私への年賀状が病院の住所あてに何通か届いていた。ほとんどは仕事を通じて、個人的にも仲良くなった医者からのものだが、それらとは別に、数年前に病理外来で解剖の結果をお話をした、ある患者さんのご遺族からのものがあった。患者さんが亡くなられたあとの悲しみを乗り越え、今では幸せに暮らしていらっしゃるとのことが書かれていた。たった一度、外来で顔を合わせただけなのにたいそう感謝してくださったようだ。
ご遺族と顔を合わせたのは、ほんの1時間ほどだったが、その症例の診断書を完成させるまでには、解剖から始まり標本作り、鏡検と、十数時間かけている。すなわち亡くなられた患者さんとそれだけの時間対峙していたのだ。だが、そのことまで理解できるのは、残念ながら病理医以外はいない。
病理医というのは医者の中でも辛い部類に含まれると思う。
病理医に限らずそもそも私達医者というのは、人が病という関わりたくない不幸を得るところから仕事が始まる。そして、病理医の仕事は絶対条件として、病気の患者さんから病巣が採取されるところから仕事が始まる。すなわち、病理医の仕事というのはすでに病を得て悲しんでいる患者さんに、その悲しみを一、二割上乗せしたところから始まっているといえる。だから、病理医の仕事は見た目以上に辛いように思う。
病理医が患者さんに感謝されることは基本的にない。顔を合わせないのだから当たり前だし、患者さんからすれば、病気があったことに変わりは無いわけで、どんなに難しい症例でも正しく診断して当然。
これが私達病理医の役割だから、当たり前なのだけど、仕事へのモチベーションを保つのはなかなか難しい。顔の見えない人のための仕事をしていると、誰のために、何のために、と疑問を持ってしまうのは当然といえば当然だ。
病理医になろうという医者が一向に増えないのもしかたない。
私のこの話、臨床医にしてみたら日常の外来診療での患者さんからのお礼の言葉、退院の時のお礼とおなじような程度の、ありふれた話だろう。だけど、こんなどうということもないような話でも、病理医の私にしてみたら、とてもうれしいことであり、もっと勉強して、少しでも医学の発展のお役に立ちたいと思うのである。