照る日曇る日第1631回
子規の晩年、明治34年の1月13日から7月2日まで「日本」紙上に連載された随筆集である。
子規は俳句において、なにが「月並み調」なのかを、何度か取り上げているが、結局それを感じ取ることはできても、理屈で定義できずに終わっているところなどはなかなか面白い。
また自費で西航する中村不折への激励文をはじめ、日本画、西洋画に対する子規の感想文が殊に面白いのは、この芸術家の本領が、よく世間でいわれる俳句や短歌よりも、むしろ絵画にあったことを推察せしめて、まことに興味深い。故郷松山の子規記念博物館の作品展示がそれを証している。
「4月24日」の項では、死期間近で煩悶する動物たちに手を当てて安楽死させる兎が出てくるが、「夢が覚めて後いつまでもこの兎のことが忘れられない」と書く子規の心情が、胸に迫る。
江戸時代に不毛を極めた短歌(和歌)では、万葉調に徹した平賀元義を高く評価し、その生涯と作品の紹介に力を入れているが、それが大いなる周回遅れであることは別にして、彼の歌の出来具合が、元祖の万葉歌人に遠く及ばないのは皮肉である。
子規自身の俳句や短歌もかなり載せてあるが、有名な「藤」の歌を除くと、それほどのものとは思えず、むしろ墨汁一滴で書き下ろした短文に物凄いものがある。
試みに我枕もとに若干の毒薬を置け。而して余が之を飲むか飲まぬかを見よ。(5月11日)
刺客は無くなるものであらうか無くならないものであらうか。(6月23日)
人相の善からぬ男女が我こそは次期総裁なりとテレビに出まくる 蝶人