照る日曇る日第1643回&&西暦2021年神無月蝶人映画劇場その2
闇にまぎれてtyojin cine-archives vol.2667~68
○「伊豆の踊子」は1926年に書かれた川端康成の代表作であるが、「雪国」と同様冒頭の叙述が素晴らしい。
「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた」とは、どんな作家でもなかなか書き下ろせないものであり、これを映像に出来た作品もない。
短編の結末では踊子との別れは淡々と即物的に描かれているが、映画では感動的なフィクション作りに力が入っている。原作ではむしろ踊子そっちのけで上野まで届けるべき気の毒な老婆と孫娘に視線が届いているのである。
川端は、あえてアンチクライマックスのクライマックスを意図したとでも評すべきか。
ヒロインの踊子について原作では「この美しく光る黒目がちの大きい目は踊子の一番美しい持ちものだった。二重瞼の線が言いようもなく綺麗だった。それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うという言葉が彼女にはほんとうだった」と印象的に綴られているが、この描写にふさわしいのはもちろん山口百恵ではなく吉永小百合だろう。
○西河克己監督の「伊豆の踊子」
1963年に吉永小百合と高橋英樹主演で4度目の映画化。2人の下田の港の別れに泣かされます。
○西河克己監督の「伊豆の踊子」
山口百恵、三浦友和主演による1974年のリメイク作品だが、63年の吉永、高橋版に遠く及ばない。
十五夜と十六夜月は見たけれど立待月居待月は見ずに畢んぬ 蝶人