色々と思うことがある。陸上競技と関わってきたことで今の自分があると思う。感覚的になかなか分かってもらえない気はする。別に陸上競技だけしかできないということはないと思う。が、一番教育的な効果があるの ツールが自分にとって陸上競技なのかなと。
とはいえ、ここ最近のことは自分の中で上手く処理できない。指導観を根底から覆される可能性がある部分。様々な指導に対する考え方があると思う。ドライな指導はできないと思うが、今の時代にはそういう指導の方があっているのかもしれない。大きな見返りを求める気はないが根本的な部分が変わらなければなにも変わらない気がする。
人に付いていく。そうすればなんとなく上手くいく。本当は上手くいっていないのだがその時間は適度に誤魔化せる。これを良しとするかどうか。私自身はそれが嫌だなと思い続けてきた。きちんと考えて動く。裏表なく行動する。それを求める。表面的にやっている振りをしてもここはなにも生み出さない。
「やることをやったかのように見せかけて手を抜いたことはありませんか?見せかけだけの努力が本当の成功につながるのでしょうか?成功におよばないのがわかっていて、なぜそんな見せかけがけの苦労をするのでしょうか?見せかけなど関係ないのです。一生懸命できることをするしかないのです。成功に近道などありません。忍耐力と目的に向かう集中力がなにより必要です。格好をつけるだけでなく、自分らしさの勝利に向かうことが大事なのです。見せかけはただ単に成功の幻覚をつくりだすだけなのですから…」。
これは2006年にblogに書いています。10年以上前の内容。それは今も昔も変わらない。時代と共に変わっていくものではない。結局、その場しのぎで何かをやっていても変わらない。怒られるからやる。相手によく思われたいからやる。そういうスタンスで物事を考えていくのは違うのではないか。ずっとずっと思っていました。
表面的な話をするだけで何かを生み出すか。競技をすればそれでいいのか。逆に人間性が高まれば競技はどうでも良いのか。ここを考え出すと苦しくなります。なにをやっているのか分からなくなる。競技も人間性も育てられなかったら存在意義はないのではないか。
そんなことを考えている。指導観とはなにか。譲れないものとは何か。自分の中で処理できない感情がある。
上手く書けない。情けない話です。