西暦2016年長月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 244
なんでちゃんと仕事をして結果を残している青木を、またしてもマイナーに落とすのか。マリナーズの監督の馬鹿野郎。9/1
愛用していたスピーカーが2つとも壊れてしまった。とりあえず代用品で我慢しているが弦が汚く、管弦楽の大音量が出せない。手ごろで安価なやつはないものだろうか。9/1
朝の5時半から8時半までに長男の電話が8本もあったのに、私は知らずに眠り呆けていた。もっとも出たとしても「回数券を買った?録画した?」の2つの問いだけですぐに切れてしまう電話なのだが可哀想なことをした。9/2
せっかく羽化したのに羽根が途中までしか伸びず、とうとう飛びたてなかったナガサキアゲハに水を与えてほぼ1週間。まだ寿命は尽きず頑張っている。彼女がガラス越しに見詰めているのは入道雲が湧きたつ晩夏の青空。9/3
神社のお祭りに中学のブラスバンドが動員され、俄か雨の中見事な演奏を繰り広げていたが、私が部担当教員ならきっと出場させないだろうな。公明党は自民ともども最低の政党だが、神社の祭礼の寄付を断固拒絶する点だけは評価できる。9/4
無常感は乱世の現実と、新興武士たちの興亡と、琵琶法師の語る物語世界とを、3つながら刺し貫くものとしてある。四方に遠く広がる外面の世界にも、人々の胸に広がる内面の世界にも、滅びの実感と予感が行き亘っているというのが、時代の精神のありさまだった。長谷川宏「日本精神史」
できうべくんば放埒な詩を書きたいものだ。いっさいの規矩準縄を軽やかに跨いで、どこか見知らぬところへ去っていくような。9/6
台風も地震も戦争さえも、人々がその惨禍をあまりにもたやすく忘却しないようにするために天が再再我らに下す災厄なのだろうか。9/7
1944年、ぼくが35歳の時、そろそろ来るなと思っていた召集令状がついに来た。その瞬間思ったのはこうだった。どうせ兵隊にとられて戦争で死ぬのなら、もっと前から国家を相手に反戦運動をやって殺されていたほうがよかったのではないか……。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
しかしよく考えてみると、ぼくが反戦運動に身を挺さなかったのは、そのときのぼくなりに国家権力の圧倒的な力とぼくの無力さには開きがありすぎるという認識があった。身を投ずる度胸がなかったのだ。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
だかそれだけでなく、日本の共産主義者が国家権力の強さを知ろうとせずに刃向かっては確実に弾圧されて命まで奪われているという現実を、比較的、さめた目で見ていた、ということがある。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
反戦運動を真剣にやれば、まず確実に死ぬより他ない。それに対して兵隊にとられたからといって必ずしも死ぬとは限らない。じじつ日中戦争の段階では戦地に行きながら生きて帰ってきた人たちが、いくらかはいた。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
はじめから負けることは分かっていて、戦争の行く末にはまったく悲観的だったが、諦めていた。敗戦後のみじめな現実は、生きるに値しないとやけっぱちな気持ちだった。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
それでもぼくを戦場に引っ張り出すのは、国家権力という、実質的には天皇に出る幕など与えない、得体の知れない怪物だ、という意識があったから、天皇その人への恨みがましい気持ちはなかった。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
とまれ天皇と国民が、結果としては、あげて歴史の愚行に参加し、その点ではわれわれもいたわしかったが、天皇にもいたわしさを感じていた。敗戦という苦いものは、ともにのまざるをえないと思った。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
国民の方も戦時中は天皇にひざまずき、戦後はマッカーサーに始まり、やがては自民党支配までを唯々諾々と受け入れていく。しかもその間、おしなべて国民にひろく天皇に対する親愛の情が根強い。これはなぜなのか。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
柳田國男は敗戦直後、事大主義が日本人の本性か、といったが、あるいはそうかもしれない。しかし私は前線で天皇の名の下に死んだ戦友を埋葬してきた人間である。この経験の呪縛からのがれられそうもない。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」
天皇をはじめとする権威にひれふす習性から国民が脱け出しつつあるのならいいが、一転して何にでも盲従する可能性を持っているとすると、あぶない。大岡昇平「2極対立の時代を生き続けたいたわしさ」1989年1月「朝日ジャーナル」
モリドとかメセンとかマギャクとかナマアシなどと平気で言い放つ。平成の日本語からは語感の洗練というものに対する自意識が一切失われてしまった。9/18
私がこの国に支払っている税金の一部が、私の許可もなく、安倍蚤糞の軍事力増強や自衛隊海外派遣、沖縄の基地に反対する市民への弾圧、東京五輪の開催費用、私とは縁もゆかりもない若い皇族の留学費用等に充てられることはじつに不愉快だ。9/19
左の歯を治したと思ったら右の歯が痛み、その右の歯を治したと思ったらまた左がおかしい。胃カメラを呑もうと思ったら、その前に高血圧を退治せよと命じられる。170センチの身長が168に縮む。老いたる肉体はひたすら老いゆくのみ。9/20
自分の思想なり感情なりを赤裸々に発表してみたいと思っても、どうも安心して筆を執ることができない。「かうである」とか「かう感ずる」とかたった今書いたことが、すぐに疑わしくなってくるのである。どれが真実の自分の考えだか、さっぱり解らなくなってしまう。谷崎潤一郎「ひとりごと」9/21
ルソオは「告白」の中にさえ嘘を書いたらしい。あとで人に読まれることを予想して虚偽を述べたに違いないと、たしかハイネが云っている。谷崎潤一郎「ひとりごと」
嘘を書くということは、人間の正直不正直よりも、むしろその頭脳の明晰さ加減に拠るものだと思われる。よほど頭脳が明晰で緻密で冷静でなければ、惑うところなく自分の考えを言い表すことは出来ない。谷崎潤一郎「ひとりごと」
昔は金持ちも貧乏人もなんとなく中産階級に属しているような雰囲気だったが、いまやこの町内でも貧富の差は歴然としており、なかんずく地底人層の没落は悲惨である。いったいいつのまにこういうことになってしまったのか。
豪栄道、初優勝おめでたう! しかし長年優勝・横綱昇進が期待された稀勢の里が、その予兆もなかった同じ大関の2人に先行されるとは、勝負の世界は皮肉なものだ。9/25
もうこの国と国民の将来に絶望しているせいか、政治経済社会の動向がどこか遠い国の絵空事のように思えてきた。いかんいかん、いくら国内亡命の身とはいえもう少しマジで向き合わなければ。9/26
2010年8月12日、河野裕子は世を去った。その日も苦しい発作の直後に「われは忘れず」と呟き、永田氏が「それから?」と促すと、「もうこれでいい」と応じた。五七五七七の結句を思わせる。「われは忘れず」。それは歌人河野裕子への私たちの想いでもある。三枝昂之(「あなた」の解説)9/27
公務員がおのれの職分を全うするのは当然のことなり。ことさら軍人だけを称賛するこの右翼小児病患者の狂態を見物しながら、私はもしも彼らが「お百姓さん、ご苦労さん」と唄いながら踊るなら許せる気がした。9/28
テレビの画面で安倍蚤糞が出てくると吐き気がするが、それとは対照的に日本ハムの大谷選手の可愛い笑顔が映ると、心の底までなごむ。気は優しくて力持ちというのはこういう人物のことをいうのではないだろうか。とても同じ日本人とは思えない。9/29
五輪も築地移転も尖閣策動も、すべて元東京都知事の石原慎太郎が張本人である。こんな極悪人の夜郎自大な所業に手を貸したのは、誰あろう自分自身であったことを都民の大半は忘れているに違いない。9/30
10月2日午前9時いまだ秋にあらずとミンミンは鳴く 蝶人