」の事だと思います。「おかしい」と思う部分を放っておいてもその子の成長には役立ちません。茶髪だったり、服装が乱れていたりする部分を無視して、「練習頑張ったから良いよ」なんてとても言えません。子供は自分の行動に対して注意を受ければ「嫌だ」と感じることが多い。それは、自分が間違っていたとしても「受け入れる」ことができないからです。「注意する人が悪い」と感じるのでしょう。そのまま大学生になったり社会人になって何の意味があるのでしょうか?

うーん、堅い話になりました・・・。昨日はこんな話をしたわけではありません。もう少し分かり易い話をしたつもりです。今の2年生に対する「想い」と1年生がこれから目指すべきものを話しました。今の2年生が1年生だったときの冬期のことを話しました。本当に悲惨でした。今と同じような練習を1~2人でやっていたのです。「声かけ」なんてものはありません。自分が走っていても誰も声をかけてくれないのです。練習に参加する者自体がそれだけしかいないのだからどうにもなりません。そんな中で高校生活2回しかできない冬期練習の1回目を過ごしたのです。今の1年生の環境と比べたらかなり悲惨でした。その後全てが上手くいったとは思いませんが、この1年間で大きく成長してくれたと思います。一番辛い時間を過ごしたので、この冬は色々な面の成長をしています。授業担当の先生方からも褒められることもかなりあります。だから「強くなって欲しい」と願います。こういう部分からも1年生に対する「想い」と2年生に対する「想い」は違います。これを「ひいき」だと言うなら「物事の本質」が理解できていない。1年間多く時間を共有すると言うことはそういうことです。

他にも何か話した気がするな・・・。また思い出します。

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