照る日曇る日第1639回
朝日新聞日曜版に連載されたエッセイでその名を知って、はじめて手にとった長篇小説です。全篇をすらすら読み終えることができてその点だけは喜ばしかったが、振り返ってみればなにも残ってはおらへんかった。
「美貌の姪に恋焦がれて一生を棒に振る可哀想な叔父さんの悲恋物語」、といえばいえそうな噺ですが、その悲劇的な最期に一掬の涙を催す読者など、この世に誰一人いそうにないのです。
はっきりいうて、物語の中核をなすプロットがとってつけたように胡散臭く、はじめは作者であった話者が、どういう風の吹きまわしか「終章」だけはヒロインの独白に変わってしまう全体構成といい、「宝石のような思い出」のようなとてもプロとは思えない安直な言葉遣いといい、「なんだこれが本当の直木賞作家の作品か!?カルチャセンターの小説志望家の習作じゃないの?」と思わず目を剥いてしまうような、「破天荒」なアマルガムのパッチワークのような代物?でありました。
冒頭のジャン・グルニエの「孤島」からのエピグラフが既にあざといまでに衒学的ですが、ヒロインの職業が、チャイコフスキー好きのピアニストということで、あちこちにクラシック音楽の蘊蓄のような糟粕が散りばめられ、本書のタイトルもバッハの「マタイ受難曲」の第39曲から採られているようですが、それらが歯の浮くように空虚な物語をさらに白々しくするような効果をもたらし、とてもとても気恥ずかしいのであーる。
このせつのポット出の芥川賞受賞作家より、ベテランの直木賞作家のほうが遥かにマトモだと信じていたおらっちがきっと莫迦だったのでせう。
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「土方だよ。あんたに土方ができますか?」そう言われて答えられないボク 蝶人