こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

沈黙の通勤電車(エピローグ)そしてまた横須賀線

2013年07月09日 | 通勤・交通・旅行
通勤電車を3本乗り継いで、都内の駅を降りたら、そこからさらに30分以上歩く。
片道2時間近くかけての通勤。昔、「病理医だから、そんなことができるんだよね」と、やっかみ半分で外科医に言われたことがあるが、たしかにそれはそうだろう。
急変する患者に即応できるように待機している必要は無い。
もし、急を要することがあっても、手術や生検で検体を採取して、臨床検査技師が標本を作り上げるまでに2、3時間はかかる。だから、オンコールで対応している。医者にもいろいろある。そういうものなのだ。

駅を降りてからの徒歩。花や緑を探して歩く。
花が少ないから、”花境期”といわれるこの季節。馥郁たる甘く清楚な香りで辺りを満たしてくれていたシクラメンにも、茶色く萎れた花が目立ってきた。雨の季節だからこそ、香りが余計に引き立っている気がする。

毎日の通勤、いろいろあるけれど、いろいろな人を見て、いろいろな目に遭い、時が流れていく。
通学、通勤、日々過ぎていく中で年を取る。
スティーブン・セガールは年を取ってずいぶん体型が変わってしまった。
私も、気がついたらおっさん体型になっていた。

時は、流れ、人間誰しも変わっていく。

野草、というか雑草(「名の無い雑草はない(by 昭和天皇)」のでこの表現は正確ではない)を探してうつむいてばかり歩いていたけれど、坂の下で顔を上げて、その先の空を見ると薄い雲を透かして、太陽の輪郭が見えた。


冬の黄色っぽい太陽とは違い、雲を透しても夏の太陽は白く輝いてまぶしい。

梅雨が明け、暑い季節がやってくる。
そして、明日も私は横須賀線に乗るのだろう。


了    



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沈黙の通勤電車 (4)真実の姿

2013年07月08日 | 通勤・交通・旅行
最近ではその回数もずいぶん減ったが、街を歩いているとき、ウィンドウに映る自分の姿をみて、おどろくことがある。

ふんぞり返って歩いているわけではないのに、腹が出ている。おかしい、これが自分の姿なのか?
はじめてそのことを認識したのは、4、5年前か。しばらくは、そんな自分を認められないでいたのだが、少しずつ、だが確実に変わっていく我が姿を見るたび、そのことを認めないではいられなくなった。

バスケットボールに汗を流していた学生時代にくらべ、15キロ増えた。
思い出してみれば、30代半ばころから「少し太った?」と、言われることが増えた。さらにそれから15年。いまや押しも押されぬ立派なオヤジ体形だ。
あっという間のことで、体型の変化に意識がついていかない。

夏バテで少しだけ体重が落ちたとはいえ、やはり腹は出ている。そんなとき、太ってしまったスティーヴン・セガールに再会したのだった。彼の姿、というより置かれた状況は今の私そのものだ。

真実の姿。
太ってしまった自分を認めたくない、受け入れたくない。

映画では、彼の全身が映らないように配慮されている。だが、顔もふっくらしている。自らが総指揮をとる映画、自分でもわかる変化を映したくないのだろう。
そんな、複雑な思いを感じながら、結局、『沈黙の牙』全部観てしまった。

終わったのは、午前1時。感慨深く、心が落ち着かなかった。
やっと眠りについたのは30分後くらいか。5時半の起床まで4時間。
寝不足だ。

一日目。
久里浜から来る列車はやり過ごしたが、並んだ列は前から3人目。そして、逗子発が来たが、これに座れなかった。2人目だと大概大丈夫なのだが、3人目は厳しいことが多い。
めったにないことなのに、その日に限ってだめだった。
だが、一日くらいなら大丈夫なはずだった。

だが、私は『沈黙の牙』を二晩続けて観てしまったのだった。
なぜ、連続ドラマが映画として放映されているのかわからない。ストーリーにしても人それぞれの受け止め方があるものなので、どうこう言うつもりはない。だが、映っているのはスティーヴン・セガールの弟子のような俳優ばかりで、スティーヴン・セガールはあまり出てこない。私は彼の弟子が見たいのではない、太ってしまったけどスターとして居続けるスティーヴン・セガールの姿を確認したいのだ。
そして、彼と苦悩を共有したい。
結局、この晩も最後まで観てしまった。
眠れたのは2時近く。
睡眠時間は4時間を切ってしまった。二日あわせて、7時間少々。夏バテの50歳には少々キツい。

二日目
眠かった。さらに暑く、つらかった。
その日も並びは一番前ではない。一本あとの逗子発にしておけばよかったのに前の日の失敗もあり、「今日こそは」と勇んで、久里浜から来た横須賀線に乗ってしまった。

そして、ショルダーバッグのベルトを持って今にも立ち上がりそうなおじさんの前に、寝不足で疲れた私は立った。

スティーヴン・セガールに罪は無い。むしろ、通勤電車の過酷さを思い出させてくれた彼に、私は感謝しなくてはならない。


つづく

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さよなら鎌倉警察署

2013年07月06日 | 鎌倉暮らし

神奈川県警鎌倉警察署は若宮大路二の鳥居前に建っている。
鎌倉駅周辺では一番大きな建物だ。外観は白塗りで、無骨だ。
赤灯がなければ、初めて見た人には何の建物かわからないだろう。
その鎌倉警察がこれまでよりも、ずっと海寄りの若宮大路一の鳥居前に引っ越すので、運転免許の更新にこの正面玄関の階段を上がることももう無くなる。
我が家は山の方なので、海の方にいってしまうとずいぶん離れてしまうことになる。
新しい鎌倉警察署は、やはりコンクリートの打ちっぱなしの外観で、これまで通り無骨だが、デザインは洗練されていて美しい。

建物自体はほぼ完成しているようで、ふくろうの”みまもり君”も一足先に、こちらに引っ越してきている。

東日本大震災以来、鎌倉も津波による被害を心配しなくてはならなくなった。
移転を計画していた時点では大津波による危険など想定していなかったのだと思うが、震災以降そうも言っていられなくなった。

この件に関しては、鎌倉市議会でも津波による危険性についての質疑があり、海側のNTTビルが防波堤になって津波を分散させるので大丈夫、といったような回答がされていた。
ほんとかよ、という感じでとても心細い。NTTビルが取り壊されたらどうするのだろう。
ちなみに、さらに海側にある鎌倉消防署は海の前である。
鎌倉市におけるの大地震時の警察、消防機能、大丈夫か。

引っ越す理由は実際のところいくつもあるらしく、致し方ないところもあろう。
だが、鎌倉駅を出たところに、警察署の大きな建物があったのは安心だった。
とくに、夏の夜はおかしな酔っ払いや暴走族が多く、鎌倉駅前の治安は決していいものではない。
警察署の建物があるというだけで、お巡りさん50人分ぐらいの抑止力があった様に思う。

これからは、お巡りさんがほとんど不在の駅前派出所だけになるのだが、鎌倉駅前でのトラブルが増えそうで怖い。

まだまだいろいろ心配はあるが、信号機につける地名はどうなるのだろう?


これまでの「鎌倉警察前」が「二の鳥居前」になるのだと思うが、鎌倉女学院前の交差点にある信号機にぶら下げる地名はどうするのだろう?

一の鳥居は遠いし、どうみても鎌倉女学院前だし。
まあ、鎌倉消防署前というのもない(「海岸橋」)からいいのかもしれない。
でも、警察署の場所がわかりにくくなり、市民としては余計心配だ。

いずれにしても、これまで以上に、鎌倉市民と鎌倉を訪れる人を見守ってくれる警察署になってほしい。


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沈黙の通勤電車(3)衝撃の再会

2013年07月05日 | 通勤・交通・旅行
子供が生まれたら授乳とおむつ交換に明け暮れることになるのは、どこの親も同じだ。
私にしても、子育てに疲れた妻の代わりに哺乳瓶を持って夜中にミルクを飲ませたことは数えきれない。
息子が生まれて間もない頃のある晩、授乳のために起きだし、粉ミルクを溶かして息子に飲ませたあと、ゲップをさせよう立て抱きにして背中をさすっていた時につけたテレビではスティーヴン・セガールの映画『沈黙の戦艦』が放送されていた。まだ、それほど遅くない時間だったのだろうか、いつのまにやら起きだしてきた妻と二人一緒に観た。

その後の『暴走特急』はもっと面白く、それ以来スティーヴン・セガール作品は、テレビをつけて映っていたらチャンネルを変えることはない程度に観るものとなった。
その後、スティーヴン・セガールという俳優さんが、日本で長いこと暮らし、合気道を習得し、日本人女性と結婚していたというようなことを知り、夫婦でファン(といっても、上記の程度だが・・・)となった。
いずれにせよ、映画の中での身のこなしはスマートで、美しかった。


その日、いつも通り仕事を終えて、12時までに食事を終え、ほろ酔い気分で、テレビのスイッチを入れた。NHKニュースウェブが終わっていたので、WOWOWにチャンネルをあわせた。
WOWOWでは3つあるチャンネルのうち2つを使ってウィンブルドンテニスの中継をしていた。でも、とても期待していた日本人選手が男女とも敗退してしまったので興味はあまり湧かない。残りのひとチャンネルに変えたら、アクションものの様な映画が放映されていた。

画面の上には、『沈黙の牙』というタイトル。
すぐにピンと来た、スティーヴン・セガールだ。
『沈黙の・・・』とくれば、スティーヴン・セガール。

久しぶりにスティーヴン・セガールの映画を観ることができる。そう思って、ザッピングを止めた。

だが、なかなかスティーヴン・セガールが出てこない。
スティーヴン・セガールの登場を待つうちに、アクションシーンが始まった。
そして、少し小太りの俳優が立ち回りをしていた。

スティーヴン・セガールだった。

アクションシーン以外でも、それまでに出演していたのだが、気がつかなかった。
あまりの激変ぶりに衝撃を受けた。髪型もちょっと怪しい。

妻を呼んだら、私と同様に驚いていた。
そして、「これって、役作りでしょう?」
だが、そうではなかった。
いつまでたっても以前の体型のスティーヴン・セガールは登場しない。
全身がなるべく映らないようにしているが、どうしても全身像が映し出される。
妻も納得するしかなかった。

この映画、もとは『TRUE JUSTICE』という映画で、邦題は『沈黙の嵐』だったらしい。WOWOWで放送しているのは、『沈黙の牙』という邦題で、サブタイトルというか原題は『TRUE JUSTICE2』続編らしい。
総指揮、スティーヴン・セガール。

太ってしまった彼の姿に、私が重なった。

つづく



沈黙の通勤電車(2)思わせぶりなおじさん

2013年07月04日 | 通勤・交通・旅行

私の通勤はドア・トゥー・ドア、すなわち家の玄関を出て職場の病院の玄関をくぐるまでで、2時間近くかかる。このうちほぼ1時間、電車に乗っている。
鎌倉から横須賀線に乗って、2度乗り換えて都内、といっても若干外れの方の駅で降り、そこから40分足らず歩いて病院にたどり着く。
鎌倉から東京にある勤務先の病院までのルートは、大まかに2ルートある。横須賀線でそのまま東京へ向かうか、大船から藤沢へ向かい、そこから小田急で東京に向かうかだ。藤沢周りの場合江の電で江ノ島まで行くというルートもあるのだが、それだと遅いし、車窓から外の景色を眺めていたら、仕事に行く気が失せる。
今の私は横須賀線ルートだ。


鎌倉で横須賀線に乗るとき、時間によっては按配よく座ることができる。
朝、横須賀線は三浦半島の先、久里浜発の列車と、一駅先の逗子発の列車とが交互に来る。この逗子発の列車は比較的空いていてたいがい座ることができる。鎌倉を出ると横須賀線は北鎌倉、大船と停車する。大船は横須賀線のほかに東海道線、根岸線、湘南モノレール線とが乗り入れていて、江ノ電だけの鎌倉とは大違いの大きい駅だ。横須賀線から他の路線に乗り換える人も多く、鎌倉で座れなくても、大船で降りる人に替わって座ることができる。
いつも座ることばかり考えているわけではないのだが、ここのところ膝痛がひどい。それもあって、座ることができると助かる。



鎌倉駅のホームで上りの横須賀線を待ちながら、有川浩の『植物図鑑』を読んでいたら、久里浜発の列車が入線してきた。いつもだと、この次の逗子発の列車を待って、座って東京へ向かうのだが、この久里浜発の列車に乗っていくと、この”次の”乗り換え駅で、急行の前の空いている各駅停車に乗り換えることができる。この各駅停車、途中で急行に追い越されるが到着はその次、時間のロスはあまりない。
久里浜発の列車は混んでいて空席はなかったが、大船で誰かが降りるだろうと淡い期待を持って乗り込んだ。それにいよいよ佳境に入ってきた本を読んでいれば、ふた駅の6分くらいならなんとかなる。そう勝手に思っていたのが甘かった。

この人は、大船で乗り換えるだろうと期待をかけてつり革につかまったのは、今にも立ち上がりそうに肩掛けカバンのベルトを握っていた作業員風のおじさんの前。北鎌倉辺りからは窓の外を振り返って見ていたりした。だけど、おじさん、大船で降りなかった。

“わざと降りそうな素振りをして、前に立った私をからかっているか?それとも、ただのクセか?”

“わざとだとすれば、なぜ、このおじさんは、降りそうなそぶりをするのだろう?”

“ベルトから手を離してくれ。”心の中でそう、つぶやいたりしてみたが、おじさんはベルトを握ったまま、今にも降りそうな姿勢のまま座り続けていた。

そうこうするうちに車内は満員となった。私はもう、おじさんどころの話ではなくなった。
乗り合わせた人のことを、こんな人だと勝手に決めつける。だけどそれだけ。通勤電車での出会いなんて、すべてこんなもの、変に声でもかけられたら、腰を抜かしてしまうに違いない。

ギュウギュウづめとなっても一応は鎌倉から乗ったアドバンテージはある。本を読む空間は確保しておいたので、なんとか読み続けることはできた。
だけど、次の乗換駅まで座ることはできなかった。


横須賀線が少し遅れたのだろうか、乗り換える線のホームに着いたら、座って行くつもりだった各駅停車がちょうど出たあとだった。
次の急行に乗らなくては、遅刻してしまう。
もちろん急行電車は混んでいて座れない。立ったまま最後の乗り換え駅まで行った。三番目のこの電車は下り行きということもあって、ほとんど座れる。
だが、それまで立ちっぱなしだったため、私の膝の痛みはひかなかった。

いつもと違う電車に乗ったり、乗り継ぎに失敗したり、実は二日続きのことだった。長年、通勤していて、前の日の失敗を引きずったりすることは無かったのだが。

こんなことになった原因はあの男との再会にあった。

つづく



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沈黙の通勤電車(1)『植物図鑑』にはまった私

2013年07月03日 | 通勤・交通・旅行

有川浩の『植物図鑑』を読みはじめてから、やたら俯いてキョロキョロと地面を見ながら歩くようになってしまった。そのベタ甘なストーリー展開は別として、野草に関わる話は豊かで楽しい。美味しそうと思った素人が、そこら辺の雑草をめったやたらに抜いて食べないようにさりげなく注意を促してくれているのもうれしい。


この本、以前から読書メーターの”読みたい本”に登録していて、読もう読もうと思っていたのだけど、なかなか買えないでいた。私のブログ『こんな気持ちでいられたら(こんきも)』の1,000日連続投稿を達成した時に、「これからは勉強します!」などと大見得をきった手前もあって、その他の”読みたい本”同様封印して、その日から早速勉強開始とばかりに国際学会の下準備のための論文を読みはじめていた。私は、ブログの読者に対してたいへん律儀な、都内の病院に勤務する中年の病理医だ。

そんな矢先に妻が、「ねえ、これとっても面白いのよ」と持ってきたのが『植物図鑑』だった。これが私の運の尽き、あの日の記事には「あと、読書にも」と付け加えていたのでよしとしようと、結局ページをめくってしまった。

さすがは有川作品、あっという間にはまってしまった。テーマは、野草、というか雑草。『阪急電車』や『三匹のおっさん ふたたび』でも、ちょこっとずつ触れていたので、すっと入ることができた。それに、料理。大した造詣の深さだ。


こういう、どっぷりはまってしまうことのできる本に巡り合えると通勤がずいぶん楽になる。
私が、通勤電車内ですることといえば、大体次のようなことだ。

(1)論文、教科書といったグレードの高い文献を読む。そのほか、学会発表の準備、論文の添削。
(2)英語教材などの軽い勉強をする
(3)普通の読書
(4)スマホをいじる(ブログ、ネットニュース、メール)
(5)ぼんやりする、寝る
さすがに、この冬で50歳、ゲームはやらない。

ほかにもいろいろできることあるが、なにせ、1時間も乗っているので実のあることがしたい。少なくとも朝は、前の晩に飲み過ぎて二日酔いでない限りは寝ないで何かしている。だから、できることのうち、座ることができたらまずは(1)の勉強で、集中して作業する。そうでないときは(2)(3)(4)のいずれかとなる。
(3)の“普通の読書”でも、こんな風に楽しい本に出会えさえすれば、立ったままでもあまり気にならず、小説の世界に浸ってしまうことができる。そんなことで、『植物図鑑』は座れなくても、つらい通勤に立ち向かう元気を与えてくれる類の本となった。

だからその日も、鎌倉で座れなくても、大船では何人かの人が東海道への乗り換えで降りるので大丈夫だろうから、それまでの6分くらいはこの本を読みながら立っていこう、と思ったのが失敗の始まりだった。


つづく



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日本人が持ち続けてきたもの・・・2013年6月の読書記録

2013年07月02日 | 読書、映画、音楽、美術
一気にニーチェを読むつもりだったのだが、このまま読み進めたら、私の日本人としての心、アイデンティティが失われてしまうのではないかと、急に恐ろしくなった。
ニーチェにしても、先月読んだミラン・クンデラにしても、根源的にキリスト教があって、それと対峙してその考えを発展させてきたに違いない。もともとそういった素養の無い日本人の私にとって、そこから発展した西洋の思想を理解することは難しい。ならば日本人はどんな考え方をもってきたのかというものを確認してからでも、とりかかるのには遅くはないだろうということで選んだのが鴨長明。
冒頭の一節を除くと、文学的にはさほど評価は高くないようだが、千年前の日本人の心を確認することができた。伊藤整も激変する近代日本文化をよく捉えていた。


2013年6月の読書メーター読んだ本の数:5冊読んだページ数:992ページナイス数:155ナイス太宰治賞2013 (単行本)太宰治賞2013 (単行本)感想
『さようなら、オレンジ』朝日新聞の文芸時評で絶賛されていたので、本を手に入れようと思ったらない。どうしたことかと読書メーターで探したら、筑摩書房編集部編と判明。さすが、読書メーター!やっと作品を手に入れて読むことができた。大変丁寧で美しく写実的な文体で希望に満ちた心温まる感動的な話が綴られる。そして最後の最後、この作品の秘密すべてが明かされる。どんでん返しはない。いろんな意味で苦労して書けたこの私の感想、単行本化されたらそちらへ引っ越しさせよう。この作品だけでは無理かな?KSイワキ氏の今後の活躍に期待。読了日:6月30日 著者:KSイワキ


近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)感想
出版されたのが昭和28年。江戸末期からそれまでの文学史が述べられている。日本文学における私小説というものの位置づけが理解できる。藤村、太宰などは、「やるぞ、やるぞ」と読者が期待し、その通りの結末を迎えた、という話を聞いたことがあるが、そういうことだったのかと。近代日本人の生き方とまではいかず、オピニオンリーダーとしての近代日本人作家の分析として読んだ。 所詮文壇という狭い世界の中にしか生きていない、という点では、作家も、医者も、その他の世界に住む人間もみな同じである。読了日:6月23日 著者:伊藤 整


からだのひみつ: 豪華作家陣が学習まんがで「大人のからだの悩み」に答えます! (学研まんが 大人のひみつシリーズ)からだのひみつ: 豪華作家陣が学習まんがで「大人のからだの悩み」に答えます! (学研まんが 大人のひみつシリーズ)感想
医学部1年の息子が持っていたのを読ませてもらった。内容は正確だし、なにより作家陣が豪華で驚いた。暇つぶし以上の内容で、とっても楽しめました。読了日:6月20日 著者:山根あおおに,新沢基栄,しりあがり寿,平松伸二,おおひなたごう



方丈記 (岩波文庫)方丈記 (岩波文庫)感想
私は今年50歳になる。長明がこの書を記したのも同年代。出家の動機(大火、大地震、疫病等々)もとても共感できる。私もいまにも隠遁生活に入りたいと思うが、家族を持つ私には彼ほどに身をやつす勇気は無い。読了日:6月15日 著者:鴨 長明




この人を見よ (岩波文庫)この人を見よ (岩波文庫)感想
この年(今年で50歳)になるまで、まともにニーチェに向き合ったことは無かった。ニーチェ入門本は数冊読んできたものの、結局何も掴めなかった。だが、生き方、考え方は私たち一人一人違う。これから、少しずつ氏の著書に向き合い、“反道徳者となって”“畜群”から脱することができるのか、試してみたい。読了日:6月14日 著者:ニーチェ


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文月(ふみづき)

2013年07月01日 | 日々思うこと、考えること
今日から七月か・・・、と起きがけに寝ぼけた頭で思った。
あれ?七月は・・・。睦月如月弥生卯月皐月・・・・6月は梅雨だから、(水はあるのに)水無月、で、七月は・・・あれ?葉月?いや、たしか葉月は八月・・・。
というわけで、情けないことに七月が出てこなかった。

身支度をして、朝食をとりながら朝刊の天声人語を読んだら、七月は文月(ふみづき)・・・という一節があった。そうだ、文月。

忘れてしまったのは不覚であるけれど、文章を書く人間の考えることはそう大差ないのだと妙に安心した。

ところであらためて文月、という言葉、字面をみると日本的でとても美しい。
今月もまた、美しい文章が書けるといいが。



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