これから、大学入試のシステムがかわるらしい。
いわく、「人物本位の選抜」。どうやって将来有望な人材を選ぶのか。方法はあるのか。
面接を重視することや、細かくテストを行うといったようなことをするようだが、どうなのだろう。
いくらやる気のある学生だからといって、もともと能力が欠けていたらどうしようもない。こういう学生をつかんでしまうのはまあ大学側の責任として、それよりも高い能力を有しているのに入学を許可されない学生が溢れてしまわないだろうか。
マニュアル化された面接技術、小論文の技術が高いことが悪いとはいわないが、それだけの能力では学生の力ははかれない。
どのような方法であっても、完璧ではない。
それよりは、大学に入ってからの教育方法はどうなのか。
日本の大学は入ってしまえばこっちのもので、卒業は比較的簡単だという。
そりゃそうだろう、大学は就職のための腰掛けにしかみえないようないまの状態では勉強も大してできまい。
それに、就職活動による消耗もなまじっかのものではあるまい。100社も受けるなどということをしていて、勉強に身が入るのだろうか。
こんなだったら、勉強させるよりも就職率が高い方が大学にも学生にもいい。卒業も緩くなってしまうに違いない。
大学の教官にしても、大学というところはそもそも教育を行うところであるという基本に立ち返る必要があるように思う。
それには、”教育のプロ”の育成が必要だ。
こと、医学教育に限っていえば、診療が上手な教授、研究が優れた教授そして指導力が優れた教授、そいうったように分けなくてはならない。診療教授はほうっておいても尊敬されるし、研究が優れた教授も論文数があればそれほど心配することはない。だが、指導教授はなかなか尊敬されるチャンス、とくに医者同士の間での尊敬、評価を得にくい。
そういった環境を変え、指導に専念できる教官を養成していくことが結局は世界に通用する若い科学者の養成につながっていくのではないか。
センター試験「一発勝負」から転換 大学の負担は増大
朝日新聞デジタル 2013年11月1日05時32分
知識偏重の「一発勝負」から、課外活動などを含めた「人物本位」の選抜へ。安倍晋三首相肝いりの施策とされる大学入試改革の概要が見えてきた。大学側は「多様性のある学生の確保」の重要性は認めるものの、ペーパーテスト重視からの大転換を迫る内容に困惑を隠せない。
大学入試「人物本位の選抜に」 再生会議が提言
■「停滞」脱却目指す
【村上宣雄】首相官邸で開かれた教育再生実行会議を終え、文部科学省内で記者会見に臨んだ下村博文文科相は言った。「国際化、そして高齢化が進み、日本は少子化の中でそれを支えていかねばならない。一人一人の人材力を高めることが必要で、そのための改革案と考えている」今回、大学入試改革に向けて政府が動いた背景にあるのは、大学の「大衆化」だ。少子化と学校増によって大学進学率は5割を超え、志願者に対する入学者の割合は9割台に上昇。大学の定員と志願者数がつりあう「全入」どころか4割の私大が定員割れを起こしている。「えり好みしなければどこかの大学には入れる」と、高校生の学習時間は減っている。
そんな中で、延々と点数主義の入試を続けても意味がない。意欲や潜在能力といった観点に切り替え、積極的に人材を見いだして育てなければ、大学教育は停滞から抜け出せない。レベルの違いこそあれ、それは難関大学にも通じることだろう――。実行会議のメンバーは、こんな考えを共有していたという。
いわく、「人物本位の選抜」。どうやって将来有望な人材を選ぶのか。方法はあるのか。
面接を重視することや、細かくテストを行うといったようなことをするようだが、どうなのだろう。
いくらやる気のある学生だからといって、もともと能力が欠けていたらどうしようもない。こういう学生をつかんでしまうのはまあ大学側の責任として、それよりも高い能力を有しているのに入学を許可されない学生が溢れてしまわないだろうか。
マニュアル化された面接技術、小論文の技術が高いことが悪いとはいわないが、それだけの能力では学生の力ははかれない。
どのような方法であっても、完璧ではない。
それよりは、大学に入ってからの教育方法はどうなのか。
日本の大学は入ってしまえばこっちのもので、卒業は比較的簡単だという。
そりゃそうだろう、大学は就職のための腰掛けにしかみえないようないまの状態では勉強も大してできまい。
それに、就職活動による消耗もなまじっかのものではあるまい。100社も受けるなどということをしていて、勉強に身が入るのだろうか。
こんなだったら、勉強させるよりも就職率が高い方が大学にも学生にもいい。卒業も緩くなってしまうに違いない。
大学の教官にしても、大学というところはそもそも教育を行うところであるという基本に立ち返る必要があるように思う。
それには、”教育のプロ”の育成が必要だ。
こと、医学教育に限っていえば、診療が上手な教授、研究が優れた教授そして指導力が優れた教授、そいうったように分けなくてはならない。診療教授はほうっておいても尊敬されるし、研究が優れた教授も論文数があればそれほど心配することはない。だが、指導教授はなかなか尊敬されるチャンス、とくに医者同士の間での尊敬、評価を得にくい。
そういった環境を変え、指導に専念できる教官を養成していくことが結局は世界に通用する若い科学者の養成につながっていくのではないか。
センター試験「一発勝負」から転換 大学の負担は増大
朝日新聞デジタル 2013年11月1日05時32分
知識偏重の「一発勝負」から、課外活動などを含めた「人物本位」の選抜へ。安倍晋三首相肝いりの施策とされる大学入試改革の概要が見えてきた。大学側は「多様性のある学生の確保」の重要性は認めるものの、ペーパーテスト重視からの大転換を迫る内容に困惑を隠せない。
大学入試「人物本位の選抜に」 再生会議が提言
■「停滞」脱却目指す
【村上宣雄】首相官邸で開かれた教育再生実行会議を終え、文部科学省内で記者会見に臨んだ下村博文文科相は言った。「国際化、そして高齢化が進み、日本は少子化の中でそれを支えていかねばならない。一人一人の人材力を高めることが必要で、そのための改革案と考えている」今回、大学入試改革に向けて政府が動いた背景にあるのは、大学の「大衆化」だ。少子化と学校増によって大学進学率は5割を超え、志願者に対する入学者の割合は9割台に上昇。大学の定員と志願者数がつりあう「全入」どころか4割の私大が定員割れを起こしている。「えり好みしなければどこかの大学には入れる」と、高校生の学習時間は減っている。
そんな中で、延々と点数主義の入試を続けても意味がない。意欲や潜在能力といった観点に切り替え、積極的に人材を見いだして育てなければ、大学教育は停滞から抜け出せない。レベルの違いこそあれ、それは難関大学にも通じることだろう――。実行会議のメンバーは、こんな考えを共有していたという。