朝から暑い。それでも鎌倉の風はなんとなくやわらかく、職場のある東京の風とは違う。もちろん、時間的な問題もあるが、都内の駅に降り立った時の暑さといったらなかった。急いで病院に駆け込んだ。
東京オリンピックでゴタゴタが続きは、改めて”いじめ”問題がクローズアップされることとなった。いじめというものの正体を見極めるのは難しい。それはいじめというものの本質から人間は目を背けてしまうからかもしれない。いじめというものの本体を見つめようとすると、自分の中にある、意地悪な気持ち、わがままな気持ち、そういったものが露呈してしまうことを恐れてしまう。もちろん、そういった感情を持っていない人も、広い世の中にはいるかもしれないが、ごくまれだろう。自分の中にある負の感情、そういったものを見つめる勇気のない大人が他人に対していじめ、すなわちパワハラをする。
子供がいじめをしてしまうのはなぜかはよくわからない。でも、いじめに向かうエネルギーを他に向けることはできないだろうか。”そんなこと(いじめ)やっている場合じゃない”となって、別のことをしたらいい。いじめという感情そのものを社会から消してしまうのも一つの方策だろう。人類の歴史そのものを書き換える必要があるわけだが、そんなことは無理だ。そうするとあと数千年かけてそういう感情を消していかなくてはいけない。いじめ自粛警察ができそうな話だが、そうでもしないといじめは撲滅できない。

そんなことは土台無理な話で、もっと実効性のある方策が必要だ。手っ取り早い方法が、”いじめ(パワハラ)”の定義がある程度わかっている大人がその行動を改めることだ。職場でのパワハラとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与えるまたは職場環境を悪化させる行為を指すそうだ。大人の”いじめ(パワハラ)”は地域、サークル、ネットなど様々な場面で発生し、”職場””職務””業務”はさまざまな言葉に置き換えることができる。こういった様々な場でのいじめ(パワハラ)を撲滅していくことがまずは肝要だろう。
とはいえ、これは難しい問題で、簡単には解決できない。意地悪な感情は様々な局面で浮かんでは消える。正義感が意地悪に移行することはしばしばあるし、建前論が意地悪を助長することもある。そして、意地悪は容易にいじめ(パワハラ)に遷移する。ネット上での炎上は正義感に端を発し、それがやがて収拾がつかなくなる。東京オリンピックでの不祥事、女性蔑視、容姿差別そして今回のいじめ、そういったものが大人としてのどのような感情から沸き起こったものであるかを直視しなくては問題の解決にはつながらない。
東京オリンピックを呪われた五輪というのはたやすいことだが、それよりも今度のことを私たち一人一人がこの国の、世界の未来を考え直す機会としてみてはどうだろうか。
いろんなことを考えよう