あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

鈴木志郎康著「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は。」を読んで

2016-10-14 16:30:44 | Weblog


照る日曇る日第901回


我が敬愛する詩人の最新作27編を通読しておのずから浮かんできたのは京の六波羅蜜寺に立っている平安時代の僧、空也上人の彫像でした。

浄土教の先駆者、口唱念仏の祖と伝えられる上人の口からは、6体の小さな仏像が流れ出し、それは「南無阿弥陀仏」の念仏を象徴すると伝えられていますが、わが志郎康上人も朝な夕なに念仏ならぬ詩の言葉を連射されております。

いずれの上人様も、生きるため、生き続けるためには、次々に言葉を吐きださずにはいられない。それがおふたりの運命だったのですが、言葉の向かう先が違います。

空也上人は世のため人のためにパブリックな普遍性を求めてやまないのですが、志郎康上人ときたらその正反対に、自分自身のことばかりを吐き散らす。ご自身では「極私詩」と自称されている「自己中な」詩ばっかりなのですが、よく読んでみると、ごちゃごちゃと身辺雑事を語る「振り」をしながら、そのよたよたと歩きだす先、その二重に見える視線の先にくっきりとフォーカスされるのは、「化石詩人」がとっくの昔に放棄したこの世の中の、この国の、この世界の奇妙な「ねじれ」です。

詩を主題によって査定するなんて愚の骨頂であるとはいくら愚昧な私だって百も承知ですが、それでもこの際あえて言うておきたい。この詩集と同じ時期に書かれた所謂有名詩人のいったい誰が、この国の私生活とないまぜになった危険極まりない政治動向や全世界の平和を脅かす非寛容なテロルの暗雲について、きちんと言及しているでしょうか。

「極私詩」とあえて自称しながら、その詩の射程距離は北朝鮮の長距離ミサイルよりも遠く遥かに飛翔して反語的な「宇宙詩」と変じ、

突っ走れ。
ご飯食べてうんこして、
この空無を
突っ走れ。
この悲しさを
突っ走れ。
んっぱしれ、んっぱしれ。 (「独眼竜ウインク生活でこの空無を突っ走れ。」より引用)

などと、呟きながら、たちまち極私的な子規庵の四畳半的時空に戻って来る、この魔術的な往還!

この三千世界を自在に飛翔する孫悟空由来の觔斗雲こそ、傘寿を迎えた「非化石詩人」がついに獲得した「志郎康流どこでもドア詩法」なのです。


  ネアンネアンネアン空無空無空無今日も悲しみは疾走する 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由律詩歌その8

2016-10-13 09:57:54 | Weblog


ある晴れた日に第409回


ギンギラギンに騒ぐ奴

紅白には分けられませんLGBT

海鴎ヒチコック映画の如く来襲す源氏池

ナウくてイカす奴やったなあボウイ

ボーイじゃなくてボウイ

男ではなく女でもなさそうな第三の性

男でもあり女でもあるような私たちの性

高橋の源一郎が急ぎゆく鎌倉駅の東口かな

雪の日には詩を書こう

晴れた日には詩を書こう

曇りの日にも詩を書こう

一点突破、全面展開

明るい話題は琴奨菊くらい

明るい話題は錦織圭くらい

蓮佛美沙子の声は優しい

錦織選手と一緒に一球毎に戦っている

アンドロイドが市役所の行方不明アナウンスをしている

鞭声粛々ベンチャーズ

斜に切らないハスキル

同じCDを何度も買う意味

1年の疲れを1年かけて治していこうとするんだが

添え書きの一行もなし年賀状

日曜日が嫌いな女ココ・シャネル

三千世界総右翼

いざ血路を切り開かむ


 チェ・ゲバラがあまりに早く死んだのでその身代わりでカストロ生きてる 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

邦画を2本

2016-10-12 10:59:12 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1087&1088


○熊井啓監督の「日本の黒い夏 冤罪」


実際はオウムの殺人事件であったのに、無実の人を警察とマスコミが犯人にでっちあげてゆく冤罪事件の事の次第を追及する映画である。

こういう冤罪はその後も後を絶たず、おそらくそういう構造がいまなお生きながらえているのではないだろうか。

二木てるみ、細川直美、遠野凪子など珍しい役者が出ているが、熊井が遠野をかっていたことが分かる。 


○黒木和男監督の「紙屋悦子の青春」をみて


戦争のために好きな男と一緒になれず、その男が身代わりに薦めた親友と結婚した青春なき女の青春の物語。その悲劇を戦争への怒りや抗議として対象化せず、ひたすら耐え忍ぶのはこの国の当時のならわしであったが、いまもそれを是認するような姿勢でこの映画が演出されていることに違和感を覚える。


生きていれば年金がもらえるもらえれば息子の年金がはらえる生きている 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツ・ハルモニア・ムンディ50枚組ボックス第2弾を聴いて

2016-10-11 10:18:07 | Weblog


音楽千夜一夜 第374回


1958年ルドルフ・ルービとDr.アルフレート・クリングス(故人)により創立されたドイツ・ハルモニア・ムンディ・レーベルの50周年を記念して2008年に発売された50枚組CDの第2弾です。

あの余りにも素晴らしかった第1弾に続いて、2014年の暮れに限定発売されたこのボックスも、たちまち品切れになってしまいましたが、モンテヴェルディ、ヘンデル、バッハ、ヴィヴァルディ、ベートーヴェン、シューベルトまでなんでもありの名曲の名演奏がたったの4000円で買えるという夢のようなコンピレーション。とりわけヘンデルの木管楽器のためのソナタ全集やモザールのフルート四重奏曲と弦楽五重奏曲の演奏にしびれます。

 私は歯痛に悩まされた1ヶ月間、この50枚を繰り返し聞き続けていました。


 キャンパスの四つ葉のクローバーを探しつつ大隅博士ノーベル賞得たり 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「谷崎潤一郎全集第16巻」を読んで

2016-10-10 10:54:36 | Weblog


照る日曇る日第900回


この巻では「武州公秘話」、「倚松庵随筆」、「青春物語」の3篇を中心に編まれているが、やはり未完に終わった「武州公秘話」の被虐趣味の果てしもない暗さと深さに驚かされる。

鼻を削がれた武者の女首になって、美女の手や指や冷酷な視線に弄ばれたいとはいったいどういう変態性欲であることか。

されどそういう目に遭わされたり、実際にそういう目に遭ったと想像するだけで興奮するような心身の機制は、この小説に生々しく描かれているように確かに存在するのだろうが、谷崎君、さすがの私もそこまではついて行けないのが、残念であるんで、あるんで、あるん。

「倚松庵随筆」の「佐藤春夫に与へて過去半生を語る書」では、谷崎が千代夫人を佐藤選手に譲るに至った経緯を執拗に語って、読者を辟易させる。作家とはなんと因業な商売であることよ。

「青春物語」では、若き日の著者の交友と豪遊の軌跡が赤裸々に語られているので読みものとして面白いだけではなく、昭和初期の文壇の様子がよく分かる。当時は自然主義派の勢いが猛烈で、鴎外漱石などを除く非自然派は逼塞を余儀なくされていたのであるなあ。


   アーノルド・パーマーが原宿に植えし桜の木今いずこ 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Go ahead, Make my day! クリント・イーストウッド主演の「ダーティハリー」ずらずらずら

2016-10-09 10:10:04 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1085、1086


○ドン・シーゲル監督の「ダーティハリー」をみて

記念すべきシリーズ第1作ではあるが、その出来ばえはあまりぱっとしない。
連続殺人犯がかける公衆電話に振り回され必死でサンフランシスコじゅうをかけずりまわる刑事。
御苦労なことである。


○テッド・ポスト監督の「ダーティハリー2」をみて

悪者をどんどん征伐しちゃう警官仲間、という図式はいっぱいあるが、1973年製作の本作がその嚆矢かもしれない。脚本をなんと若き日のマイケル・チミノが書いている。


○ジェームズ・ファーゴ監督の「ダーティハリー3」をみて

最初は嫌がっていた女性の相棒との交情が次第に深まり、それは彼女の殉職で哀しくスパークする。この哀愁の情はクリント・イーストウッド監督では絶対に出せなかっただろう。


○クリント・イーストウッド監督主演製作の「ダーティハリー4」をみて

ならず者たちに暴行された女性ソンドラ・ロックの犯人への復讐がテーマになっています。いたいけな妹ともども遊園地の回転木馬の中で強姦された彼女は、怒りの弾丸を陰部と脳天に1発ずつ撃ち込み、血の報復の輪をまさに完成させようとしたときにサンフランシスコ市警のキャラハン刑事が登場しとのたもうのです。

暴力装置としての国家権力にがんじがらめに囲繞された私たちは、もはや他者によって加えられた犯罪や暴力に対して自力で対処する自然かつ当然の行為を禁じられ、そのすべての落とし前を国家権力にゆだねてよしとしているように表向きは見えますが、ホントの本音の部分では、爬虫類の脳が、「目には目を、歯には歯を!」と絶叫しており、実際にはそうした表層の人間脳の知的な判断を爆砕して第2の犯行におよぶ例は枚挙に暇がありません。

げんにわが国でも赤穂浪士の敵討、下がっては権力による横暴と殺戮に我慢に我慢を重ねた高倉健が、自らも近代知識人としての封印を破って再びの殺戮をおかしてしまう。世界中で古来数多くの私刑が実行され、劇化されて人智の暗闇にひそむ血の報復の合理性と快感の入り混じったカタスシスを提供し、大衆の快哉を博してきたのですが、本作も比較的新しいその好例で、美しく理知的な容姿に惹かれたキャラハンは、その私刑を最終的には容認してしまいます。

彼がGo ahead, Make my day!と叫ぶと、おおかた犯人はやろうとする前にやっつけられてしまうのですが、この作品だけは例外で、やはり可憐でけなげな美女の前では、法の下での正義などどうでもよくなってしまう。この理不尽な結末を正義について語るのが大好きなサンデル教授に見せたらなんとコメントするでしょう?

 
○バディ・ヴァン・ホーン監督の「ダーティハリー5」をみて

クリント・イーストウッドのキャラハン刑事がどういう風の吹きまわしかテレビ局のキャスター嬢と良い仲になってしまうが、2人揃って悪者に命を狙われる。そこをなんとかやっさもっさ切りぬけて終わりはこんなのありかよのお約束の逆転劇でやっつけてしまう話ずら。


 Go ahead, Make my day!ドラ猫が見毛猫にいきまく昼下がり 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャン=シャルル・タケラ監督の「さよならの微笑」をみて

2016-10-08 20:24:31 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1084


典型的な不倫映画なのであるが、演出がいかにもフランス風に洒落ているうえに、ヒーローとヒロインの魅力を鮮やかに描き出している。今年91歳になるジャン=シャルル・タケラ監督が1975年につくった生きる喜びに満ち溢れたこのラブコメディをみていると凡百の恋愛映画が阿呆莫迦芝居にみえてくるのである。


 ロンダリングはよく分からないがリンダ・ロンシュタットなら知っている 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

由良川狂詩曲~連載第4回

2016-10-07 10:27:56 | Weblog


第1章 丹波人国記~水無月祭り
 

「てらこ履物店」のいちばんの上得意は、色街の月見町の芸者さんたちでした。
彼女たちは、上等の着物をきて酒席にはべりますから、当然、その行き帰りにはこれまた上等の草履をはきます。
 下駄よりも、ヘップ(オードリー・ヘプバーンが映画の中ではじめてはいたサンダルのことを、いつのまにか下駄業界用語でそう呼ぶようになりました)よりも儲かるのは、当然のことながら高級草履でした。
 昼間は神聖な教会の祭壇に額ずき、夜は月見町の芸者たちに御世辞のふたつもみっっつもいいながら、ハンドバッグとセットで2万5千円もする高級草履を売り込むセイザブロウさんとアイコさん。
 健ちゃんのお父さんのマコトさんは、そんな父と母が、日ごと夜ごとに繰り返す、表と裏、聖と俗の二重生活というものにたいして、生意気にも、罰あたりにもいまいち得心がいかず、軽い反発すら覚えていたというのですから、ずいぶんとネンネエのおぼっちゃまだったのですね。

 さあて昨年の夏ことでしたが、いまは鎌倉に住んでいる健ちゃん一家は、そんな格調高い歴史と伝統を誇る綾部の「てらこ」を訪ねました。
 海に近く夏でも涼しい鎌倉から新幹線でやってきた京都は、無茶苦茶に蒸し暑く、もっと暑い綾部に辿りつくには、そこからさらに山陰本線の急行で1時間半かかります。
 山陰本線の狭軌も狂気のように、明治ミルクチョコレートのようにぐんにゃり曲がり、運転手さんは懸命にレールを取り替えなければなりません。
 そして取り替えられた分だけ列車は進み、とっかえひっかえしながら、健ちゃんたちはようやく懐かしの故郷に辿りついたのですが、到着した綾部盆地は、さらにさらに蒸し暑い。連日35度を超えるうだるような暑さに、アブラゼミは飛びながら鳴き死に、ニイニイイゼミは一声チチと鳴いてから、息を引き取りました。

 綾部は水無月祭りの夜でした。
 由良川に架かる綾部大橋を埋め尽くした群衆の頭上高く、五色の菊やしだれ柳や紫陽花の大輪、中輪、小輪の夜目にも鮮やかな花々が、中空に何度も何度もはじけました。
 光と色がきれいに組み合わさった花模様が、黒い夜空にバチバチとはぜて消えてゆく一瞬、盆地を見おろす四尾山と寺山と三根山のほの青い輪郭が、ほのかに浮かんではすぐに消え、それはどんな夢にも終りがあることを告げているようでした。
 しばらくすると、大橋の上流一キロのところから流された灯籠が、あちこち寄り道しながら、ゆらりゆらりとこちらへやってきます。
 それを見ながら健ちゃんは、まるで遠い祖先の精霊がざわめいているみたいだ、と思いました。
 橋の上から手を合わせ、頭を垂れている人もいます。
 灯籠をよく見ると、桐の葉の上に柿の葉を敷いて、さらにその上にナスやキュウリ、ホオズキ、トウモロコシの赤毛などで上手に作った牛や馬が、可愛らしく乗っかっています。
 昔の人への供養を念じて、いまの人々の敬虔な真心が流す数百、数千の灯籠は、由良川の川面を埋め尽くし、橋上の善男善女が口々に唱えるご詠歌が最高潮に達したとき、川の左岸では曽我兄弟富士野巻狩仇討の場の仕掛け花火が水火こきまぜて、ドドオーン!と鳴り響きました。
 夜空からは菊、桜、柳、山茶花、四花の五尺玉、はては特大の六拾センチ玉の打ち上げ花火が百花繚乱と咲いては散り、得たりや応と一糸乱れぬ乱れ打ちが、盆地全体を轟然と揺るがせます。
 地軸も曲げよと吠える天地水、倶梨伽羅紋紋の唐繰り仕掛け、一世一代の大舞台と花火師が腕に撚りを掛けた光と音の饗宴は、さながら真夏の夜の夢まぼろしのように、今宵を先途と蕩尽しつくしました。
 綾部の目抜き通りの西本町の老舗履物店「てらこ」では、由良川河畔の並松、上町、東本町、さらに旧城址がある上野、田町あたりから団扇に浴衣掛けでそぞろ歩く人々に向かって、橋から戻った健ちゃんが、黄色いボーイソプラノを投げつけています。
「さあ、いらっしゃい! いらっしゃい! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 品良くて、値段が安くて、持ちが良い。買うならことと、下駄はてらこ。てらこの下駄だよお!さあ、いらっしゃい!いらっしゃい!」
 セイザブロウさんとアイコさんは、かわいい孫のあきんどの姿を、目を細くして眺めています。健ちゃんの御蔭で下駄もヘップも少しずつ売れて行くようです。

 ちょうどその時、いつの間にやらうら若い二十三、四の月見町の小粋な姐さんが、ひとりでお店に入って来ました。
 利休鼠の絽の着物に白、黄、紅、金、緑の斑点を総柄に散らし、三本の山百合を鮮やかに咲かせて。帯は黒地に観世水。雪のように白い肌を思い切りよくぐいと肩まであらわに。裾捌きもなまめかしう。
 姐さんは疾風のように「てらこ」に入って来たので、彼女の金口の黒のバッグから一本の口紅がころがり落ちたのを、健ちゃん以外の誰一人気づきませんでした。
 健ちゃんは、金色の容器から飛び出した真っ赤な口紅を拾ってすぐにお姐さんに渡そうと思ったのですが、なぜだかそれに触ってはいけないような気がして、どうしても手に取れません。
 じっとそいつを見つめているだけで、心臓が早鐘を打ち、額の周りには冷たい汗がじっとりと湧きでてきました。
 ――ええい、こんちくしょう。口紅がなんだ。こんなもんがつかめなくてどうする!
 と、思い切って右手を伸ばしてそいつをつかむと、意外にもズシリと思い手ごたえ。
 そおっと鼻で匂いをかいでみると、今まで感じたこともない、未知の、禁断の、大人の、成熟した女の、不潔で、いやらしい匂い!
 自分でも思わず知らず、そのきたならしい真っ赤なやつを、地べたのコンクリーの上に力いっぱい塗たくると、これが、いつか公園のトイレの片隅で見つけた薄いゴムの中のぶよぶよ淀んだ青白い液体のように、ぐんにゃりやわらか。どこまでも続く赤い血の流れに乗ってどこかへずるずると引きずられてゆくような怪しい磁力を感じて……
 健ちゃんは、魔がさしたように、その口紅をそおっと自分のくちびるに塗ってみました。
 舌の端っこでチロリとその赤いやつをなめてみると、急に頭の芯のところでジーンとしびれ、下半身がふあーんと暖かくなり、吐き気がするといえばするような、めまいがするといえばするような、気持ちがいいといえばよく、悪いといえば悪い。要するに、自分で自分が分からなくなってしまったのでした。
……とその時、やたら長い足をあだっぽく組んで竹のストールに腰かけていた姐さんが、今の今まで吸っていたキセルを、はっしと煙草盆に打ちつけました。
 おしろいで真っ白に部厚く塗りたくった襟足から、きれいな櫛目をつけて、湯あがりに結いあげたばかりの、漆黒の日本髪が、ぐらありと半回転しました。
 そして、健ちゃんのほうを向いたその顔は、いつかどこかで見たことのあるノッペラボーだったのです。
                                 つづく


 渡来して帰化せる人は帰化人で帰化せぬ人は渡来人のまま  蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場で「仮名手本忠臣蔵」完全通し上演第1部をみて

2016-10-06 09:57:05 | Weblog


蝶人物見遊山記第215回


開場50周年を記念して3カ月連続完全通し上演がはじまったので、例によって天井桟敷席からと見、こう見して参りやしたが、なんか中身がスカスカという感じ。3日初日の3日目だから、まだ殺陣も決まらないし全体に締りがないやね。

いつまでこういう感じかちょっと心配になってきたんだが、ようやっと四段目で幸四郎がさながら千両役者のように登場するまで、隙間風が吹きっぱなしてござんした。これから27日の千秋穐まで徐々にネジを巻いていくんだろうが、座長はん、よろしうたのんまっせ。

松竹資本をかさにきた歌舞伎座は、どんどこ襲名興行を連発して、いいとこどりのアラカルトばかり上演しているが、この地味な劇場は、原則として通し上演を堅持しているのが好ましい。

芝居でも小説でも、ものみな全体があって部分があるのであって、その逆ではない。大河小説と同じで、退屈で凡庸なところも含んでの名作傑作なので、特選1品料理ばっかり特集している松竹歌舞伎座は、そのうち質が低下してよい観客に見はなされるだろう。
どうせ6代目中村歌右衛門以降、みなドングリの背比べで小ぶりな役者しかいないんだし。

ところで大星由良之助の幸四郎が音吐朗々ひとり気を吐いた四段目では、塩冶判官(梅玉)が白無垢で切腹(誰も介錯しないのはなぜ?)したあと、判官の妻顔世御前、斧九太夫、由良之助などが延々と焼香して、主君の死を悼むのだが、江戸時代から続いていると思われるいっけん間延びした、このどうしようもない演出は、赤穂浪士討ち入りから45年後の庶民が、作者(竹田出雲+三好松浴+並木千柳)&役者と共に涙ながらに焼香していた時間なのでしょうね。それが今回の収穫ずら。


四段目の幕切れで由良之助の幸四郎が陰に籠った腹芸をみせる外国人には分かんないだろうな 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうでもいい映画3本

2016-10-04 14:26:32 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1081&1082&1083




○マイケル・アプテッド監督の「007ワールド・イズ・ノット・イナフ」をみて

はじめはおぼこ娘と思ったソフィーマルソーが突如悪女の本性をむき出しにして5代目ボンド、ピアース・ブロスナンの首を中世の拷問器具で締めあげる。女は怖いなあ。

○ポール・ワイツ監督の「ダレン・シャン」をみて
またかまたかのバンパイア物語。渡辺謙が長頭男で出演しているが、まあ見れば見るほど「ダレてくる、誰も知らない」詰らない映画ずら。

○ジョン・マクティアナン監督の「ラスト・アクション・ヒーロー」をみて

アーノルド・シュワルツェネッガーの大ファンの少年が映画の中に入ったり出たりして
2人で大活躍をして悪者を退治するというお子様ランチハリウッド大作なりい。


  無くしたと思いし携帯が出てきたがうれしいよりは耄碌に衝撃 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池澤夏樹編河出版「日本文学全集30」を読んで

2016-10-03 16:22:26 | Weblog


照る日曇る日第899回



「日本語のために」という総合タイトルのもとに古代の祝詞から始まって道真や漱石の漢詩と漢文、伊藤比呂美訳の「般若心経」「白骨」、「どちりな・きりしたん」やマタイ福音書の様々な翻訳、琉球の「おもろさうし」とアイヌの「神韻集」、福田恒存の「私の國語教室」、各種の辞書の比較、逍遥から松岡和子に至る「ハムレット」の各種翻訳、新旧憲法、終戦詔書など、日本語についての言語的・歴史的・社会思想的等多種多様な角度からの考察を万華鏡のように繰り広げたミニ百科セレクションである。

これまでも文学全集はいろいろあったけれど、日本語をテーマにしてその過去現在未来を展望するような1冊はなかった。個人編集者池澤夏樹の本来の面目が発揮された好企画といえよう。

私は丸谷才一の「文章論的憲法論」、福田恒存の「私の國語教室」、大野晋の「文法なんか嫌い」、とりわけ永川玲二の「意味とひびき」が面白かった。


 お父さんが死ぬ時君も一緒に死にますかと問えばいやですおと言下に答えたり 蝶人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第39回

2016-10-02 10:52:01 | Weblog


西暦2016年長月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 244




なんでちゃんと仕事をして結果を残している青木を、またしてもマイナーに落とすのか。マリナーズの監督の馬鹿野郎。9/1

愛用していたスピーカーが2つとも壊れてしまった。とりあえず代用品で我慢しているが弦が汚く、管弦楽の大音量が出せない。手ごろで安価なやつはないものだろうか。9/1

朝の5時半から8時半までに長男の電話が8本もあったのに、私は知らずに眠り呆けていた。もっとも出たとしても「回数券を買った?録画した?」の2つの問いだけですぐに切れてしまう電話なのだが可哀想なことをした。9/2

せっかく羽化したのに羽根が途中までしか伸びず、とうとう飛びたてなかったナガサキアゲハに水を与えてほぼ1週間。まだ寿命は尽きず頑張っている。彼女がガラス越しに見詰めているのは入道雲が湧きたつ晩夏の青空。9/3

神社のお祭りに中学のブラスバンドが動員され、俄か雨の中見事な演奏を繰り広げていたが、私が部担当教員ならきっと出場させないだろうな。公明党は自民ともども最低の政党だが、神社の祭礼の寄付を断固拒絶する点だけは評価できる。9/4

無常感は乱世の現実と、新興武士たちの興亡と、琵琶法師の語る物語世界とを、3つながら刺し貫くものとしてある。四方に遠く広がる外面の世界にも、人々の胸に広がる内面の世界にも、滅びの実感と予感が行き亘っているというのが、時代の精神のありさまだった。長谷川宏「日本精神史」

できうべくんば放埒な詩を書きたいものだ。いっさいの規矩準縄を軽やかに跨いで、どこか見知らぬところへ去っていくような。9/6

台風も地震も戦争さえも、人々がその惨禍をあまりにもたやすく忘却しないようにするために天が再再我らに下す災厄なのだろうか。9/7

1944年、ぼくが35歳の時、そろそろ来るなと思っていた召集令状がついに来た。その瞬間思ったのはこうだった。どうせ兵隊にとられて戦争で死ぬのなら、もっと前から国家を相手に反戦運動をやって殺されていたほうがよかったのではないか……。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

しかしよく考えてみると、ぼくが反戦運動に身を挺さなかったのは、そのときのぼくなりに国家権力の圧倒的な力とぼくの無力さには開きがありすぎるという認識があった。身を投ずる度胸がなかったのだ。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

だかそれだけでなく、日本の共産主義者が国家権力の強さを知ろうとせずに刃向かっては確実に弾圧されて命まで奪われているという現実を、比較的、さめた目で見ていた、ということがある。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

反戦運動を真剣にやれば、まず確実に死ぬより他ない。それに対して兵隊にとられたからといって必ずしも死ぬとは限らない。じじつ日中戦争の段階では戦地に行きながら生きて帰ってきた人たちが、いくらかはいた。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

はじめから負けることは分かっていて、戦争の行く末にはまったく悲観的だったが、諦めていた。敗戦後のみじめな現実は、生きるに値しないとやけっぱちな気持ちだった。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

それでもぼくを戦場に引っ張り出すのは、国家権力という、実質的には天皇に出る幕など与えない、得体の知れない怪物だ、という意識があったから、天皇その人への恨みがましい気持ちはなかった。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

とまれ天皇と国民が、結果としては、あげて歴史の愚行に参加し、その点ではわれわれもいたわしかったが、天皇にもいたわしさを感じていた。敗戦という苦いものは、ともにのまざるをえないと思った。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

国民の方も戦時中は天皇にひざまずき、戦後はマッカーサーに始まり、やがては自民党支配までを唯々諾々と受け入れていく。しかもその間、おしなべて国民にひろく天皇に対する親愛の情が根強い。これはなぜなのか。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

柳田國男は敗戦直後、事大主義が日本人の本性か、といったが、あるいはそうかもしれない。しかし私は前線で天皇の名の下に死んだ戦友を埋葬してきた人間である。この経験の呪縛からのがれられそうもない。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」

天皇をはじめとする権威にひれふす習性から国民が脱け出しつつあるのならいいが、一転して何にでも盲従する可能性を持っているとすると、あぶない。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」1989年1月「朝日ジャーナル」

モリドとかメセンとかマギャクとかナマアシなどと平気で言い放つ。平成の日本語からは語感の洗練というものに対する自意識が一切失われてしまった。9/18

私がこの国に支払っている税金の一部が、私の許可もなく、安倍蚤糞の軍事力増強や自衛隊海外派遣、沖縄の基地に反対する市民への弾圧、東京五輪の開催費用、私とは縁もゆかりもない若い皇族の留学費用等に充てられることはじつに不愉快だ。9/19

左の歯を治したと思ったら右の歯が痛み、その右の歯を治したと思ったらまた左がおかしい。胃カメラを呑もうと思ったら、その前に高血圧を退治せよと命じられる。170センチの身長が168に縮む。老いたる肉体はひたすら老いゆくのみ。9/20

自分の思想なり感情なりを赤裸々に発表してみたいと思っても、どうも安心して筆を執ることができない。「かうである」とか「かう感ずる」とかたった今書いたことが、すぐに疑わしくなってくるのである。どれが真実の自分の考えだか、さっぱり解らなくなってしまう。谷崎潤一郎「ひとりごと」9/21

ルソオは「告白」の中にさえ嘘を書いたらしい。あとで人に読まれることを予想して虚偽を述べたに違いないと、たしかハイネが云っている。谷崎潤一郎「ひとりごと」

嘘を書くということは、人間の正直不正直よりも、むしろその頭脳の明晰さ加減に拠るものだと思われる。よほど頭脳が明晰で緻密で冷静でなければ、惑うところなく自分の考えを言い表すことは出来ない。谷崎潤一郎「ひとりごと」

昔は金持ちも貧乏人もなんとなく中産階級に属しているような雰囲気だったが、いまやこの町内でも貧富の差は歴然としており、なかんずく地底人層の没落は悲惨である。いったいいつのまにこういうことになってしまったのか。

豪栄道、初優勝おめでたう! しかし長年優勝・横綱昇進が期待された稀勢の里が、その予兆もなかった同じ大関の2人に先行されるとは、勝負の世界は皮肉なものだ。9/25

もうこの国と国民の将来に絶望しているせいか、政治経済社会の動向がどこか遠い国の絵空事のように思えてきた。いかんいかん、いくら国内亡命の身とはいえもう少しマジで向き合わなければ。9/26

2010年8月12日、河野裕子は世を去った。その日も苦しい発作の直後に「われは忘れず」と呟き、永田氏が「それから?」と促すと、「もうこれでいい」と応じた。五七五七七の結句を思わせる。「われは忘れず」。それは歌人河野裕子への私たちの想いでもある。三枝昂之(「あなた」の解説)9/27

公務員がおのれの職分を全うするのは当然のことなり。ことさら軍人だけを称賛するこの右翼小児病患者の狂態を見物しながら、私はもしも彼らが「お百姓さん、ご苦労さん」と唄いながら踊るなら許せる気がした。9/28

テレビの画面で安倍蚤糞が出てくると吐き気がするが、それとは対照的に日本ハムの大谷選手の可愛い笑顔が映ると、心の底までなごむ。気は優しくて力持ちというのはこういう人物のことをいうのではないだろうか。とても同じ日本人とは思えない。9/29

五輪も築地移転も尖閣策動も、すべて元東京都知事の石原慎太郎が張本人である。こんな極悪人の夜郎自大な所業に手を貸したのは、誰あろう自分自身であったことを都民の大半は忘れているに違いない。9/30


  10月2日午前9時いまだ秋にあらずとミンミンは鳴く 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西暦2016年長月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2016-10-01 12:46:13 | Weblog


ある晴れた日に 第408回



「これからもずっと横浜です!ヨロシク!」と叫んで 三浦大輔別れを告げたり

生まれしがついに飛べない黒蝶に末期の水を飲ませる朝

黒蝶の短き命尽き果ててげに懐かしき五齢の緑

木金は息子が鬼怒川へ旅行するなんとか無事に終わってほしい

また負けたまたまた負けた稀勢の里ころころすぐに負けちゃう万年大関

歯が痛い歯が歯が痛い歯が痛い歯が歯が痛いとっても痛い

成長なんてもうでけへんさかい公平な分配を考えてほしいわ

顔面がぐちゃぐちゃになりしみのもんたテレビの司会をしぶとくやってる

この夏も帰省せざりし故郷をグーグルのストリートビューで眺める

N響の凡庸な演奏を激賞するロバの耳ホントウのことを王様に言へ

水島寒月の博士論文「蛙の眼球の電動作用に対する紫外光線の影響」を読んでみたい秋の夜 

なんでもかんでもマイウーマイウーと褒める男たまにはズイマーズイマーと言うてみよ

ああグルダ!フィガロ変奏曲を耳にせず泉下の人となるなかれ

ずりさがりまたずりさがる高音部を額にシワ寄せ持ち上げている森麻季 

小便の饐えた臭いが鼻をつくパンツとズボンは履いているのに

道端に落ちた栗は誰のもの誰のものでもないよねと私が拾う

ほんたうは面白くもなきお笑いに追従笑いしているタイタニック上の我ら

新記録達成したるイチローがメットを脱げば胡麻塩頭

黙々と凡愚を貫けばそれもまた非凡なる生と呼ばれるべきか

果てもなき空騒ぎ続く列島を次々に襲う雨台風

3分おきに電話するのはやめてけれ少しは真面目に仕事をしなさい

たった3分で読み終わりたり宇野功芳が書かなくなったレコード藝術

CMなんてまあこんなもんさと作ったCMをCMなんてこんなもんさとみんなで見てる

検閲より恐るべきは自主規制と喝破せし人百壱で逝く

アルコール0%といいながら酔っぱらったようになるのはどうしてだらう

強欲じゃあ強欲じゃあといいながらなんでも腹に収めてしまう人

じゃんじゃんじゃんじゃんじゃかじゃんじゃかじゃらららんあさからばんまでおりんぴっく

こうちゃんがにこにこわらっていてくれたならおれたちなんにもいらへんわ

飛びたてぬ蝶に死に水葉月尽


  「監視せよ朝から晩まで監視せよ」瞬きできない監視カメラ 蝶人



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする