はじめて自分が父に似ていると自覚したのは、高校生の頃だったと思う。家族旅行で行った先のプールで水から出てきた父の顔が、鏡か写真でしか見ることの無い私とそっくりで驚いた。
その父も、最近では髪の毛が薄くなってきた。その父の顔の輪郭が亡くなった祖父によく似ている。私もいずれ、そうなるのだろう。
祖父と父と私、おそらくずいぶん似通った遺伝情報を持たされているに違いない。
遺伝子のすごいところは、ヒトをはじめとする生物を使って、定常性を維持しているということだ。
すなわち、遺伝子自身は自らを残す、ということだけが目的化しているわけで、担体である生物の体は生殖期まで使えればその後は用はない。このことについては、以前(ヒトにおける身体の存在意義・・・ヒトはどこから来てどこへ行くのか(3))考えたこととなので、このくらいにしておく。
さて、遺伝子が自己を保存するには、遺伝子そのものが培養のような状態の環境の中に居続けなくてはならない。
細菌、真菌など下等生物は周囲の環境から栄養などを得るが、人など、多細胞生物では自ら栄養を獲得することができるような肉体的、知的能力を得なくてはならなくなる。その過程の中で人間は文明社会を形成するに至った。
われわれ人類の遺伝子がこのような文明社会を形成することを自分自身に命じたとは思えないが、結果としてはそうなった。
遺伝子は自己保存のためにこのような文明社会を形作ったといえる。
そして、その過程には遺伝学的な進化があった。
いわゆる下等生物からわれわれ人といっても、同じように保存されている遺伝子というのがたくさんある。それならなぜこのように進化する必要があったのだろう。
強い力、知能が安定した生存のために必要だったのだろうことは想像がつく。
単為生殖でよかったのに性を二つに分けたというのも興味深い。神話の世界では第3の性があったようだが、今は二つだ。性別が三つも四つもあったら何か都合が悪かったのかはわからない。
遺伝子は自己保存を行うため、似たような形になる、これが定常性であり、親子は似てしまう。
それでも長い目で見ると別の遺伝子と交わるために進化していく。
遺伝情報の伝達機序は近年、ものすごい勢いでどんどん解明されている。
だが、遺伝子は何のために自己保存と定常性を維持することを目的として存在しているのか。
このことはビッグバンと同様よくわかっていない。
その父も、最近では髪の毛が薄くなってきた。その父の顔の輪郭が亡くなった祖父によく似ている。私もいずれ、そうなるのだろう。
祖父と父と私、おそらくずいぶん似通った遺伝情報を持たされているに違いない。
遺伝子のすごいところは、ヒトをはじめとする生物を使って、定常性を維持しているということだ。
すなわち、遺伝子自身は自らを残す、ということだけが目的化しているわけで、担体である生物の体は生殖期まで使えればその後は用はない。このことについては、以前(ヒトにおける身体の存在意義・・・ヒトはどこから来てどこへ行くのか(3))考えたこととなので、このくらいにしておく。
さて、遺伝子が自己を保存するには、遺伝子そのものが培養のような状態の環境の中に居続けなくてはならない。
細菌、真菌など下等生物は周囲の環境から栄養などを得るが、人など、多細胞生物では自ら栄養を獲得することができるような肉体的、知的能力を得なくてはならなくなる。その過程の中で人間は文明社会を形成するに至った。
われわれ人類の遺伝子がこのような文明社会を形成することを自分自身に命じたとは思えないが、結果としてはそうなった。
遺伝子は自己保存のためにこのような文明社会を形作ったといえる。
そして、その過程には遺伝学的な進化があった。
いわゆる下等生物からわれわれ人といっても、同じように保存されている遺伝子というのがたくさんある。それならなぜこのように進化する必要があったのだろう。
強い力、知能が安定した生存のために必要だったのだろうことは想像がつく。
単為生殖でよかったのに性を二つに分けたというのも興味深い。神話の世界では第3の性があったようだが、今は二つだ。性別が三つも四つもあったら何か都合が悪かったのかはわからない。
遺伝子は自己保存を行うため、似たような形になる、これが定常性であり、親子は似てしまう。
それでも長い目で見ると別の遺伝子と交わるために進化していく。
遺伝情報の伝達機序は近年、ものすごい勢いでどんどん解明されている。
だが、遺伝子は何のために自己保存と定常性を維持することを目的として存在しているのか。
このことはビッグバンと同様よくわかっていない。