続きというか、感じたことを言葉にしておきたいと思っています。特別な意味がそこに存在するのかどうかは分かりません。いつもいつも上手くいくわけではない。論語に「過ちて改めざる、これを過ちという」という言葉がある。この数週間の出来事、私の中では指導人生を大きく左右するくらいの出来事だったと思います。それくらい病んでいましたし、考えさせられました。
これは「技術指導」という部分だけではありません。「教育活動」という意味での部活動の存在についても考えさせられました。今の私の力ではすべての人間を幸せにはできない。人生の中で何度も感じてきた部分です。何度も何度も考えてきました。教育であったり人生であったり。全てのことができるようになればいいと思いますが、それはできない。
何度か話をしてきました。「食べたいと思わない人間の前にどれだけ豪華でおいしい料理を提示しても食べない」という話。アプローチの仕方を考えていけばきっと変わるのだと思って行動してきました。しかし、本当は違う。意識したらできることがある。それができないのは「指導の仕方が悪いのか」と思っていたのですがやはり「その気があるかないか」だと感じました。冷たいと言われてもいいと思います。全てをお膳立てしていくのはやめようと思います。結局私自身が一番嫌な思いをすることになるのだから。
この1か月間の進まなくなっていたのは私の責任だと思っています。自分を責めるなということを言われますが、実際問題ここは私の責任です。一部の選手は本当に速くなりたいと思ってやっていました。だからこちらが求める動きを徹底してやる。何も考えずに勝手に走っていても速くなるのは確か。さらに上を目指そうと思って与えられたメニューをしっかりとやる。それにより膝が出なくなる。進まなくなる。「たった0.5足くらいで大げさな話をする」と思われるかもしれません。実際問題その「0.5足」というのは致命的な長さなのです。
真面目にやればやるほど悪い方向に進む。この典型的なパターンでした。blog自体はかなり停滞していました。上手くいかないことでなかなか書く気になれなかった。理由が明確になりにくかったというのもあります。何度か選手の言葉に耳を傾けてきました。その時に「身体が重い」という言葉がありました。これは「重心が後ろに残っている」ということでした。速く動こうとすることで足先だけの動きになる。乗せるというよりも「速く動く」ことがメインになっていく。
「乗り込み動作」という言葉があります。これは感覚的な話。私はほとんど使いません。イメージは「乗せる」という表現にしています。微妙なニュアンスですが。接地した場所にきちんと腰が乗っているかどうか。その時に軸足が曲がって力を緩衝していないか。ここに走りのポイントがあると思っています。基本は「膝締め」を徹底します。その方が接地のポジションが作りやすいからです。自然にいいポジションに入っていく。
記事に書いている「下に落とす意識」で走る選手がいます。うちには2人いるのですがこれは「膝下の使い方」が違ってきます。1年生と2年生という差もあるのですが。2年生は前に出た時に膝が締まっているので「縦の動き」でしっかりと乗ることができます。台ドロップの時にもその音が響きます。前に出す意識から変えたことで音が変わりました。乗り切れていなかったのだと思います。もう一人は膝下を少し振り出して走る。ここは少し戻すようにしなければ上手く乗れません。難しいのです。もうしばらく時間がかかるかもしれませんが1週間で劇的に走れるようになってきました。驚いています。
で、何が書きたかったのか。「前に出す意識」の選手と「下に落とす意識」の選手。前に出す意識の選手を中心に指導してきました。これは私自身がそういう走りをしていたからだと思います。こういう選手は「膝を引き出した時に腰が移動する感覚」を重視すると走りが良くなると思います。膝だけを引き出すのではなくそこに腰が付いていく。これは膝が締まっていれば自然に良いポジションに接地できると思います。
「下に落とす意識」の選手の場合は真逆だと感じています。これは難しいかもしれませんが。こちら側の選手は「落とした場所に重心が移動する」感覚だと思っています。「乗せていく」という感覚の走り。この時に腰が遅れてしまうと進まなくなる。引き出しの意識ではないので膝が出た時に腰は進みません。降りるときに腰が進むのです。
微妙な表現ですね。これまでは「腰が進む」というのは2か所あると思って指導してきました。「膝が前に出た時に腰が進む」「地面に接地するときに腰が進む」という2つ。減少としてとらえた場合、やはりこの2か所だと思います。それを一律意識させてきました。しかし、今回指導の中から見えてきたこと。これは「走りのタイプによって腰が進む感覚が全く違う」ということでした。事例が少ないので正確な情報になるのかどうか分かりませんが。これまでの指導経験の中から感じていた部分が今回のことで一致しました。
つまり、腰が進むというのは2か所あるのですが「どちらの移動を意識したら進みやすいのか」は選手それぞれで全く違ってくるのです。そんなことを偉そうに書くなと言われるかもしれません。が、どれだけこういう部分を考えながら指導をしているのか。全員が全員そのような指導をしているとは思いません。シンプルな動きの中に様々な要素が入っている。だからこそ突き詰めて考えると面白い。
「足を上げろ」「足を落とせ」。これはどちらも正しい。そんな基本的なことをこの歳になって気づく。そして「重心の移動」も同様。一律同じような意識ではできないのです。今やっている台ドロップもハードルドリルも根本的な部分は間違っていないと思います。が、それを実施する選手自身の意識の問題だと思います。ハードルを越えて地面に接地するときに腰が乗るのか、抜き足を前に出すときに腰が進むのか。はっきり言って「見ているだけ」では絶対にわかりません。明らかに違いがあるからです。見た目の動きが同じでも「意識する場所」が違えばそれは練習として意味がある。
今まで一番ダメなパターンは「とりあえずやること」だと思っていました。適当にやっているだけ。意味も考えずに言われたからやるというのが一番成長がない。次は「形だけ真似ること」が良くない。そこにどのような意味があるのかを考える、理解するというのが必須。そしてこの時に「理解していても自分に合うかどうかを感じ取る」という部分も必須です。それが抜けていたら「負の強化」となってしまう。これは恐ろしいことです。指導者が「これは絶対に正しい」と言い続けることで選手はそれを信じます。その時に「進まないのはきちんとした動きができていないからだ」と思いこんでしまうと選手は本当に進まなくなります。
強い選手ばかり見ていると絶対に気づかないと思います。普通の選手を何とかしようとする中で見えてくるものがある。「何もしなくても速い選手」を見ていると楽しいのかもしれません。勝負という部分では勝てるので。しかし、これまで私が見てきた選手にはそんな選手はいませんでした。だから積み上げていく。その中で加速段階もある程度の改善方法が見えてくるようになりました。今回、選手が「走れない」と辛い表情を見るのが本当に辛かった。何とかしてあげたいと思いながらも何をすればいいのか分からない。これではダメだと感じていました。
県選手権の前日、「崩れた走りを戻さなければ」という感覚がありました。これは一方的に思っていただけなので。その時に「技術指導をしよう」と決めました。「競技に取り組む姿勢」で指導が止まっている間は先には進まない。感謝の気持ちも同様。感謝する気持ちがない人間に「感謝しろ」と求めても絶対に無理。そうであれば「本来的にやるべきこと」に力を注ぐ必要がある。そう感じました。それが今の技術的な考え方、見方に繋がったかなと。
1週間の出来事でした。イライラしたりすることもかなりありました。が、やるべきことはそれほど多くありません。そう感じてやっていかなければいけない。「中国大会は無理だろう」と思われていると思います。それでも3人がかなり走れるようになっています。冗談抜きで。戦える可能性が出てきました。そう信じてやっていきます。冬季練習は十分できています。それを本物にする。
できることをやります。心からそう思います。