台風26号は首都圏の交通網をずたずたにして、北に去っていった。
幸い、今回もわが家の裏山は崩れなかったが、市内では巨岩が落ちてきたというニュースがあった。
さらに、相模湾越しによくみえる伊豆大島では大変な災害となっているようで、犠牲者の方々のご冥福をお祈りする。
不肖コロ健、先日来の風邪はいっこうに快方に向かわず、四苦八苦している。
急ぎの診断症例はないが、午後には術中迅速はあるし、委員会もある。当番日ではないが、病院には行かねばならない。
9時ごろになって、鎌倉は台風一過の青空となった。すぐに出ようと思ったのだが、いかんせん、体が動かない。
交通情報でも、多数の路線での運休が伝えられていた。
結局、午前中の間は、都内で乗り継ぐ電車が運休で、どのみち病院にはいけなかった。
車を出そうかとも思ったが、強風の中を割れそうな頭で運転するのはよしたほうがいい。
昼頃になって、ダイヤの乱れはあるものの都内各線も動き出したというので、横須賀線に乗ったはいいが、逗子からすでに満員。
今回、横須賀線は動いていたらしいが、本数が少なくてこれまた大混雑だったらしい。
さすがに体調不良のコロ健、気持ち悪くなって、大船で一度降りてしまった。
この先、ますます混むのはわかっている。病院に這ってでも行くかどうするか、悩んだが、結局悩んでいるうち、次に来た列車が少しすいていたのでそれに乗って都内に向かった。
途中、多摩川を越えるときには河原で増水した川面を覗き込んでいる人が何人も見えたが、心配になった。ああいう人がときどき流されるのだろうか。
かくいう私も、小学生の頃に増水した川を見に行ったことが何度かあるので、人のことは言えない。
駅を降りたら、吹き返しの強い風が顔にあたった。
歩いてくるとき、そこここに、たくさんの葉が落ちてできた吹き溜まりがあった。
今回の台風、自然の猛威、という以外の表現が見当たらない出来事だった。
東日本大震災にしても、先日の京都嵐山の水害にしても、結局のところ人間の存在などというもの、地球からみたらほんの些細なものにすぎない。
地上を無軌道に汚したり(環境汚染)、温室効果ガスを作って気温を上げたり、戦争をしたり、だましあったり、と、どれも大きな地球からみたら、ばかばかしくなるほどくだらないことに見える。
地球にしがみついているだけの人間、滑稽でもある。
だからそれぞれの人という存在、それなりにもっとまじめに生きていってもバチは当たらないような気もする。
それが、自然への畏怖につながるものかもしれない。
必要な仕事を片づけ、病院を出たら、吹き返しというよりは、北風が吹いていた。
まだ雨雲が残っているのか、通り雨に降られた。ツイてない。
これで、本格的な秋がやってくるのだろうか。
幸い、今回もわが家の裏山は崩れなかったが、市内では巨岩が落ちてきたというニュースがあった。
さらに、相模湾越しによくみえる伊豆大島では大変な災害となっているようで、犠牲者の方々のご冥福をお祈りする。
不肖コロ健、先日来の風邪はいっこうに快方に向かわず、四苦八苦している。
急ぎの診断症例はないが、午後には術中迅速はあるし、委員会もある。当番日ではないが、病院には行かねばならない。
9時ごろになって、鎌倉は台風一過の青空となった。すぐに出ようと思ったのだが、いかんせん、体が動かない。
交通情報でも、多数の路線での運休が伝えられていた。
結局、午前中の間は、都内で乗り継ぐ電車が運休で、どのみち病院にはいけなかった。
車を出そうかとも思ったが、強風の中を割れそうな頭で運転するのはよしたほうがいい。
昼頃になって、ダイヤの乱れはあるものの都内各線も動き出したというので、横須賀線に乗ったはいいが、逗子からすでに満員。
今回、横須賀線は動いていたらしいが、本数が少なくてこれまた大混雑だったらしい。
さすがに体調不良のコロ健、気持ち悪くなって、大船で一度降りてしまった。
この先、ますます混むのはわかっている。病院に這ってでも行くかどうするか、悩んだが、結局悩んでいるうち、次に来た列車が少しすいていたのでそれに乗って都内に向かった。
途中、多摩川を越えるときには河原で増水した川面を覗き込んでいる人が何人も見えたが、心配になった。ああいう人がときどき流されるのだろうか。
かくいう私も、小学生の頃に増水した川を見に行ったことが何度かあるので、人のことは言えない。
駅を降りたら、吹き返しの強い風が顔にあたった。
歩いてくるとき、そこここに、たくさんの葉が落ちてできた吹き溜まりがあった。
今回の台風、自然の猛威、という以外の表現が見当たらない出来事だった。
東日本大震災にしても、先日の京都嵐山の水害にしても、結局のところ人間の存在などというもの、地球からみたらほんの些細なものにすぎない。
地上を無軌道に汚したり(環境汚染)、温室効果ガスを作って気温を上げたり、戦争をしたり、だましあったり、と、どれも大きな地球からみたら、ばかばかしくなるほどくだらないことに見える。
地球にしがみついているだけの人間、滑稽でもある。
だからそれぞれの人という存在、それなりにもっとまじめに生きていってもバチは当たらないような気もする。
それが、自然への畏怖につながるものかもしれない。
必要な仕事を片づけ、病院を出たら、吹き返しというよりは、北風が吹いていた。
まだ雨雲が残っているのか、通り雨に降られた。ツイてない。
これで、本格的な秋がやってくるのだろうか。