あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

蓮實重彦著「伯爵夫人」を読んで

2016-10-23 10:32:30 | Weblog


照る日曇る日 第903回

私はむかし会社からリストラされたあと、暫くフリーライターで生計を立てていた。そのときに出版社からリライトを依頼される素人作家の原稿のなかでいわゆる後期高齢者の手になるポルノ小説が多いことに驚かされたました。

例えばリタイアーした元小学校の校長さんが「官能小説」を次々に自費出版なさるのです。もちろん川上宗薫や宇能鴻一郎のようにはいかないけれど、かつて何十年も手枷足枷嵌められて実行しようとしてもできなかった途方もない性的冒険の数々を、筆も折れよ、チンポコも曲がれとばかりに書き捲り、ついに満たされなかった己があられもない夢の数々を原稿用紙の上になすりつけるのです。

本書を読みながら、私はこれは元小学校長と同じ動機で元東大学長がものした奇妙なポルノの小説だと思いました。

もちろん氏はそんじょそこらの小学校長とは、文学関係の知識も教養も月とスッポンほども異なりますから、文体も、叙述も、物語を縁取る時代背景も、歴史的な考証も提灯と釣り鐘ほど違うのだすが、やっている事柄の本質はまったく同根だと思うのですね。

いや小学校長を引き合いに出しては申し訳ないので、とりあえずかの永井荷風が「濹東綺譚」の筆のすさびに「四畳半襖の下書き」をものしたようなもんだ、というておきましょうか。

しかし著者がその卑猥にして高雅な「四畳半襖の下書き」を書き下ろすそのきっかけは、「伯爵夫人は午後5時に家を出た」というブルトン→ヴァレリーの言説が糸口になっていることは明らかですから、やはりこの小説が、下品で粗野で卑猥で形而下的爬虫類の脳的世界を目指しつつ、ついつい高尚で知的で高踏的な大脳前頭葉形而上的世界に足を引っ張られ、事志とは異なる抜かずの、どっちつかずの、抜かずの三発みたいな、射精したくともそれが出来ない、いわく言い難いポルノしからぬ折衷アマルガムポルノ小説が誕生したというても差し支えないでしょう。

高度な、あまりにも高度な教養が邪魔した、このポルノ失敗作が、ぬあんと三島由紀夫賞を受賞するとは、おそらく著者の想定外の椿事で、記者会見におけるその言説が奇妙奇天烈になったのも無理はありません。


 鏡の中でぐちゃぐちゃの顔がこっちを見ている昔の僕はこうではなかった 蝶人

コメント
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