少しずつ「力」がついてきています。しかし、この主体は「選手」です。「選手」自身が「強くなりたい」と願うから、そのための努力をしている。だから少しずつ強くなるのだと思っています。
指導者の「力」もあるとは思いますが、私はまだまだ勉強中ですし、「目標」とする2人の指導者とはレベルが違うと思います。ここで勘違いして「自分の力で強くなった」とは思えません。うちの選手も目標とする指導者に様々なサポートや指摘を受けているから、「力」を発揮できるようになっているのだと思います。今回の中国新人を終えての日誌に「大会前にズレを調整してもらえたので力が出せた。感謝を忘れない。」と書いていました。きちんとわかっています。この気持ちを持ち続ける事が「強くなる」ための最低条件です。
あくまで競技する主体は「選手」自身です。指導者が前面に出る必要はないと思います。「自分が指導したから強くなった」と考えるのは指導者のエゴです。私が目指す指導者は「自分が」という人はいませんでした。私もそこを目指したいと思っています。
もちろん、私にしかできない「指導」や「関わり方」があると思います。それが「絶対的」だとは思いません。私の指導の中心は「話をする」事です。「心」を動かす事が出来れば主体である「選手」自身が動きます。そのために私が動くだけです。私が様々な事を考える事で「選手」が変わっていく手段が見えてきます。
まだまだやるべき事は山ほどあります。それを私は提示していきます。「選手」が必要性を感じてやるかどうかです。
私自身成長していかなければいけません。一歩一歩着実に進んでいきたいと思います。
指導者の「力」もあるとは思いますが、私はまだまだ勉強中ですし、「目標」とする2人の指導者とはレベルが違うと思います。ここで勘違いして「自分の力で強くなった」とは思えません。うちの選手も目標とする指導者に様々なサポートや指摘を受けているから、「力」を発揮できるようになっているのだと思います。今回の中国新人を終えての日誌に「大会前にズレを調整してもらえたので力が出せた。感謝を忘れない。」と書いていました。きちんとわかっています。この気持ちを持ち続ける事が「強くなる」ための最低条件です。
あくまで競技する主体は「選手」自身です。指導者が前面に出る必要はないと思います。「自分が指導したから強くなった」と考えるのは指導者のエゴです。私が目指す指導者は「自分が」という人はいませんでした。私もそこを目指したいと思っています。
もちろん、私にしかできない「指導」や「関わり方」があると思います。それが「絶対的」だとは思いません。私の指導の中心は「話をする」事です。「心」を動かす事が出来れば主体である「選手」自身が動きます。そのために私が動くだけです。私が様々な事を考える事で「選手」が変わっていく手段が見えてきます。
まだまだやるべき事は山ほどあります。それを私は提示していきます。「選手」が必要性を感じてやるかどうかです。
私自身成長していかなければいけません。一歩一歩着実に進んでいきたいと思います。