ここ数ヶ月間、自分のやろうとしている事とやっている事が上手く噛み合わない時間があった。イメージしている行動が自分でもできない。自分自身の存在が空気のような薄っぺらい感じがしていた。鬱だとは思わないが、それに近い感覚があったのだと思う。今はどうか分からない。抜け出せたとは到底思えないが。
もっともっと気楽に生きていけたらとは思う。場当たり的にその場さえうまく過ごせば良い。他者を利用しながら自分のことだけを考えてやっていけば良い。そういう感覚がないわけではないのだができない。「真面目だから」と言われることもある。本当に真面目なのかどうかは分からない。融通の利かない人間なのだとは思う。
そんな中で陸上競技に関して感じることがあった。自分自身「何をやってるんだろう「と感じる部分。やりたいことが本当にできているのか。何をやっているのか分からないなと。数日前に「きちんと動きを徹底しなければ走れなくなる」とふと感じた。その感覚はきっと正解だと思う。
そう感じてとにかくパソコンに向かって文字にした。基礎技術の部分をどうにかしたい。簡単に確認できるものを作りたい。そう感じてひたすら文字にしていくことにした。誰かのためというわけではなく自分自身のためにというのが大きい。もちろん作った資料を渡さなければいけないという部分もあった。それ以上に自分自身が何かをしなければ気が狂ってしまいそうな感覚があったから。
競技に関してかなり考えていると思う。もっと適当にやっても走れるようになると思う。スプリントについて考えなくても速い者は速い。その現実は絶対に避けられない。必死にやってもなかなか力が出せない者もいる。それは受け入れなければいけない。競技に関して「こうでなければいけない」と感じる部分が増えていた。専門的にやっている自負はある。が、あまりにも細かすぎて必要以上にやっている感じもある。
本当に本当に必死に考えた。人生の中で一番競技について考えたかもしれない。周りから見たら「おかしい」と思われるだろう。それでも今の自分を乗り越えるためには必死に考えるしかない。そう思っていた。
「誰かのためにやる」という感覚がある。よくよく考えてみるとそれにより「自分を正当化している」だけなのかもしれない。やっていることが他の誰かの役に立っていることで自分の存在価値を示したかっただけなのかもしれないなという感覚もある。正解かどうかを決めるのは結局自分自身なのだと思う。本当は認められたいという自己承認欲求が誰よりも強いのかもしれない。それはそれでもういい。今の自分には関係ない。
必死に。本当に競技のことだけを考える数時間。何をやるべきなのか。何が必要なのか。競技について。結局、今の自分を支えているのは「陸上競技を好きだ」という感覚だけ。無趣味だと思う。大学院を卒業する時に「もっと陸上競技について知りたい」と思っていた。もう20年も前の話。その時の想いを忘れていたのかもしれない。
考えたことはまた文字にしておきたい。今は今の想いを書いておく。考えたことでこの数ヶ月、視野が狭くなっていて指導の中で本筋を外れていたのではないかなという気はしている。元々やりたいこと、やるべき事を見失っていたのかもしれない。思い通りに行かないことの方が圧倒的に多い。だからこそどうするか。そこに尽きる。
技術的なことも少し触れておきたいと思っている。これはまた別に。少し進めるかもしれない。