競技の指導をする。これがこれまでの生活の中心でした。それが当たり前。それ以上でもそれ以下でもない。
そんな中でちょっと想うことがありました。本当にこれで良いのか?何かを求める。しかし、こちらの一方的な想いでしかない。本当にやりたいのは私だけなのではないのか。こればっかりは私の思い込みなのかもしれませんが、本当に強くなりたいのであればやらなければいけないことがたくさんあるのです。
そんな想いが頭の中をクルクルと回っていました。情熱を注ぐというの簡単なことではありません。顧問なのだからやるのが当たり前と言われるのかもしれませんが、それは違うと思います。全てをやるのが当たり前という感じでしかない今の世の中の流れがすごく嫌でたまりません。生徒主体でそこはすごく重視しろという流れがありますが、それに関わる指導者の社会人としての権利は全く議題に上がりません。ブラック企業云々が世間で言われていますが、一番ブラックな部分が残っているのは部活の顧問ではないかと思います。やって当たり前だから指導しなければ批判を受ける。厳しく指導をしたらやり過ぎだと叩かれる。こんな理不尽なものはないですね。
何かしらの見返りを求める。金銭的なものではなく精神的なものだと思っています。それすら許されない世の中の流れがある。多くの犠牲を強いられているにも関わらず、それをやるのが当たり前と言われる。やらなければそこを批判する。やればそこを批判する。万人を納得させる方法というのはないのです。
選手が何を求めているか?こちらだけが本気になるというのはものすごく負担です。しかし、誰が限界を超えることができるというのを教えなければいつまでたっても自分の中での満足感で終わってしまう。大会に出て思い出作りで終わってしまう。それを見ている指導者が「まーいいんじゃないか」と思うのであればそこまで。大会に出ることを目標にする、練習しないで出るだけで終わり。そこに楽しさはないと思っています。これも価値観の押し付けなのでしょうか。
持っている力を最大限に引き出す。これはこの世に生を受けた者として絶対にやらなければいけないと思っています。でも、その力を出しきれずに終わってしまう子供達が数え切れないくらいいる。その現実を目の前にして我々に何ができるのか?何かをしなければいけないと想う人間がどれだけいるのか?このことを考えると本当に自分がやらなければいけないことが曖昧になってしまう。
真剣に苦しいなと感じています。考え過ぎなのかもしれません。しかし、世の中には自分の力ではどうにもならないことがたくさんあって、自分の関わりの範疇を超えることも数え切れないくらいある。それでも「やらなければいけない」と求められる。ここに苦しさを感じています。本当にそこまでできるのか?本当に私の責任の範囲なのか?考えると限界を越えるんじゃないかと思う。
それでも人は「やらなければいけない」「やるのが当たり前」と求める。キャパシティを越えるモノが実際にあるのかとしれない。狭く薄く関わるのならできる。しかし、性格的にそれが出来なくて、それが苦しくて。
何をしなければいけないんだろう。エネルギーが枯渇しつつある状況でなにができるか?本当に難しい事です。
考え方を切り替えないといけないのは分かっています。もうしばらく時間をください。ここを越えないといけない。分かっているんですがなかなか...。
そんな中でちょっと想うことがありました。本当にこれで良いのか?何かを求める。しかし、こちらの一方的な想いでしかない。本当にやりたいのは私だけなのではないのか。こればっかりは私の思い込みなのかもしれませんが、本当に強くなりたいのであればやらなければいけないことがたくさんあるのです。
そんな想いが頭の中をクルクルと回っていました。情熱を注ぐというの簡単なことではありません。顧問なのだからやるのが当たり前と言われるのかもしれませんが、それは違うと思います。全てをやるのが当たり前という感じでしかない今の世の中の流れがすごく嫌でたまりません。生徒主体でそこはすごく重視しろという流れがありますが、それに関わる指導者の社会人としての権利は全く議題に上がりません。ブラック企業云々が世間で言われていますが、一番ブラックな部分が残っているのは部活の顧問ではないかと思います。やって当たり前だから指導しなければ批判を受ける。厳しく指導をしたらやり過ぎだと叩かれる。こんな理不尽なものはないですね。
何かしらの見返りを求める。金銭的なものではなく精神的なものだと思っています。それすら許されない世の中の流れがある。多くの犠牲を強いられているにも関わらず、それをやるのが当たり前と言われる。やらなければそこを批判する。やればそこを批判する。万人を納得させる方法というのはないのです。
選手が何を求めているか?こちらだけが本気になるというのはものすごく負担です。しかし、誰が限界を超えることができるというのを教えなければいつまでたっても自分の中での満足感で終わってしまう。大会に出て思い出作りで終わってしまう。それを見ている指導者が「まーいいんじゃないか」と思うのであればそこまで。大会に出ることを目標にする、練習しないで出るだけで終わり。そこに楽しさはないと思っています。これも価値観の押し付けなのでしょうか。
持っている力を最大限に引き出す。これはこの世に生を受けた者として絶対にやらなければいけないと思っています。でも、その力を出しきれずに終わってしまう子供達が数え切れないくらいいる。その現実を目の前にして我々に何ができるのか?何かをしなければいけないと想う人間がどれだけいるのか?このことを考えると本当に自分がやらなければいけないことが曖昧になってしまう。
真剣に苦しいなと感じています。考え過ぎなのかもしれません。しかし、世の中には自分の力ではどうにもならないことがたくさんあって、自分の関わりの範疇を超えることも数え切れないくらいある。それでも「やらなければいけない」と求められる。ここに苦しさを感じています。本当にそこまでできるのか?本当に私の責任の範囲なのか?考えると限界を越えるんじゃないかと思う。
それでも人は「やらなければいけない」「やるのが当たり前」と求める。キャパシティを越えるモノが実際にあるのかとしれない。狭く薄く関わるのならできる。しかし、性格的にそれが出来なくて、それが苦しくて。
何をしなければいけないんだろう。エネルギーが枯渇しつつある状況でなにができるか?本当に難しい事です。
考え方を切り替えないといけないのは分かっています。もうしばらく時間をください。ここを越えないといけない。分かっているんですがなかなか...。