私の通勤はドア・トゥー・ドア、すなわち家の玄関を出て職場の病院の玄関をくぐるまでで、2時間近くかかる。このうちほぼ1時間、電車に乗っている。
鎌倉から横須賀線に乗って、2度乗り換えて都内、といっても若干外れの方の駅で降り、そこから40分足らず歩いて病院にたどり着く。
鎌倉から東京にある勤務先の病院までのルートは、大まかに2ルートある。横須賀線でそのまま東京へ向かうか、大船から藤沢へ向かい、そこから小田急で東京に向かうかだ。藤沢周りの場合江の電で江ノ島まで行くというルートもあるのだが、それだと遅いし、車窓から外の景色を眺めていたら、仕事に行く気が失せる。
今の私は横須賀線ルートだ。
鎌倉で横須賀線に乗るとき、時間によっては按配よく座ることができる。
朝、横須賀線は三浦半島の先、久里浜発の列車と、一駅先の逗子発の列車とが交互に来る。この逗子発の列車は比較的空いていてたいがい座ることができる。鎌倉を出ると横須賀線は北鎌倉、大船と停車する。大船は横須賀線のほかに東海道線、根岸線、湘南モノレール線とが乗り入れていて、江ノ電だけの鎌倉とは大違いの大きい駅だ。横須賀線から他の路線に乗り換える人も多く、鎌倉で座れなくても、大船で降りる人に替わって座ることができる。
いつも座ることばかり考えているわけではないのだが、ここのところ膝痛がひどい。それもあって、座ることができると助かる。
鎌倉駅のホームで上りの横須賀線を待ちながら、有川浩の『植物図鑑』を読んでいたら、久里浜発の列車が入線してきた。いつもだと、この次の逗子発の列車を待って、座って東京へ向かうのだが、この久里浜発の列車に乗っていくと、この”次の”乗り換え駅で、急行の前の空いている各駅停車に乗り換えることができる。この各駅停車、途中で急行に追い越されるが到着はその次、時間のロスはあまりない。
久里浜発の列車は混んでいて空席はなかったが、大船で誰かが降りるだろうと淡い期待を持って乗り込んだ。それにいよいよ佳境に入ってきた本を読んでいれば、ふた駅の6分くらいならなんとかなる。そう勝手に思っていたのが甘かった。
この人は、大船で乗り換えるだろうと期待をかけてつり革につかまったのは、今にも立ち上がりそうに肩掛けカバンのベルトを握っていた作業員風のおじさんの前。北鎌倉辺りからは窓の外を振り返って見ていたりした。だけど、おじさん、大船で降りなかった。
“わざと降りそうな素振りをして、前に立った私をからかっているか?それとも、ただのクセか?”
“わざとだとすれば、なぜ、このおじさんは、降りそうなそぶりをするのだろう?”
“ベルトから手を離してくれ。”心の中でそう、つぶやいたりしてみたが、おじさんはベルトを握ったまま、今にも降りそうな姿勢のまま座り続けていた。
そうこうするうちに車内は満員となった。私はもう、おじさんどころの話ではなくなった。
乗り合わせた人のことを、こんな人だと勝手に決めつける。だけどそれだけ。通勤電車での出会いなんて、すべてこんなもの、変に声でもかけられたら、腰を抜かしてしまうに違いない。
ギュウギュウづめとなっても一応は鎌倉から乗ったアドバンテージはある。本を読む空間は確保しておいたので、なんとか読み続けることはできた。
だけど、次の乗換駅まで座ることはできなかった。
横須賀線が少し遅れたのだろうか、乗り換える線のホームに着いたら、座って行くつもりだった各駅停車がちょうど出たあとだった。
次の急行に乗らなくては、遅刻してしまう。
もちろん急行電車は混んでいて座れない。立ったまま最後の乗り換え駅まで行った。三番目のこの電車は下り行きということもあって、ほとんど座れる。
だが、それまで立ちっぱなしだったため、私の膝の痛みはひかなかった。
いつもと違う電車に乗ったり、乗り継ぎに失敗したり、実は二日続きのことだった。長年、通勤していて、前の日の失敗を引きずったりすることは無かったのだが。
こんなことになった原因はあの男との再会にあった。