先日、電車の中で、ノートPCをいじっていたら、ものすごい目で睨まれた。キーボードタッチの音がうるさかったのだろうと気がついて、慌ててPCの蓋を閉めた。もっと大きな音を立てている人もいるのになあ、なんて、心の中でぼやいてみたけど、その人にとっては私のこの音も気に障る大きさなのだろう。普段、周囲に対して、気をつけているつもりだったが、実は自分こそが迷惑をかける存在だったと気がついて落ち込んだ。気をつけなくてはいけない。
最近、多くの人がそれぞれの価値観を持っていること、そして、それを抑える必要がないと自覚し始めている。社会規範というものが、”社会”という総体の持つ考え方の一つに過ぎないもので、必ずしもそれに従うことはない。それぞれの人の価値観はいいとか悪いではなくて、それぞれの人固有のものであり、感じ方も人それぞれということになる。絶対的な価値観など存在しなくなっている。
私のことをうるさいと思った人にとってはうるさかったというだけの話だ。気をつけていたつもりだった私にはまだまだ配慮が欠けていた。周囲に対して配慮などする必要ないというのは大間違いだ。少なくとも、私は気をつける人間でいたい。それにこれまでに、同じような思いをしていた人は他にもいたに違いない。私自身は大いに反省しなくてはいけない。
ただ、電車の中で仕事ができなくなると、それは死活問題なので考えなくてはいけない。
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