照る日曇る日第1529 回
2001年4月10日から、2011年10月21日までの著者最晩年の覚書だが、普通の書物の普通の文章よりも切実で心に残る断片が随所に転び落ちてメモせずにはいられない。
うまい文章を書く望みはない。自分の目標は、こびのない文章を、書くことだ。
「宝船」と書いた紙片を枕にして寝たところ、託宣あり。
支離滅裂の力を信ぜよ。
古雛や 顔はればれと60年 (芥川文 60歳の節句)
はじめもおわりもないとすればどうか。
自分で考える。そのとき人は引用文に負けない。
マックアーサー オーム コイズミ ホリエモン(現代日本史) 2006年1月25日
死んだ時に出してほしい挨拶
年 月 日、なくなりました。これまでおつきあいいただいたことをありがたく思っています。焼き場にはもう送ってもらえたと思います。しのぶ会のようなことは、なさらないでください。生前ご迷惑をかけたことを申しわけなく思っています。鶴見俊輔
死ぬ覚悟はない。そのまま死に近づく。
自分が遠い。2011年5月20日
国家と公は違う。このことに1928年から苦しんできた。国家のいうことがそのまま公だという考え方に組することができない。90歳を前にして。
鶴見選手は2011年10月27日、脳梗塞によって言語の機能を失い、2015年5月20日、肺炎のため死去した。亨年93歳。
沈みゆく戦艦武蔵のマストにて「お母さん!」と叫ぶ少年兵 蝶人