あまでうす日記

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幸徳秋水著「兆民先生」「兆民先生行状記」を読んで

2020-05-08 11:51:25 | Weblog


照る日曇る日 第1396回

本邦初の社会主義者の一人幸徳秋水は、青年時代から中江兆民の愛弟子で、秋水という雅号を兆民からつけてもらった。
はじめは「処世の秘訣は「朦朧」にあるから、その同意語たる「春曖」にせよ」と勧められたのだが、曖昧なる生き方を憎む幸徳は、その正反対の意味を持つ「秋水」をもらったのである。幸徳秋水が幸徳春曖なら大逆事件で死刑にならなかったかもしれないが、それでは幸徳秋水はついに幸徳秋水たりえなかっただろう。

本書はそんな弟子秋水による恩師の伝記と人物論である。
秋水によれば仏蘭西に留学してルソー「民約論」の影響を受けたリベルタン兆民の政治活動の最大の力点は、板垣、大隈の両党首、自由、改進の両党を糾合して藩閥政府の専権横暴を掣肘し、西欧流の革命の鼓吹者たらんすることにあったが、その野望は自由党員の裏切りによって九仭の功一簣に欠き、遂に自由民権運動の総崩れに終わった。

政治活動から手を引いた兆民は、実業家を目指すが利殖の観念なきドン・キホーテは、赤貧洗うがごとき窮乏と不治の病に苦しみつつも、和漢洋の博識に裏付けられた文筆の才を駆使して、超ベストセラー「1年有半」「続1年有半」を明治34年の師走の夜空に打ち上げて、55歳で卒然と長逝したのである。

 とりあえず自粛はするが生活の様式なんぞは自分で決める 蝶人

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