こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

最近、ちょっとFacebookが苦手

2020年06月15日 | 電脳化社会
夜中目が覚めるとつい枕元にあるスマホを手に取ってしまう。ブルーライトの刺激を受けたら、よけいに眠りにくくなるとはわかっているので、いったい何時なのかだけを見てすぐに伏せてしまえばいいのだけど、画面の向こうに何が書かれているのかと気になってしまい画面を開けてしまう。読んだところで、私を取り巻く世界が変わるわけではないし、朝になってからでも遅くはないのにわざわざgooとかYahooの新着ニュースを見たり、ブログやFacebookのチェックをしたりする。

ポータルサイトのニュースの見出しの8、9割は同じようなことで、ソースも同じ。ニュース以外の構成も似通っていて、すぐに飽きてしまう。ちなみにGoogleのニュースもあるが検索エンジンがニュースを並べること自体に違和感があり、こちらはあまり読まない。ブログは自分のブログへのアクセス数、フォローしているブログの新着記事をチェックする。更新されたのが数分前だったりすると、ああこの人、こんな夜中に、眠れないのかな、などと自分のことを棚に上げてブロ友さんを思いやる。

Facebookは新しい投稿があるとそのことが表示されるのでつい開くが最近やや開く回数が減っている。通勤時には開くことがあるが、すくなくとも夜中にわざわざ開けて読むようなことはしない。以前は多くの人が楽しいことを無邪気に載せていたが、新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大以降はそういった、生活を楽しむこと自体がはばかられる様になり、さらには自粛生活のせいで楽しいこと自体がなくなってしまった。他人を攻撃するコメントも増えていて、私も一度やられて閉口した。コロナ関連の投稿もその臨床病態がわかっていなかった頃の情報共有はうまくいっていたが、局面が公衆衛生学的な局面に移ってきてからは、公衆衛生を専門としない人を含めいろいろな意見が出てきて、投稿の取捨選択が億劫になってきた。私はこのブログで私なりにいい文章が書くことができた時に、”ブログを更新しました”と、こんきもの記事をアップすることがあったが、ブログとFacebookではそもそも立ち位置が違うし、読むほうもFacebook的なさらっとしたものがいいようで、あまり興味を持ってもらえなかった様で、最近ではそうすることもやめた。そんなわけでなんとなくFacebookは開かないし、開かない様にしている。そのせいで、後になって驚く様な投稿を知ることもないわけではないが、どれも私の生活や仕事を脅かす様なものではない。
ブログ、Facebookの他にもインスタ、ツイッターにもアカウントは持っているが、そちらはほどんとみない。ツイッターなんて、夜中に開いてとんでもない議論に出くわしたらたまったものではない。SNSの世界でも住み分けがなされているのだということだろう。ブログでも、Facebookの様に名前も顔も出している人はいるし、Facebookでも正体がほとんどわからない人もいる。これはツイッターでも同じ様なものだろう。私は、まあまあゆるゆるの立ち位置でいる。それはこのブログが自分自身の心のあり方、生き方を見つめていくためのものだということが基本的な立場であるためで、政治とか経済の素人が背景も知らずにつべこべ言うのを避けているせいでもある。
気温急上昇

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