『医療を哲学的に考えてみる』なかなか続きが書けないでいる。そうこうするうち、先日、医療倫理についての研修会があった。
講師の先生が使っていた、「医療倫理」という言葉、それは不肖コロ健がこのシリーズで書こうと思っていたことに近いことが含まれていて、整理のためというか、あとで盗作のようなことになっては困るので、ここでそういうことがあったということを記録しておく。
というのも、医療従事者がおこなってきた非倫理的、非人道的な事件についての解説があり、さらに、その後いろいろ出てきた患者の権利を守る宣言などについての話もあった。こういったことについて、いろいろな人がいろいろなことを考えているものだと改めて感心した。ものごとの原因、結果を考える、ということはある意味哲学的であり、私の試みと重なる。
いまさら、私が何を考えても仕方ないくらいのだが、なんとかオリジナリティーを持っていきたい。
さて、これからどう進めていくかだが、まずは患者の立場から考えてみたい。
自分が病気になった時のこと、家族が病気になった時のことを思い出して、考えてみる。
その次に、医療者の立場から考えてみたい。
講師の先生が使っていた、「医療倫理」という言葉、それは不肖コロ健がこのシリーズで書こうと思っていたことに近いことが含まれていて、整理のためというか、あとで盗作のようなことになっては困るので、ここでそういうことがあったということを記録しておく。
というのも、医療従事者がおこなってきた非倫理的、非人道的な事件についての解説があり、さらに、その後いろいろ出てきた患者の権利を守る宣言などについての話もあった。こういったことについて、いろいろな人がいろいろなことを考えているものだと改めて感心した。ものごとの原因、結果を考える、ということはある意味哲学的であり、私の試みと重なる。
いまさら、私が何を考えても仕方ないくらいのだが、なんとかオリジナリティーを持っていきたい。
さて、これからどう進めていくかだが、まずは患者の立場から考えてみたい。
自分が病気になった時のこと、家族が病気になった時のことを思い出して、考えてみる。
その次に、医療者の立場から考えてみたい。