あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

新潮新装版・石田&清水校注「源氏物語三」を読んで

2017-06-15 14:24:57 | Weblog


照る日曇る日 第971回


本書であつかうのは「澪標」「箒木」「関屋」「絵合」「松風」「薄雲」「朝顔」「少女」「玉蔓」の9つの巻です。

皇統紊乱で三年間の須磨明石流謫を余儀なくされた源氏は、帰京後はじめは処女の如く終わりは脱兎の如き復活復権を遂げ、実子の冷泉帝を軸にした不動の権力の座をわがものとし、実務を内大臣にゆだねて六条に豪華絢爛なハーレムを立ち上げるのです。

東京ドーム何百倍の広大な敷地には、春夏秋冬の四季折々のうつくしい庭と木々と花々が配され、贅を尽くした四つの邸宅には、35歳の男ざかりの源氏と紫の上夫妻をはじめ、里帰りした中宮、明石の上、花散里の四人の女君を中心に、酒池肉林、阿鼻叫喚の優雅で華麗なハーレム・ノックダウンが夜な夜な繰り広げられたのです。

ここで特筆すべきは、なんでも源氏のいいなりになる都合のよいお人好しの女、花散里の存在です。彼女はその丑寅の館に、末摘花、空蝉(既に出家の身ですが)、玉蔓(夕顔の娘)、加えて意地悪な内大臣に雲居の雁を拉致されて傷心の日々を送る長男夕霧まで一手に引き受け、文句の一つもいわずに彼らをケアしメンテしているのですから、源氏としては大助かりだったことでしょう。

さりながら、自分の好きな女たちをいかに広大とはいえ一つの屋敷に囲うとは、雄の所有欲の誇示ならんか。ペルシアや中国、本邦後代の大奥に先例後例があるとはいえ、この男、いったいどういう神経をしているのかしらん。

ちなみに光源氏は、その美貌もさることながら、超絶的な性的魅力で並みいる女どもを悩殺したらしいことは、六条御息所をば、抜かずの何発かを何回も何回も繰り返してヤッタとき、あの高貴なクールビューティときたら、朝帰りする源氏を起きて見送ることができなかったことからも分かるでせう。

紫式部は藤原道長の情婦でありましたから、源氏のモデルは道長であり、(式部を含めた)源氏の女たちは、いずれも源氏=道長の強烈な性的威力に拝跪していたことを忘れてはなりません。

    自らの首を絞めるとはつゆ知らず彼奴らが決めた狂暴罪 蝶人


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国立能楽堂で「第13回青翔会」公演をみききして

2017-06-14 11:52:22 | Weblog


蝶人物見遊山記第248回



久しぶりに能狂言を若手中心の発表会で見聞しました。出し物は「清経」「野守」「鵜飼」の3つの舞囃子と和泉流の狂言「鐘の音」、観世能の「杜若」という盛沢山なプログラムでしたが、いちばんよかったのはおめあての「杜若」ではなく、狂言でした。

主に「金の値」を聞いてこいと命じられて鎌倉に出かけた太郎冠者(新人の上杉啓太が大健闘!)が、寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺の順で「鐘の音」を聞いて帰って主に怒られるという勘違いの一幕です。

太郎冠者は本舞台の4つの柱(シテ柱、目付柱、笛柱、ワキ柱)を使って、4つの寺の鐘をつきますが、演出のうまい工夫です。

鐘の音のバリエーション、そして極楽寺の鐘が割れ鐘だったというのが面白い。
極楽寺は今では本堂の一部しか残っていないし、かつて栄西が宋から持ち帰った寿福寺の鐘は、秀吉の小田原攻めの時に後北条氏が溶かして銃弾にしてしまったそうですが、この狂言がつくられたと思われる南北朝、室町時代にはまだ鳴っていたのでしょう。

しかし地理上ではこの4つのお寺はかなり離れているから、普通は円覚寺→建長寺→寿福寺→極楽寺コースになるはず。ま、どうでもいいことですが。

「伊勢物語」の在原業平にちなむ「杜若」は長大な大曲で、シテの杜若の精の舞を、小鼓、大鼓、笛のトリオで懸命に支えますが、それは太鼓が加わってカルテットになったときから徐々に熱を加え、ベートーヴェンの第7交響曲の終楽章のコーダを上回る最高潮に達して終焉を迎えるのですが、残念ながら本日のアンサンブルは、もうひとつ協同を欠く恨みがありました。

しかし毎度のことながら感心するのは、能につきもののこの和楽四重奏は、ある意味で西洋古典音楽のカルテットよりも、深くて大きな音楽を鳴らすことで、それは演者が演奏しながら発する叫びによってさらに強度の重層性を獲得しているのです。

能の小曲は、サントリーホールのベルリン・フィルよりも、日本武道館のローリング・ストーンズよりもすごい音楽を放射しています。比喩ではなく。

末尾ながら、能のシテ、ワキ、地謡の発声を耳にしていると、いかに歌舞伎役者の声が鍛えられていない軟弱なものであるかがよく分かります。もっと喉を訓練せよと改めて叫びたいずら。

  忘れない忘れちゃいけない忘れない忘れてしまう忘れちゃいけない 蝶人


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ロン・ハワード&トム・ハンクス2本立てずら

2017-06-13 09:20:30 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1190、1191



○ロン・ハワード監督の「ダヴィンチ・コード」をみて

マグダラのマリアがイエスの妻で、聖杯でもあり、その後裔が現存しているとか、なんとかかんとか、鬼面人を驚かせんとする妄想が妄想を生み続けるが、いったいどこを面白がれというのか。どうにもついていけない荒唐無稽な噺ずら。


○ロン・ハワード監督の「天使と悪魔」をみて

同じ監督の「ダヴィンチ・コード」と同様、なんの根拠もない妄想を映画に仕立てて、「法王庁の抜け穴」を実際にもぐるとは酔狂な話だ。トム・ハンクスともあろうものが、つまらない映画に出たものだ。


     その昔がらがらだった江ノ電が観光客でいつも満員 蝶人


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今日は洋画の4本立てずら

2017-06-12 15:19:25 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1186、1187,1188、1189



○ケヴィン・スミス監督の「世界で一番パパが好き」をみて

突然愛妻と仕事を失ったNYの宣伝マンがニュージャージーで一人娘と暮らす中で自分を取り戻していうという実際にあった話らしいが、いい意味で家族そろって鑑賞できる健全娯楽映画ずら。

主人公が娘にトイレの水を流さないと言って叱っていたが、ときおり私も流さないときがある。家族がそれを見たら嫌だろうが、わずかな小便で大量の水道水を流すのはもったいないのではなかろうか。

○ブライアン・デ・パルマ監督の「ミッション・トゥ・マーズ」

火星にいた生命体はじつは地球人と同じDNAを持つ仲間だったあ!とパルマはおらっちを驚かせようとするんだが、全然驚かないもんね。それにしてもパルマって気が若いね。

○アスガー・レス監督の「崖っぷちの男」をみて

2012年製作のハリウッド映画。冒頭NYのルーズベルトホテルから男が今にも飛び降りそうにするがそれは無実の罪で収監されていた主人公が弟たちと仕組んだ一世一代の大ばくちだったあ。最近の映画はもうネタ切れになったのか脚本が冒頭から苦し紛れでついていけない。

○エオド・ハリス監督の「アパルーサの決闘」をみて

男が好きで、男からも好かれて誰とでも寝るような、男からみるとそんな魅力的な?女(レネー・ゼルウィガー)にとりつかれた保安官を、監督兼用のエド・ハリスが楽しそうに演じている。きっと身に覚えがあるからだろうな。脇役に回ったヴィゴ・モーテンセンが儲け役。


   アゲハチョウがトベラの蜜を吸っているなんの不思議もないけれど 蝶人

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港南台シネサロンで伏原健之監督の「人生フルーツ」をみて

2017-06-11 10:17:10 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1185


鎌倉には川喜多映画記念館以外に常設の映画館がないのでたまに港南台のシネマコンプレックスで映画をみます。今日の映画は老人ものなので、定員90名の小ぶりの会場のお客さんはほとんどが私たちと同様後期高齢者でいっぱいでした。

映画は愛知県春日市の雑木林の中に住む90歳&87歳の建築家夫婦の自然と一体になった四季折々の日常をゆったりと追いかけます。

2人ともこんな年寄りなのに、300坪の広大な庭にさまざまな樹木と草本を植え、朝な夕なに手入れを欠かしません。私などは猫の額ほどの庭の草取りを30分やっただけで、疲労困憊、もうなにをする気もなくなるのに、この人たちはまるでロビンソンクルーソーとターシャ・チューダーおばさんが合体したごとく、樹木の手入れ、果物の採取から調理、仕込までじつにこまめになんでも楽しそうにやってのけます。

自然と一体などと私らは簡単に口にしますが、それを実行するためには自然への愛情と不屈の意思、それに頑強な肉体力がなければ、こうまで見事にはやりおおせないでしょう。

そして特筆すべきは、若い時から相思相愛で生き続けてきた2人の老人の相貌と醸し出す雰囲気が美しくも典雅なこと。その顔のアップを眺めているだけでああここに人生の桃源郷がある。ゲーテならずとも「時よ止まれ。お前は美しい」と言わずにはいられません。

しかし無情にも人世の別れの時は突然にやってくる。されど夫が手がけた最後の仕事が、彼らと後に続く世代の確かな懸け橋となって、さわやかな6月の風の中に残されるのです。

私ははしなくも正岡子規が母八重のつぶやきをそのまま五七五の調べに乗せた「六月を奇麗な風の吹くことよ」の句を思い出したことでした。


  「ちょっと来い」呼ばれて初めて分かるだろう共謀罪の空恐ろしさ 蝶人


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「谷崎潤一郎全集第12巻」を読んで

2017-06-10 11:27:35 | Weblog


照る日曇る日 第970回


本巻では、大正15(1926)年から昭和2(1927)年にかけて出版された「潤一郎喜劇集」、「赤い屋根」「近代情痴集」「饒舌録」の4冊の単行本その他を収録しています。

まず「赤い屋根」の中の「友田と松永の話」は谷崎の中編の最高傑作ではないでしょうか。どこから見ても同一人物とは思えない友田と松永が、最後の最後に正反対のライフスタイルと相貌を内蔵する同じ人物であったと種明かしされるとき、読者は作家の卓抜な構成力と精緻な人物描写、そして小説を流れる時間設計の巧みさにひそかに舌を巻かされるのです。これぞ谷崎!これぞ小説の快楽というものです。

同じ「赤い屋根」の中の戯曲「白日夢」は、同名の武智映画の原作ですが、これは映画の方が遙かに面白かったなあ。

「「九月一日」前後のこと」では谷崎選手が九歳の時に遭遇した明治27(1894)年の大地震の惨状をつぶさに記述していますが、私はこれほど真に迫って物すごい地震の描写を読んだことはありません。

「饒舌録」は小説ではなく、文芸や演劇などを自由に裁断する随筆ですが、無類に奔放な物言いで面白い。死んだばかりの芥川を追悼する谷崎は、彼はあれほど見識、学殖、批評眼があったのだから、小説家よりもエッセイストなったほうがよかったなどと持ちあげながら、なったとしてもその立派な意見を発表する勇気がないから駄目だと以下のように一刀両断しています。

「兎にも角にももっと馬鹿であるか、もっと健康であるか、いずれかであればもっと幸福に暮せたであろうに」

なんのことはない、これは小説家としてもエッセイストとしても自分の方が凄い、というているのと同じことではないでしょうか。


 「たとへ神に見放されても私は私自身を信じる」と潤一郎言いき 蝶人

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瀧廉太郎の「憾み」

2017-06-09 13:40:28 | Weblog


音楽千夜一夜第392回


私のような年寄りでもまだまだ死にたくないのに、20代、30代という若さで死なねばならなかった人たちの悔しさはいかばかりだったことでしょう。

私の好きな古典音楽の世界に限ってみても、ウイーンで31歳で死んだシューベルトや35歳でみまかったあのモーツアルトをはじめ、20世紀になっても数多くの指揮者や演奏家が早世しています。

例えば私の好きな1920年生まれのイタリア人指揮者のグィード・カンテルリは、1956年11月24日未明、パリ発の飛行機が郊外で墜落し、36歳で不慮の死を遂げたのです。その8日前にスカラ座音楽監督就任が発表されたばかりの死は、世界中から惜しまれました。

天才女流ヴァイオリニストと謳われたジネット・ヌヴーも、30歳を目前に1949年10月27日、エアフランス機の飛行機事故で夭折しました。

それから4年後の1953年9月1日、同じエアフラの同じ機種に乗ったフランス人の名ヴァイオリニスト、ジャック・チボーは、72歳にしてアルプスの山に激突して命を失いました。

翻って我が国の悲劇の音楽家といえば、「荒城の月」や「箱根八里」の滝廉太郎でしょう。1879(明治12)年に現在の港区西新橋に生まれたこの天才は、長じて今の藝大で作曲とピアノを学び、1901(明治34)年にはドイツ・ライプチッヒ音楽院に留学しますが、その5か月後に肺結核を患って翌02年に帰国。1903(明治36)年6月29日、故郷大分で弱冠23歳の若さで、憾みを呑んで亡くなりました。

「憾みを呑んで」というのは、言葉の綾ではありません。
彼が死を目前にして書いた生涯で最後の曲、それは「憾」というタイトルの、涙なしには聴けない遺作でした。

滝廉太郎はクリスチャンでありましたから、敬虔な基督者が、神さまに対して自分の薄幸の身の上を恨んで死んだはずはない、などと尤もらしいことをのたまう向きもあるようですが、この音楽を聴けば、そんな悠長な解釈なぞどっかへ吹っ飛んでしまいそうです。

今宵はそんな曰くつきの遺作を、小川典子さんのピアノ演奏で聴きながら、若き天才の冥福を祈りたいと存じます。最後の一音に耳を澄ましつつ。

https://www.youtube.com/watch?v=Kvuqa4zHjJs


  撫子の花をむしゃむしゃ食べる天道虫ぶちぶち潰せば手が臭くなる 蝶人


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幻の名機「KEF104ab」を探して

2017-06-08 09:34:29 | Weblog


音楽千夜一夜第391回

しばし呆然とその場に佇んでいた私が気を取り直して「ね、清水君、で、このスピーカーいくらするの?」と尋ねると、「中古とはいってもまだ比較的新しいですから、ま新品の半額の五万円ですね」という返事が返ってきました。

今だってそうですが、70年代のはじめの五万円は相当な物入りです。
私は3日間悩みに悩んだすえに、この欲しくて欲しくてたまらなかったスピーカーを涙を呑んで諦めたのでした。

あの運命の夜から幾星霜、2017年の1月に入ったある寒い夜、何気なくヤフオクをチエックした私は、なんとあの曰くつきの名器KEF104abが競売に付されているのを見つけたのです。

横浜のリサイクルショップが出品していたそのスピーカーは、もちろん年代物の中古品です。70年代にクラシックファンから好評を博したKEF104abは、しばらくすると製造中止になり、今ではこういう形でしか入手できなくなったのです。

今や棺桶に片足をっ込んでいる後期老齢者の私に、突然あのスピーカーから迸り出る朗々たるチャイコスキーの弦の奔流、そして管弦楽に抗して連打されるティンパニーの猛虎のごとき咆哮が生々しく甦りました。
「よおし、この千載一遇の機会を逃してなるのものか」
私は万難を配して、この幻の逸品をものにするぞ、と決意しました。

しかし気になるのは財布の中身です。
リーマンを止め、フリーライターを止め、大学の教師を辞め、年金生活に入った私が自由にできる金額は、ほんのわずかなものです。
1000円から始まった競合入札が、どこまで高みにせり上がるのか。
私は毎晩ネットでその金額が上がるのを、はらはらどきどきしながら見詰めていました。

ラッキーなことにこの物件は、横浜保土ヶ谷区にあるその会社での「現物手渡し」が条件になっていました。
通例では全国から殺到する競合者と張り合わなければなりませんが、これだと恐らく横浜市内か神奈川県下に在住している人に限られてくるでしょう。

私は車を運転できないので、その会社まで電車で行き、横浜市のタクシー会社に予約して決められた日時に現地で待ち合わせ、トランクの中に2台のスピーカーを入れて自宅のある鎌倉に向かえば、八千円ほどの費用で賄えることが分かりました。
交通費込みで3万円ならなんとかいけるな、と私は踏みました。

そして、いよいよその決戦の夜がやってきました。
ライバルは6人くらいに絞られ、締め切り寸前の値段は、1万7000円と思いのほか低い。これなら楽勝と思い、私はあと締め切りまであと1分の段階で2万2000円を張り込み、「見事落札おめでとう!」の知らせを心待ちにしていたのです。

ところがところがです。なんとなんと落札終了時間が過ぎた後で2万2500円をつけ、最後に笑った奴がいたのです。
2人のライバルがデッドヒートを繰り広げているのを知った出品者が、終了時間を延長して落札価格の引き上げを図ったに違いありません。

ああ、なんということだ!
ヤフオクで煮え湯を飲まされたことは、これまでも何度かありましたが、今月今夜の敗北はじつに手痛い。
かくて幻の銘器KEF104abで、ムラビンスキー&とレニングラードフィルハーミニー管弦楽団の交響曲第5番を半世紀ぶりに耳にして涙にむせぶ奇跡は、うたかたの夢まぼろしと消え去ったのでした。

    1強を求めた民が生み出せし1狂いつしか1凶となる 蝶人


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ムラビンスキーのチャイコフスキー交響曲第5番

2017-06-07 11:12:51 | Weblog


音楽千夜一夜第390回


昔むかし、今から半世紀近く前のこと、東京は原宿の千駄ヶ谷小学校の近所にあった会社で、私はリーマン生活を送っていました。
会社の小路を隔てた向かいには「ヴィラ・ビアンカ」という名の7階建てのモダンなマンションがありました。

ここは日本で最初のデザイナーズ・マンションといわれ、かつては今は亡きイラストレーターの安西水丸選手が住んでいたそうです。地下1階には中華料理屋があって、しばらくすると、そこが桑原茂一選手が経営する、かの有名なライヴハウス「ピテカトロプス」に代わるのですが、今日はその話ではなく、1階にあった中古オーディオ屋さんのお噺です。

確か「オーディオ・ユニオン」という名前のそのお店には、かなり高額の中古品のアンプやプレーヤーやスピーカーが並んでいて、当時オーデイオに夢中になっていた私は、会社の昼休みや放課後にちょくちょく顔を出し、すぐに仲良くなったお店の主任のシミズ選手に頼んで、毎日のように試聴させてもらっていたのでした。

私は、つとに名高い米国の名スピーカー「JBLの4343」、そして流行作家の五味康祐選手が絶讃していた英国製の最高級スピーカー、「タンノイ・オートグラフ」の妙なる美音に耳を傾け、「ああ安月給の自分が、こんな高嶺の花を手に入れる日が、いつか来るだろうか、いや絶対に訪れないだろう」と思いつつも、連日の「オーディオ・ユニオン」詣を欠かしませんでした。

ある日の夕方のこと、私は大学時代の同級生の門君と、このお店で待ち合わせをしました。門君は、某大学のオケのハイドンの交響曲の演奏会で、「チェロを弾きながらうたた寝していた」という伝説のある人で、私はそんな偉大な豪傑から、クラシック音楽の手引を受けたのでした。

さてくだんの門君がやって来たので、一緒に店内を物色しながら歩いていると、シミズ選手が「ササキさん、いい出物がありますよ。騙されたと思って、ちょっと聞いてみませんか」と言葉巧みに誘います。
「これから新宿の厚生年金会館でゲンナジ・ロジェストベンスキー指揮のモスクワ放送交響楽団のコンサートがあるから、ちょっとだけだよ」というと、すぐさまシミズ選手が、物置から割合小ぶりの英国製スピーカーを取り出してきました。もちろん中古品です。

「ご存じかもしれませんが、これが「KEF104ab」というイギリスのBBC放送局お墨付きのモニタースピーカーです。曲は何にしますか。なんでもいいですか。お急ぎでしょうから第4楽章だけおかけしましょうね」
といって、テクニクス製のプレーヤーに乗せたレコードが、ムラビンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団が演奏するチャイコフスキーの交響曲第5番でした。

これは1960年にウイーンに楽旅に出た彼らが、1960年 9月14, 15日にウィーンのムジークフェラインで収録したものですが、さすが毎年ニューイヤーコンサートが行われている名ホールでの録音だけあって、時代を感じさせない鮮明さで定評があったのです。

そして肝心の演奏はといえば、この曲を偏愛して何度も何度も録音を重ねた全盛時代のムラビンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団が、燃えに燃えた、空前絶後の怒涛の名演奏を繰り広げている名盤中の名盤なのです。

そんなことは、門君も私もよーく分かっているのですが、驚くべきはその貴重な音源をものの見事に劇的に音化している、この、見た目は貧相な2本のスピーカーです。
低音もブンブン唸っているが、殊に中高音の鳴りっぷりが素晴らしい。ムラビンスキーと当時のソ連ナンバーワンのレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団と名機「KEF104ab」が、完全に三位一体となって、歌いに歌いまくっている。

有名な「運命の動機」が高らかに奏され、ホルンとトランペットが豪快に応答しながら終曲に殺到するコーダでは、文字通り、血沸き肉が踊る思いで、演奏が終ると、私と門君は、思わず「ブラボー!」を何度も叫んで「KEF104ab」選手に向かって盛大な拍手を贈っていました。

それまでのどんな生演奏でも味わったことのない感動、そしてこの直後、新宿厚生年金会館でゲンナジ・ロジェストベンスキー指揮のモスクワ放送交響楽団が聞かせてくれた、チャイコフスキーの交響曲第4番のこけおどしの阿呆莫迦演奏を遥かに凌ぐ真率な感動を、この英国製の「地味にスゴイ!」中古スピーカーは、生まれて初めて私に体験させてくれたのでした。
https://www.youtube.com/watch?v=Ov9XDLajBFY

                           大興奮のまま、明日に続く


   人類が死滅するとも生き残るトランププーチン安倍蚤糞 蝶人
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1974年のアメリカ映画2本立て

2017-06-06 15:57:37 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1183,1184


○スピルバーグ監督の「続・激突!カージャック」をみて

赤ん坊を取り戻そうと若い母親(ゴールディ・ホーン)が服役中の夫を脱獄させ、成り行きで警官を誘拐したままパトカーで逃避行を繰り広げる実話の映画化だが、諸悪の根源は彼女にあるのに夫が殺されてしまうのは、ちとひど過ぎる。音楽はジョン・ウイリアムズだが後年の音とは全然違う。


○H・B・ハリッキー監督の「バニシングin60」

圧倒的なカーチエースを楽しむそれだけの楽しいと言えば楽しい、ばかばかしいとい言えばばかばかしい映画。なんでも93台の車をぶっ壊したそうだ。


 コンチェルトの演奏が終われば聴衆はアンコールを執拗にせがむ 蝶人


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福音館版・佐々木マキ著「へろへろおじさん」を読んで

2017-06-05 15:49:39 | Weblog


照る日曇る日 第969回


児童図書や詩集の出版元「らんか社」のたかはしけいすけさんの紹介に触発されて手にとってみましたが、短い絵本なのに思いがけない感動を覚えました。

主人公の「へろへろおじさん」が友達に書いた手紙をポストに入れに行くだけの話なんです。でも階段から滑り落ちるところからはじまって、その途中でさまざまな障害が湧き起り、それがだんだん酷くなっていくのです。

これはもはやポストに手紙を入れに行く短い起こる騒動というレベルの話ではなく、人生という長い途次に起こる悲喜劇を象徴しているような気もするのですが、まあそんなシチ面倒くさいへ理屈はさておいて、ラストのどんでんがえしに救われます。

なんといってもこの「へろへろおじさん」のキャラクターが素晴らしく、その漂漂とした風貌はどこかたかはしさんのそれに似ているのでした。


たかはしのけいすけさんがおすすめの「へろへろおじさん」はけいすけさんににている 蝶人
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自由律詩歌その23

2017-06-04 11:21:17 | Weblog


ある晴れた日に 第454回




くあくあくあ

くいくいくい

くうくうくう

くえくえくえ

くおくおくお

くかくかくか

くきくきくき

くくくくくく

くけくけくけ

くこくこくこ

くさくさくさ

くしくしくし

くすくすくす

くせくせくせ

くそくそくそ

くたくたくた

くちくちくち

くつくつくつ

くてくてくて

くとくとくと

くなくなくな

くにくにくに


   蟻一匹見逃すなかれと命じられ監視カメラは瞬きもできない 蝶人


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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第47回

2017-06-03 11:23:19 | Weblog


西暦2017年皐月蝶人花鳥風月狂歌三昧~バガテル―そんな私のここだけの話 op. 252


今朝は五月晴れなのに、午後から突如雷雨になり突風が吹き荒れるそうだ。健気に施設に出かけていった息子と健気に戦後民主義を堅持してきたこの国の平安が危ぶまれる。5/1

「戦争と平和」などはトルストイの小説のタイトルと思っていたが、なんのことはない、それは私たちの普通の生活の別名なのであった。5/2

私は天皇制に反対なので現行憲法の第1章を削除した改定に賛同するが、そのほかの条文は基本的にはそのままで構わないと思う。本質的には自衛のための軍備すら放棄している第9条に象徴されているように、誰が書いたか知らないが、あれは人類の見果てぬ夢と理想なのである。5/3

安倍蚤糞とその内閣を打倒しない限り、この国の平和と安寧は回復されないだろう。5/4

美人とかブスとかイケメンなどと騒いでも、それは外皮のほんのうわべの違いに過ぎないのであって、神も仏も、ましてやその人間本体の内部の肉体組織すら、与り知らないことなのであった。5/5

地上に核がなければ核戦争はない。国境がなければ国も難民もないが、人がいる限り宗教と人種による紛争は存続するだろう。5/6

憲法前文の「諸国民の公正と信義の信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」に疑義を呈する人がいる。北朝鮮や中国のような軍事第一の乱暴国やISの公正と信義などに、我が国の安全と生存を依存できないというのだが、前文が「信頼している」のは、「諸国家」ではなく「諸国民」である。5/7

「諸国家」の国家権力は、必ずしも「諸国民」を代表しない。この先見の明あるドンキホーテは、「世界の諸国家の権力者に跋扈している不正と不信ではなく、その国の民草の心根に潜在し、沁みついている公正と信義を信頼する」と大胆不敵にも宣言しているのである。5/8

憲法前文と9条には、全人類がめざすべき夢と希望と理想が語られているので、人世に夢と希望と理想の持ち合わせのない人々は、それを「非現実的なユートピア論」などと言って忌避する。ユートピアを志向して何が悪いのか。5/9

「目には目を、歯には歯を」の暴力応酬を遮断し、真の国際平和を実現するためには、お互いに他国を信頼して、すべての国が軍備を放棄して、まるで赤子のように無力で無防備にならなければならない。この無謀で勇気ある企ての先駆けとなるべきであったのが、戦後日本であった。5/10

むかしも今も、海外侵略戦争は自衛戦争の名において行われる。自衛権と軍備を放棄しない限り、その国は必ず他国と戦争するだろう。絶対平和主義が貫徹した国際社会は、自衛権と軍備の放棄によってしか生まれない。5/11

昨日NHKの「あてなよる」を見ていて、私は常盤貴子と鶴田真由を同一人物だと思っていたことが判明した。どうやら昔から図像、肖像の認知に障碍があるようだ。ロールシャッハテストを受けてみようかしらん。5/12

ロシアとの「共謀」を疑われて「これはヤバイ」と思うと、即FBI長官の首を斬り、「彼奴は目立ちたがり屋だ」とほざく。アメリカは、ほんとに素晴らしいガキンチョ大統領を選んだものだ。5/13

こんな酷い世の中に、もうこれ以上生きていたくもない、と思いつつも、なおしぶとく生きつづけていると、その酷い世の中は、もう私のいない世の中のような感じで眺められるのだった。5/14

大嫌いなぶりっこDJが去って「ザ・レジェンド」に懐かしい壇ふみが帰ってきたので、久しぶりにN響コンサートの中継を聴いてみたが、相変わらず詰らない指揮者が、下らない演奏を繰り広げているのだった。5/15

いつもズボンの前を開けたままにしているという作家、車谷長吉選手のことをこいつ阿呆ではないかと莫迦にしていたのだが、いつの間にか私もまったく同じ事をしている。あれは小便したあとチャックを上げ忘れているだけの話なのだ。5/16

安倍蚤糞への対案? んなもん出す必要はない。彼奴の政策の正反対を粛々と実行してさえいれば、自動的に「清く正しく美しい日本」になるのさ。5/17

徳川夢声と対談した谷崎潤一郎が「男性バレリーナの一物の存在が無作法千万」と発言すると、夢声は「「トスカ」の総督スカルピア役なんかでは、殊更目立つようにしないと面白くないんです」と言うたので、谷崎は「成程、それなら何をかいわんや」と思ったそうだ。谷崎潤一郎「当世鹿もどき」5/18

ある日偶々三笠宮と熱海駅で電車に乗り合わせた谷崎潤一郎は、お互いに眼があった時に挨拶する機会を失い、そのまま読書する振りをしている三笠宮の視線を捉えようと懸命だったが、三笠宮は品川駅でふいと席を立って消えてしまったので、終日寝覚めが悪かったという。谷崎潤一郎「当世鹿もどき」5/19

ま、そのおー、いくら審議しようが、安保法制にしろ凶暴罪、憲法改悪にせよ、自公維新に投票する人間がいる限り、どんどん成立してしまうということが問題ではないでえしょうかあ。by偽小西得郎。5/20

勝負に勝って試合に負けた村田選手。今にも倒れそうでも、手数が多ければ優勢と評価されて勝てる、ということが分かった。5/21

日本も、日本人も、根太が腐ってる。オラっちも、そうなのかな。5/21

ふたりのこどもをくににあげ
のこりしかぞくはなきぐらし
よそのわかしゅうみるにつけ
うづのわかしゅういまごろは
さいのかわらでこいしつみ  木村迪夫氏の祖母

にほんひのまる
なだてあかい
かえらぬ
おらがむすこの
ちであかい   木村迪夫氏の祖母

詩は
ないコトバに出会うことだろう
詩人は
ないだろう
ないヒトだろう  さとう三千魚「poet」5/25

昨夜、滑川の橋の袂にてヘイケボタル5,6匹飛ぶを見る。嬉しきことなり。もっと嬉しきは、つとに死に絶えたと思いし天然ウナギのウナサブロウに再会したことなり。ウナサブロウ、楽しげに遊弋す。5/26

G7サミットで、他国の大統領を押しのけて前に出るトランプの映像を眺めていて、思わず笑ってしまった。こういう奴って、クラスでも、会社でもいたなあ。「米国第一」を唱える前から「自分第一」が身についていたんだね。5/27

長い間飼っていた10匹のメダカの、最後の1匹がとうとう姿を消してしまった。おそらくあのぶくぶくに肥ったドラ猫に食われてしまったのだろう。お腹がふくれて、もしかすると赤ちゃんが生まれそうだっただけに、一入哀れである。5/28

たった1本の虫歯でも1日の安息は失われ、世界平和も、この国の将来も、どうでもよくなってしまう。つくづくにんげんは健康が第一と観じてしまう。ちちんぷいぷい病気と怪我よ!5/29

別に北朝鮮を支持する訳ではないが、その弾道ミサイル攻勢に対して、既にそれらを腐るほど所有している核先進国や、それらを持ちたくてウズウズしている核所有希望国が、断固反対の理由にしている国連決議とか国際正義って、所詮漫画かポンチ絵ではないのかしらん。5/30

今頃になってアメリカが演習を始めたが、ICBMの迎撃ミサイルの命中率はおよそ5割だから、北朝鮮が弾道ミサイルをじゃんじゃん打てば、日米韓も処置なしということだ。武には武の限界がここにもある。5/31


   不都合な真実には眼を瞑り手前味噌ばかり並べるトランプ 蝶人

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なにゆえに第39回~西暦2017年皐月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2017-06-02 11:07:09 | Weblog


ある晴れた日に 第454回


なにゆえに米艦擁護の任務に着くトランプの戦争に巻き込まれるではないか

なにゆえに「な」が発音できない「あーた、あーた」と連呼する黒柳徹子

なにゆえに3割打者の青木をすぐに交代させる先発しても9番だしなあ

なにゆえにサイトウさんチで巣を作るのかツバメよ来たれと祈っているのに

なにゆえに憲法改悪を声高に叫ぶお前の野望は潰えるだろう

なにゆえに憲法9条には価値がある闇黒の世の希望のともしび

なにゆえにイチローはヒットが打てないもともと彼は代打が苦手

なにゆえにルペンは大統領になれない自由も平等も博愛もない

なにゆえに一晩中歯が痛むこれは虫歯かそれとも心臓?

なにゆえに右の奥歯がしくしく痛むおそらく歯茎が腐りかけている

なにゆえにトランプはFBI長官を解雇するロシアとの共謀をもみ消さんとて

なにゆえに永田和宏選手は欠場を続ける朝日歌壇の選者なのに

なにゆえに激烈な歯痛が消え去ったげに岸本歯科は偉大なるかな

なにゆえに稀勢の里は「ほぼほぼ」というほぼは1回だけにしてもらいたい

なにゆえに北朝鮮は弾道ミサイルを打ち上げる自他滅却戦争を覚悟している

なにゆえに日米は最悪の指導者を選んだか両国民が史上最悪の莫迦野郎だから

なにゆえに大相撲は盛り上がる稀勢の里が綱渡りするから

なにゆえにどんな悪法もじゃんじゃん通る自公維新に投票するから

なにゆえに大田先生は身罷った沖縄の現状に絶望したから

なにゆえにトランプがコミーに言える「狂っていて本当に変人だ」

なにゆえに障がい児者は生まれたか健常者の愚かな知恵を暴き出すため

なにゆえに立ち合いで手をつかない本気で力士に叩きこまない

なにゆえに稀勢の里は休場するやっぱり怪我は治っていなかった

なにゆえに1日50本も電話してくるふきのとう舎でお仕事しなさい

なにゆえに読売は次官のスキャンダルを書き立てる所詮は下劣な赤新聞だから

なにゆえにカモはまだ滑川にいるマガモじゃなくてカルガモなのか

なにゆえに土日の耕君は食べまくる施設やホームではお腹が減るから

なにゆえに大阪弁で放送しない読売テレビの阿呆莫迦ミヤネ屋

なにゆえに野党は安倍蚤糞を追いつめられないロクな人材がいないから

なにゆえに安倍蚤糞は口から出まかせをいう民草を馬鹿にし切っているから

なにゆえに安倍蚤糞はなんでも出来る羊たちが沈黙しているから


  なにゆえに人はうつろな晩年を送る心ゆくまで後悔するため 蝶人
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西暦2017年皐月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2017-06-01 14:21:16 | Weblog


ある晴れた日に 第453回


しき金魚葉椿を見つけたり五月の長谷の収玄寺にて

珍しき八重のドクダミ見つけたり亡き母上の庭の片隅

本日も短歌戦線異状なし口語派軍の攻勢続くも

ただ一首の歌すら生みだすこともなく大連休は過ぎ去りにけり

小泉淳作の日本画は素晴らしい安田靫彦なんかてんでめじゃない

「ティーチャー」と呼ばれし人は逝きました障がいを持つ子らを慈しみつつ

鎌倉の風来坊として罷りき大田先生さようなら

2人とも代打に呼ばれイチローはライトフライで青木投ゴロ

勝負に勝ち試合に負けた村田選手手数が多ければ倒れそうでも右手が上がる

化け猫に秘剣に光る八つの玉「南総里見八犬伝」こそ究極の活劇

「ロッキー」のスターローンの真似をしてフラデルフィア美術館の階段に立つ息子

もしかして明るい人ではなかったか「朗然居士」こと北条時宗

もしかしてオバマってすごくいい大統領だったんじゃないかと思ってしまう今日この頃

天皇制に反対する歌などは載せないだろうとはなから自粛してしまう虚しさ

内閣も総理大臣もこの国も日本会議に乗っ取られて久しい

三権と日本国憲法を乗っ取った岸信介亡霊内閣

憲法より閣議決定を優先するこんな日本に誰がした

監視カメラではまだ安心できないと共謀罪で投網を掛ける

韓ドラを愛する人はおそらくは嫌韓派ではないのだろうが

「凶暴罪」などはこの世に無きがごとく「眞子眞子眞子」と大騒ぎする人

そういえば黒田清子さんのときにもマスコミはここを先途と大いに騒いだ

やよ人よ総理官邸の意向を聞き流し日本国憲法条文を忖度せよ

御威光を損得で忖度する平目ども現われいでて首領に媚びる

壊憲の先棒担ぐ安倍蚤糞議会で右翼紙をPRする

7割が森友疑惑を難じつつ半数が安倍内閣を支持する奇怪さ

トランプも安倍もキムもプーチンもみんなみんな消えてなくなれ

アメリカも日本も中露もEUもシリアも朝鮮もない地球

人類のワンダーランドここにあり日本国憲法第9条

ハクモクレンとコブシの見分けがつかぬ人 

心臓の痛みに耐えて皐月哉


    国境も税関もない青空を五月の燕スイスイと飛ぶ 蝶人
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