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照る日曇る日第1630回
水戸藩の学者の子孫に生まれた山川菊栄による懇切丁寧な覚書である。
祖父の青山延寿やその一族の延光が、藩主の斉昭に仕えた儒者なので、これを読むと、尊王攘夷の親玉と見做されている水戸藩の烈列やその取り巻きの人々の言動や人となりが、よく分かる。
例えば烈公こと斉昭は、この時代の諸藩の君主と違って庶民的で、お城を飛び出して城下町の民草の台所にまで勝手に入り込んでかたらっていたとかいうくだりは、まるで映画の登場人物のように浮き上がってくる。
しかし烈公と水戸藩が、会沢安の「新論」をバイブル、藤田幽谷、東湖父子などを知恵袋として尊王攘夷のイデオロギーを先導し、幕府と朝廷に大きな刺激と影響を与えていた時間は比較的短かった。
「安政の大獄」と「戊午の密勅」事件を経て、斉昭の後を継いだ阿呆莫迦息子の慶篤の時代には、藩内の「檄派」と「鎮派」の、喰うか食われるか、殺すか殺されるかの血みどろの内ゲバが、水戸藩の善きものすべてを押し流し、ようやくご一新が大号令と共に開始された時には、「これと思う人物はただ一人も残っていなかった」という惨状だったのである。
「檄派」と「鎮派」いずれが正にしていずれが邪か、という問題は、いち水戸藩だけの争闘にとどまらず、いつの時代、どこの国でも繰り返し持ち上がってくる普遍不滅の地獄煉獄の2択問題で、近くは本邦の新左翼内テロルがそれだった。
先祖の青山一族はどちらかというと天狗党などの檄派に親近を感じる人物だったらしいが、著者の両派に向けられた視線はいっぽうに偏することなく、まことに厳正中立で清々しいので、おおいに救われる。
また山川均の妻にして我が国の女性問題の草分けである著者が、水戸藩(のみならず全国)の女性蔑視に対して向ける、さりげないが鋭い批判も忘れるわけにはいかない。
最新のニュースを載せた新聞もあっという間に便所紙1巻 蝶人