「お前、これ盗っただろう?」
「いや、盗ってない」
嘘つきは泥棒の始まりであり、どんな嘘でもついてはいけない。
それでも、中にはついても許される嘘というのもありそうだし、どこまでいってもやっぱり許されない嘘もある。
許されない嘘、というのは最後に泥棒になってしまうもの、ついても許される嘘というのは最後に泥棒になることはないもの、とでもいえようか。
不肖コロ健、ついていい嘘と悪い嘘を分けて考えてみようと思う。
以前は、がんを患者本人に告知しないというのはついていい嘘のように考えられていたが、患者本人にとってはいい迷惑で、ちゃんと病状説明をしてもらって、病気と闘う準備をしたり、病気を受け入れ緩和ケアを受け、その時間に自分の人生の整理をする、というようなことをするために、嘘をついて本当はがんで、本人ががんである場合は教えて欲しいと言われていたのに、告知しないということはついては悪い嘘となってしまった。
相手のことを考えて、などという嘘は存在しない。
そうすると、ついていい嘘などないように思われるが、そんな噓、一つだけあるように思う。
それは、男女間の嘘。
周囲を巻き込まないのであれば、男女の間、すなわち1対1においては噓があってもいい。1対多の場合も、最終的には個々の問題になるので、1対1である。
愛情などというものは大変あやふやなもので、天気でだって変わったりする。
愛とか恋というものに、絶対的な定義はなく、人それぞれである。したがって、ある意味、男女間においては“噓”というもの自体が存在しないとも言える。
夫婦喧嘩は犬も喰わぬ、というが、口では”出て行け”、なんて言っていて、ほんとはそんなこと思っていない。
”おまえのことを一番愛している”、なんて口では言うが、二番目三番目に愛している人もいたりする。
永遠の愛を誓ったはずなのに、離婚する。
結局のところ、これらはみな当事者同士の問題であり、その時々に相手に対していったことは、本当であり噓である。
心を盗んだ、という言い方があるが、心に形は無く、物ではないので心を盗んでも泥棒になることはできない。
男女間では、ついていい噓というのがある。それもたくさんある。
それ以外についていい噓、というのは思いつかなかった。これ以外は、すべてついてはいけない悪い嘘となる。
嘘つきは泥棒の始まり、嘘をついてはいけない。
「いや、盗ってない」
嘘つきは泥棒の始まりであり、どんな嘘でもついてはいけない。
それでも、中にはついても許される嘘というのもありそうだし、どこまでいってもやっぱり許されない嘘もある。
許されない嘘、というのは最後に泥棒になってしまうもの、ついても許される嘘というのは最後に泥棒になることはないもの、とでもいえようか。
不肖コロ健、ついていい嘘と悪い嘘を分けて考えてみようと思う。
以前は、がんを患者本人に告知しないというのはついていい嘘のように考えられていたが、患者本人にとってはいい迷惑で、ちゃんと病状説明をしてもらって、病気と闘う準備をしたり、病気を受け入れ緩和ケアを受け、その時間に自分の人生の整理をする、というようなことをするために、嘘をついて本当はがんで、本人ががんである場合は教えて欲しいと言われていたのに、告知しないということはついては悪い嘘となってしまった。
相手のことを考えて、などという嘘は存在しない。
そうすると、ついていい嘘などないように思われるが、そんな噓、一つだけあるように思う。
それは、男女間の嘘。
周囲を巻き込まないのであれば、男女の間、すなわち1対1においては噓があってもいい。1対多の場合も、最終的には個々の問題になるので、1対1である。
愛情などというものは大変あやふやなもので、天気でだって変わったりする。
愛とか恋というものに、絶対的な定義はなく、人それぞれである。したがって、ある意味、男女間においては“噓”というもの自体が存在しないとも言える。
夫婦喧嘩は犬も喰わぬ、というが、口では”出て行け”、なんて言っていて、ほんとはそんなこと思っていない。
”おまえのことを一番愛している”、なんて口では言うが、二番目三番目に愛している人もいたりする。
永遠の愛を誓ったはずなのに、離婚する。
結局のところ、これらはみな当事者同士の問題であり、その時々に相手に対していったことは、本当であり噓である。
心を盗んだ、という言い方があるが、心に形は無く、物ではないので心を盗んでも泥棒になることはできない。
男女間では、ついていい噓というのがある。それもたくさんある。
それ以外についていい噓、というのは思いつかなかった。これ以外は、すべてついてはいけない悪い嘘となる。
嘘つきは泥棒の始まり、嘘をついてはいけない。