あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

主婦の友社版「誰もが泣いて喜ぶ愛と感動の冠婚祖祭その他諸々挨拶&スピーチ実例集No.34」

2021-01-15 16:36:25 | Weblog

西暦2021年睦月蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話第357回

○花見に行く時の課長のあいさつ

大東文化学園教務課のみなさん。お仕事ほんとうにご苦労さまです。*1
いつも偉い大先生と優秀なる生徒さんの面倒を見ていただき、本日彼らになり代わって、わたくし教務課長の前田修が厚く厚くお礼申し上げる次第であります。
さて、わが大東文化学園教務課におきましては上野公園と飛鳥山公園のいずれかでお花見を楽しんできましたが、今回はじめてここ谷中墓地にて堂々花見決行の運びとなりました。その理由は、ここが神聖なる墓地であるために、比較的混まないからであります。

それはいわば当然のことでして、昔はお墓で花見をする馬鹿はいなかった。*2
しかし近代に入ってからは、ある文学者が「すべての桜の樹の下には死体が眠っている」と宣言し、そう言われて見るとそんな気がするという酔狂な文化人が増大し、それならいっそ墓地で夜桜見物としゃれこもう。それがいい。それがトレンディだ。最高に風流だ。と、こう相場が決まったのです。

さてここで、大東文化学園教務課のみなさん。見上げてください夜の星を!
ここにはかつて東京で一番高い五重塔が聳えておりました。幸田露伴は私たちが座っているこの場所から歩いてわずか5分のところに住んでおりました。

露伴は明治24年、彼が25歳の頃、天王寺のほとりに居を構え、道の行き帰りにこの五重塔を眺めながら、小説『五重塔』を新聞に連載したのでありました。
小説『五重塔』は、谷中感応寺の住職朗円上人に五重塔の造営を依頼された大工のっそり十兵衛と棟梁源太親方の男同士の炎の争いと友情の物語です。
ご存知でしょうか? ちょっと話題が古すぎるかな。しかしやっぱり江戸の職人魂には圧倒されますねえ。

小説はともかく、寛政4年に日暮里の大工八田清兵衛ら48名によって建立された五重塔は、昭和になってから若い男女の失火事件で一夜にして燃え尽きてしまいました。
その10分の一の模型は、深大寺に保管されていますが、谷中の人たちはいまも五重塔の再建を夢見て運動を続けているのです。
という訳で、往時を偲びながら今宵は心ゆくまで酔いましょう。*3

それから最後になりましたが川本君、朝から場所取りおつかれさまでした。

○アドバイス
*1花見は日頃のストレスを吹き飛ばす絶好のチャンスでもある。
*2この言葉は、作家梶井基次郎によって有名になった。後段に引用した幸田露伴の「五重塔」といい、この課長は文学趣味の持ち主につき、部下にはよく意味が分からないあいさつになってしまったかもしれない。しかしただ花見にやってきて酔っ払うだけでは芸がなさすぎる。たまには花見とともに、歴史や芸術の勉強を楽しむのも一興であろう。
*3誰にも経験はあるだろうが、花見の陣地確保は結構大変である。さすがは課長、細かい気配りがにくい。


  ウオシュレットも食器洗い乾燥機も故障して朝から待つが修理屋は来ない 蝶人
コメント
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