kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

なかなか2

2019-05-19 | 陸上競技
もう少し続きを。
 
 
テストが終わってから色々と話を聞くことがありました。ガッカリというかヤッパリというか。
 
 
テスト期間中、生活リズムを崩さないために朝勉強会をしています。これも賛否があると思いますが。何年か前に勝手に参加しなくなっている者がいたので意味を説明したことがあります。勉強スペースを確保するために私は7時過ぎには職場に行って部屋の鍵を開けます。通路の鍵も開けて回ります。
 
 
ある時他の方から指摘がありました。使っている部屋の窓を開けっ放し。電気も切っていない。どうなっているのか?!と。本当に情けないというか恥ずかしいというか。自分達が使った部屋の片付けをしない。出入り口の鍵は閉めないにしても窓を閉めて電気を切るというのは「基本的なこと」です。部屋を使った後は机の整理整頓をして窓を閉めて電気を切ることが大切だ、全体を集めて話をしなければいけないというのはどうなのか。
 
 
前任校でも同じようなことがありました。当時は本当に激怒した記憶があります。ミーティングで使った黒板を消すこともなく帰っている。黒板に書いて説明した内容は誰のためなのか。使った場所も元の通りにしておくというのは基本的なことです。その話をした日、全体ミーティングが終わって個別に黒板に書きながら説明している時にある選手が黒板を消し始めました。いやいや、まだ使って説明してるやろ?!確認すると「先生が黒板をきちんと消せと言ったので」という返答でした。なかなか厳しかったですね。今だけではないというのはあるのかもしれませんが。
 
 
で、話は今に戻る。テストが終わってから「先生、朝勉強会をするときに無駄話をしてうるさい者がいたんです。」との報告が。報告が遅い。それだけではなくあろあことか「勉強会で寝ている者がいました」という報告も。もうどうなんだ?!という話です。全てがありえないという状態。
 
 
報告した者にも指導しました。なぜ、その時にきちんと指摘しなかったのか。朝勉強会をする意味は何か。勉強をするために集まってやっています。互いに勉強をする。練習だけではなくこういう部分丁寧にやっていかなければいけないと思っています。そうであれば「和を乱す」という者をそのまま放置するのはどうか。きちんと指摘しなければわかりません。集団行動をするときに「自分さえ良ければ良い」という存在は「悪」です。
 
 
きちんとやっている者の邪魔をする。これは練習の時に何度も何度も言っています。なぜ真面目にやっている者が被害を受けなければいけないのか。その時その時にやるべきことをやる。それは全ての場面で共通します。寝ている者は邪魔をしてきないからいいのか。いやいや。きちんとやっている者の雰囲気を大きく乱します。指導するという話になるのかどうか。寝ていた理由は「課題をやっていなかったので遅くまでやって疲れていた」というもの。もう何と声をかけていいのか。
 
 
集団で何かをする。朝勉強会をやらなければそういう問題は発生しないのではないか。そういう意見もあると思います。しかし、本当の問題はそこではないと思っています。和を乱す者がいるから実施するのを止めるというのは根本的な問題解決にはなっていません。これまで何度かミーティングをさせていますが改善される雰囲気はありません。こちらが指導している事が伝わっている感覚が全くありません。
 
 
状況に関しては必ず保護者に伝えるように指示をしました。私が指摘している内容が明らかに間違っている可能性もあるからです。間違っていなくてもその事に対して理解できないと言われる可能性もある。そうであればやはり今後の指導に関しても考えなければいけないからです。理不尽なことを求めているとは思いません。本当に本当に基礎的なことを言っているだけ。目に見えての変化はほぼありません。
 
 
更に練習をしていたら勝手に練習を抜けて座っていたり話をしている者もいました。いやいや、どれだけ自由なんだ?!この事に関しては以前から指導してきました。足が痛いというのは誰にでもあることだと思います。できないのであれば仕方ない。が、私が何も知らない間に抜けて話をしているのは違うのではないか?やはり報告する気はあると思います。何ができて何ができないのか。それもなく勝手に練習をして勝手に抜けるというのは「自分のことだけ」しか考えていないのでは?
 
 
その話をして2日後、残念ながら全く報告をせずに練習から抜けている。もう指摘するエネルギーがなくなっている感覚。更には学校外の練習だったこともあるのですが、スマホを触っている。これまでの練習の中でそんな様子は全く見たことがありません。競技場にこないというのもあったと思いますが練習中にスマホを触るというのは私の想像を明らかに越えていました。
 
 
確認すると「スマホで時間を計っていた」「補強のメニューが分からないのでスマホで調べていた」という内容でした。いや、そんな話が本当にあるのか。スクワットをやるのにストップウオッチで時間を計る。回数でいいのではないか。補強が分からないからスマホで調べる。その前段階で何ができるか分からない中で勝手に練習を抜けている事に問題点はないのか。もう何と話していいのか分かりませんでした。
 
 
学校の練習ではスマホを触ることさえできません。当然です。外に出たらそれが許されるのか。自分達の感覚でやるというにしても流石に度が過ぎるのではないか。どんな理由があるにしても練習中にスマホを触るというのはないと思います。それは私が説明をしていなかったからだと言われたら甘んじて受け入れるしかないのかもしません。が、そこまで私が説明しなければいけないのか。
 
 
県総体に向けて練習をしなければいけない時期。寸暇を惜しんでという感覚です。そちらに集中していたら全く違う部分で指導をしなければいけなくなる。「顧問だから当たり前」と言われたらそうなのかもしれません。それでも流石に頭が痛くなりました。私の指導が悪いからそんな話になるのかもしれないという感覚もあります。学校でやろうが外でやろうが求められることは同じですがそれも説明不足と言われたらそうなのかもしれない。
 
 
何をやっているのか分からない。本当に求められている部分に集中出来ているのか。自分自身を保つことができるのか。何をやるべきなのか。本当に見失うのではないかなと感じています。きっとこんなに悩んでいるのは私だけなのではないかなと思います。言われている者たちはなかなか伝わらない。
 
 
全くやっていないとは言いません。やってはいます。が、0か1かではない。0か100かでみた時にどうなのか。この葛藤を自分自身で乗り越えることができるのか。それでも現実から目を背けることはできません。やるしかないのです。県総体に向けてやらなければいけない時期。そこだけを考えて指導をしたい。それは私のエゴであり万人から受け入れられる話ではないのかもしれない。そう感じました。エネルギーの枯渇。枯渇する方が悪いのだろうなと感じています。
 
 
なかなか上手く書けません。批判的な話ではない。今自分が感じていることを書いている。それを批判される可能性もあるのでしょう。そういう時代ですから。
 
 
練習について書きたいのですが、その前段階で力尽きています。伝わらないもどかしさ。それをどれだけの人が認識して生きているのか。私は不器用です。生きづらい人生だと自分でもわかっています。
 
 
ボヤかしながら書いているのでなかなか分かりにくいとは思っています。それでもこの時期にこんなことがあったというのはやはり記録しておきたい。今後のことを考えた時に忘れてはいけない事実だと思うから。
 
 
苦しいですが。見て見ぬ振りをし続けるといえのはやはり私のポリシーとは異なります。
 
 
本当にいろいろあれこれあります。受け止めて生きていきます。
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なかなか

2019-05-19 | 陸上競技
blog更新するタイミングがありません。いや、なかなかです。ある程度チーム作りをしていたと思うのですがまたスタートラインに戻ってしまった感覚があります。このもどかしさは理解しがたいと思います。こういうご時世ですから個人情報云々を言われるので詳細はなかなか書けません。それがまたストレスになる。
 
 
威圧的に有無をいわさずやるというのが一番簡単だと思います。が、それは教育活動ではない。1を言って10を知る。それが理想だと思いますが到底そんな話にはなりません。いきなり10を求めるほど理不尽ではありません。5を言って3ができれば十分かなと。基本完璧にやりたいという部分があります。それはもっと先の話。「目標値」を示してやる必要もあると思います。どこを目指すかをはっきりさせないといけない。が、あまりにも遠すぎて見えない可能性もある。大きな目標と目の前の目標の両方を見ながらです。
 
 
ある者が「授業中にずっと寝ている」と指摘を受けました。話を聞いてみると先日ミーティングの時に寝ていた者。提出物も出せていない様子。授業中に眠たくなることはあると思います。しかし、話を聞こうと思えば自然と身体が前のめりになるはず。興味ないから仕方ないという話ではなくなります。寝ないように努力して睡魔と闘うとい部分があればそこまで指摘されないと思います。起きておこうという意思があるかどうか。それご見受けられないと相手も良い気分ではありません。
 
 
そんな話を聞いて正直がっくりきました。もうすでに来ていたのですが。中間考査が終わってからもう一度ミーティングをしなければいけないなと考えていました。そこに至るまでの練習でもフラストレーションが溜まる。根本的に話を聞いていないというのが明確にあるのだと思います。
 
 
その都度記録していないのであやふやになっています。ここ最近ずっと競技以外の指導に時間を取られます。物事に取り組む姿勢。今は1を言って1できないという部分があります。テスト週間に入ってから数名は練習参加をさせずに勉強をさせることにしました。総体に向けてやらないといけないというのもあります。勉強もさせないといけないという部分もある。勉強会でやった内容をきちんとこちらも確認しようと。1時間程度の練習が終わった時に勉強した内容を見せに来るようにしていました。
 
 
1日目に用事があって確認することができませんでした。翌日に他の者に確認をする。すると「ずっと寝ている者がいる」と。いやいや。1分おきに起こさないといけない。それはどうなのか?勉強会をする意味さえなくなっています。家で勉強をさせればもっとやらない危険性はあります。とはいえどこまで面倒を見るのか。根本的な部分ができない。
 
 
そういう部分も含めて。練習をやっている場合ではないと判断して男子は話をさせました。自分達できちんとルールを決める。私が決めたルールというよりは自分達できちんと決めなければいけない。話し合いをさせましたがこれもなかなか。誰かがリーダーシップを取らなければいけないのですが。何度か2年生男子を呼んで話をしています。その時に「自分達が言っても聞かないかもしれませんが」という発言が。がっかりです。いやいや、何度も言って聞かせないといけない。私もかなりのエネルギーを使って言っています。常に生活指導を練習の時に私がやるのか。話が違わないか。
 
 
練習中、様子を見ていると特定の者だけが準備をします。ミニハードルの足長やハードルの距離も。他の者は後ろの方で話をしている。呼んで「距離が分かるか?」と確認をすると「分かりません」という返答。予想通りです。練習の内容に関してもほぼ理解していないと思います。誰もが最初は分かりません。それでもやっていかなければずっと分からない。分かろうとするのかどうかというのも大きな部分です。
 
 
必要と思えば人は学ぼうとします。興味関心があれば勝手に調べ始める。何度も書いていますが「喉が渇いていない者に水を与えても飲まない」のです。全てを否定するつもりはありません。「やっているかどうか」であればやっていると思います。0か10かで言えば0ではないので。しかし、1なのか3なのか。または8なのか。この大きな違いです。以前指導していたチームでは本当に10くらいの取り組みをしていました。初めてインターハイに行った時です。その時と比べると今の女子は6〜7です。まだまだ。しかし、その女子と比べても明らかに足りない物があります。
 
 
面白くない内容ですが。教育という意味でもう少し書き記しておきたいなとは思います。炎上するかもしれませんが。脚色はしていません。だからといって事実を全て書くこともできません。難しいです。
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