音楽千夜一夜第484回&蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第408回
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セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はアメリカで活躍したロシア系ユダヤ人指揮者で、1908年にベルリンで指揮者としてデビュー。ロシア革命から逃れて渡米してからは、1924年から1949年まで四半世紀にわたってボストン交響楽団のシェフを務めた。
彼の前のボストンのシェフは、ピエール・モントゥーであり、彼の跡を継いだのがシャルル・ミュンシュ、その後がエーリッヒ・ラインスドルフ、ウイリアム・スタインバーグ、そしてその後が小澤征爾の長い長い治世になる訳であるが、ボストンの音楽の基礎は、他ならぬクーセヴィツキー選手によって築かれたというても過言ではないだろう。
その証拠に、その大半が手兵ボストンを振ったこのCD集で聴けるベートーヴェン、ブラームス、ハイドン、バッハ、シューベルト、ワーグナー、チャイコフスキーなどは、欧米古典再現芸術の王道を行きつつ、随所でこの時代の新感覚を発散させるていのもので面白い。
こころみにモザールの交響曲40番を聴いてみると、第1楽章の主題を再現するたびにテンポを落としたり、かと思うと早くしたりして、ライヴでありつつ試行錯誤しているのが極めてユニークな演奏。そこで今改めて調べてみたら珍しやボストンではなく1934年にロンドンフィルを振ったライヴ演奏なので、お互い少しく、とち狂ったのかも知れないなあ。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」法隆寺には柿が生っていた 蝶人
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セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はアメリカで活躍したロシア系ユダヤ人指揮者で、1908年にベルリンで指揮者としてデビュー。ロシア革命から逃れて渡米してからは、1924年から1949年まで四半世紀にわたってボストン交響楽団のシェフを務めた。
彼の前のボストンのシェフは、ピエール・モントゥーであり、彼の跡を継いだのがシャルル・ミュンシュ、その後がエーリッヒ・ラインスドルフ、ウイリアム・スタインバーグ、そしてその後が小澤征爾の長い長い治世になる訳であるが、ボストンの音楽の基礎は、他ならぬクーセヴィツキー選手によって築かれたというても過言ではないだろう。
その証拠に、その大半が手兵ボストンを振ったこのCD集で聴けるベートーヴェン、ブラームス、ハイドン、バッハ、シューベルト、ワーグナー、チャイコフスキーなどは、欧米古典再現芸術の王道を行きつつ、随所でこの時代の新感覚を発散させるていのもので面白い。
こころみにモザールの交響曲40番を聴いてみると、第1楽章の主題を再現するたびにテンポを落としたり、かと思うと早くしたりして、ライヴでありつつ試行錯誤しているのが極めてユニークな演奏。そこで今改めて調べてみたら珍しやボストンではなく1934年にロンドンフィルを振ったライヴ演奏なので、お互い少しく、とち狂ったのかも知れないなあ。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」法隆寺には柿が生っていた 蝶人