あまでうす日記

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聖書協会2018年版新約聖書で「ヨハネによる福音書」を読んで

2020-10-13 22:27:31 | Weblog
照る日曇る日第1478回


マタイ、マコ、ルカという所謂「共観福音書」の埒外にあるヨハネ伝は独自情報の記載が多く、ゆえに作者の個性が濃厚に反映された文章になっている。

例えばイエスと共に十字架につけられた2人は足を折られたがイエスは折られず、しかし他の2人と違って脇腹を槍で突かれたという後にワーグナーの「パルシファル」に霊感を与えた逸話などはその十字架の下に佇んでいた者でなければ記録できない出来事だったろう。

ヨハネ伝16章の「精霊の働き」「苦しみが喜びに変わる」「イエスはすでに世に勝っている」などの言説、続く17章の長大な「イエスの祈り」などはイエスと一体になり、メシアに成り代わったヨハネの猛烈なドグマ、といって悪ければ熱烈なる信仰告白だろう。

イエスの言葉は神の言葉だ。イエスは神であり、神はイエスだ。この単純にして明快な真理をいますぐにここで信じる者だけが永遠の生命を勝ち得ることができるのだ。さあ、信ぜよ。信じる者は救われ、不信の者は裁かれるであろう。

白か黒か、神か悪魔か、天国か地獄か、と迫ってくるヨハネは、イエスが神の化身であるように、イエスの化身であり、いわば神とイエスとヨハネが三位一体になって我々読者に迫ってくる。

その時もはやキリスト教はいちユダヤ、いちイスラエル民族の田舎宗教を大きく逸脱して、世界宗教の普遍性を獲得したのである。


 体制に抗う者を切り捨てるいよよ露わなふぁしずむへの道 蝶人
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