蝶人物見遊山記第215回
開場50周年を記念して3カ月連続完全通し上演がはじまったので、例によって天井桟敷席からと見、こう見して参りやしたが、なんか中身がスカスカという感じ。3日初日の3日目だから、まだ殺陣も決まらないし全体に締りがないやね。
いつまでこういう感じかちょっと心配になってきたんだが、ようやっと四段目で幸四郎がさながら千両役者のように登場するまで、隙間風が吹きっぱなしてござんした。これから27日の千秋穐まで徐々にネジを巻いていくんだろうが、座長はん、よろしうたのんまっせ。
松竹資本をかさにきた歌舞伎座は、どんどこ襲名興行を連発して、いいとこどりのアラカルトばかり上演しているが、この地味な劇場は、原則として通し上演を堅持しているのが好ましい。
芝居でも小説でも、ものみな全体があって部分があるのであって、その逆ではない。大河小説と同じで、退屈で凡庸なところも含んでの名作傑作なので、特選1品料理ばっかり特集している松竹歌舞伎座は、そのうち質が低下してよい観客に見はなされるだろう。
どうせ6代目中村歌右衛門以降、みなドングリの背比べで小ぶりな役者しかいないんだし。
ところで大星由良之助の幸四郎が音吐朗々ひとり気を吐いた四段目では、塩冶判官(梅玉)が白無垢で切腹(誰も介錯しないのはなぜ?)したあと、判官の妻顔世御前、斧九太夫、由良之助などが延々と焼香して、主君の死を悼むのだが、江戸時代から続いていると思われるいっけん間延びした、このどうしようもない演出は、赤穂浪士討ち入りから45年後の庶民が、作者(竹田出雲+三好松浴+並木千柳)&役者と共に涙ながらに焼香していた時間なのでしょうね。それが今回の収穫ずら。
四段目の幕切れで由良之助の幸四郎が陰に籠った腹芸をみせる外国人には分かんないだろうな 蝶人