照る日曇る日第1531回
石川氏の解説によれば、平安時代の歴史書「大鏡」の著者は、藤原道長の五男能信に親近した人物らしい。よってその内容は、鎌足以降の藤原氏の歴史を辿りつつ、その絶頂期を迎えた道長の人となりやあれやこれやの史実が点描されており、それが面白い人には面白く、アンチ藤原の読み手には詰まらなくてかつ頭にくる読み物なのだろう。
それからこの歴史書は、先行する「栄花物語」などとは違って、190歳の老人、大宅世次を中心に、夏山重木とその妻が語り部となって、30歳くらいの侍にいろいろと物語るという形式になっているのが、まことにユニークである。
よく知られているように、道長は父兼家の5男であり、普通なら兄たちの支配に甘んじる運命にあったはずだが、有力者の長男道隆が飲酒、3男の道兼がコロナならぬ伝染病で急死したために思いがけずお鉢が回ってきた。
道長の栄達を快く思わぬ道隆の嫡男、伊周との相克は花山法皇への弓矢事件、道長暗殺未遂事件も併発しながらエスカレートしていったが、激する伊周を武力と政略を使い分けながら巧みに懐柔する道長の手腕は見事というも愚かである。
本文には、色々な人物の様々なエピソードが、泉から水が湧くがごとく噴出してくるが、とっておきの逸話をひとつ。

三条天皇妃となった道長の妹綏子は、帝がまだ皇太子のころ尚侍として仕えていたが、源頼定と浮気していた。
心配になった帝に頼まれた道長は、自ら綏子の部屋に乗り込み、胸を開いて乳房を捻ったところ、白い乳が道長の顔に「さと走りかかった」ので、無言のまま東宮に参上して「まことにさぶらひけり」と報告したという。(大鏡第四大臣列伝 太政大臣兼家より)
種のない柿や葡萄を食いながら画竜点睛を欠くと思えり 蝶人