こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

老化は病気か

2014年03月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先日参加した学会のおり、学会場近くの定食屋で昼飯を食べたときのこと。食べ終えて、お茶をすすっていたところ急にむせてしまった。
これまでなら、いったんはそれをなんとか飲み込んでからむせるのだが、そのときは思いっきりむせて吹いてしまった。



周りの人にもかかってしまったのではないかと思うほどで、小声で謝ったものの、自分が吹いたものがどなたかに着いてしまったことになるので、大きな声でも言えなかった。両隣、女性だったのだ。
タオルハンカチであたりを拭いて、そそくさと席を立って会計を済ませて店を出た。

こんなこと、今まで生きてきた人生の記憶に無いほどのことだったので相当なショックだった。おかしな病気ではないと思うが、それでも老化にともなって飲み込みが下手になってきていることは明らかだ。
こういうことをきっかけに肺炎になることもある(誤嚥性肺炎)わけで、こういうのは、老化に伴った二次性の肺炎ということになる。



老化はすべての生物のみならず、万物に共通して起こることであり、そういう観点からは老化を病気とはいえないのだが、20代、30代でできたことができなくなるという点からは病的な状態ともいえる。最近、アンチエイジング医療が流行っているが、所詮老化現象の一部を糊塗するものにすぎない。結句、老化についてあれこれ考えたところで、すべてを正しく捉えることはできない。
今のところ、お茶を飲むときさえむせないように気をつければ良さそうだ。
それにしても、酒を飲むときにむせたことがないのはなぜか。これも今のうちだけだろうけど。

単なる時間の経過か
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マスクのつけ方

2014年03月13日 | 日々思うこと、考えること
 冬から春にかけてはインフルエンザにはじまって、花粉だ、黄砂だ、PM2.5だとかでマスクをつける機会が多い。乾燥対策にもいい。
 以前こんきも(このブログ)で、マスクのつけ方を記事にしたことがあるのだが、いまだに多くの方が訪れてくださっている。これというのは多くの方が、マスクのつけかたに不安を持っていることの裏返しだろうと思う。

 ということで、今日はマスクのつけ方講座にします。恥ずかしながら、不肖コロ健も昔は正しいマスクのつけかたは知りませんでした。

 対象はご覧のような非立体型マスク。

 以前も書きましたが、重要なのはひだ(蛇腹)の向きです。表裏間違えると、向きが逆になってしまいます。読むのが面倒な方は画像だけでも確認して下さい。
もちろん、ほかに、マスク会社とかが作っているホームページがありますから、見て下さい。

 マスクを表から見たところ。
 私が指でつまんでいる方が上で、針金が入っています。そして、ひだ
は下を向いています。こちらが表側すなわち外側(ホコリがついて汚れる方)です。
 続いて、マスクの形を作ります。針金を中央で折り曲げて、鼻の形に合わせて広げます。マスクの下を引いて、鼻からあごを覆う形にします。

 両側のゴムを耳にかけて、鼻、頬、あごに隙間ができないように形を整えて終わりです。

 ひだがこの向きだと、上から垂れてくる水分やホコリはそのまま下に落ちます。これが表裏逆だと、ひだの谷間が上を向いてしまい、垂れてきたものすべて引っかかって、ひだの間にたまってしまうことになり、知っている人から見るとおかしな具合になってしまいます。

 一度使ったらすぐ捨ててしまうという人はあまりいないと思います。私も、個人で使う場合は何度も使っています。マスクを一旦外してまた使う場合、ホコリやヨゴレの付いている表側を外にしてたたみます。内側は少々匂ってもキレイなのです。
 外す時は、ゴムひもを耳から外しましょう。マスクを引っ張って指が滑ると、返り討ちにあいます。

 ちなみにこれはウイルス対策に用いる微粒子用マスクN95です。病理の部屋にもありますが、使ったことはありません。これは使わずにそのまま箱に戻しました。
これのつけかたは間違いようがありませんね。

マスクはつけるのか、かけるのか
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お礼  
以前の記事できらきら星さんにいただいたコメントを一部参考にさせてもらいました。
マスクのつけ方は、元細菌検査室の技師さんに確認してもらいました。

ありがとうございました

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なにかを語る資格

2014年03月12日 | 生き方について考える
この世に生を受けてからこれまで50年。不肖コロ健、人の後塵を拝し続けながら生きてきた。
そんな私が先日の記事(『基本的にいい人、基本的にわるい人』)のように“人間の価値”というようなことを軽々に語っていいのかと自問すると、答えがみつからずに途方に暮れる。

なにかを語る資格、というものが私にあるか、と考えてしまう。

なにかを語るということは、生き方を語るということであり、そのような資格があるのは何のために生きるかを知っている人だけである。

私は人が何のために生きるのかあまりよく知らない。



人は何のために生きているのか、ということに対し、一つの考え方として、私には「人間それぞれは遺伝子の容器にすぎない」というものが常々ある(『ヒトにおける身体の存在意義・・・ヒトはどこから来てどこへ行くのか(3)』)。これは、人は遺伝子のキャリアーとして存在しているにすぎないということである。

だが、果たしてそれだけでこれほど入り組んだ社会というのは構築されるだろうか。



ただ単に、遺伝子の能力、というものが創造主を凌駕するほどの力なのかもしれないが、結局のところ私たち人類は、創造主を知ることは無いだろう。
そうすると、人が何のために生きているかということに対する答えは永遠に知りえないということになる。

このことと、私のこれまでの人生を照らし合わせて考えてみれば、私になにかを語る資格というのはやはり無いように思う。



かといって、なにも言わないという必要は無い。

自分はこれまでずっと人の後塵を拝し続けて生きてきた、といっても、では誰の背中をみて生きてきたのだろう。誰しも人生のことをそれほど知っていないのではないかとも思う。

少しだけ、考えて、少しだけ、謙虚になにかを語る。そんなふうに生きていければいい。


答えはなかなか見つかりません 
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時が戻せるものであるならば

2014年03月11日 | 自然災害・事故・感染症
東日本大震災とそれに引き続いて起こった福島第一原発の事故から今日で三年。
あの日の悲劇の記憶はおそらく長い間、私たちの心に残るだろう。
もし、一度だけ時間を戻せることができるのであれば、3年前の昨日に戻したいと思う人がいるかもしれない。だが、それでは足りないと思う人もいるだろう。原発が作られる前に戻したい人もいるだろう。大震災とは関係なく、9.11前とか、原爆投下前とか、そういったときに戻したいと思う人もいるだろう。



そういうマクロレベルから、もっと個人的なレベルで時間を戻したいと思う人もいるに違いない。
十人十色である。
全ての人がそんなことをしたらとても収拾がつかなくなってしまう。



だが、心配しなくても、誰にもそんなふうに時間をいじることはできない。
時間は一方向にしか進んでいかない、

悲しい思いにしても、悔しい思いにしても、時間とともに過ぎ去っても、それを消し去ることはできない。
時間を元に戻せないのだから、仕方がないのだ。
そう考えると、泣けてもくる。



人間は起こってしまったことを糧として日々を生きていくしかないけれど、それができるからこそすばらしい存在であるともいえる。
明日を良く暮らそうとすることが、希望というものかもしれない。


罹災したすべての方の明日がより良いものになりますように 
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案外読まれているのだから

2014年03月10日 | 妻の名言
あまり面白くないことがあったとき、妻に言われることがある。

「そんなこと、ブログに書いちゃダメよ!案外、いろいろな人が読んでいるんだから」

不肖コロ健のブログ、たしかに読んで下さっている方がいるのはわかっている。
先週末の学会についても、あれこれ考えた゛意見゛を書こうと思っていたのだが
不吉な予感がしたらしく、またもや妻にそう言われたので、止めることにした。
別に誰に読まれようがいいじゃないか、とも思ったのだが、もともとコロ健、妻の言うことで、これまでにも何度となく助けられてきたので、今回もそうしたのだ。



そうしてみると不思議なもので、いろいろ感じたことも落ち着いて考えればどれもとるに足らないことばかりということがわかった。
それより、いろいろ感じたことというのは、良い方向へ持っていくことができるということを感じた。



私は自分を偽ってまでブログを書いているわけではないけれど、その時の感情に任せて書くようなことはやめておこうと思う。
これは、特定の誰かに読まれているからというわけではなく、誰にでも楽しく読んでいただきたいからこそのことである。

軽挙妄動慎むべし 
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人の運命、日々の生活

2014年03月09日 | 日々思うこと、考えること
14日にある研究会の準備に病院に出かけようと思っていたのだが、昨日までの疲れもあってか体が思うように動かず、家で文献検索だけを行うことにして、出かけるのはやめた。
家のことも多少はしたいし、ここのところ犬の散歩にも行っていない。これでは何のための家なのかわからない。
午前中、フラットコーテッドレトリバーのナイトと妻と散歩に出かけ、午後になってこのブログを書いている。



静かな一日になった。
比較的良く晴れているものの、風は少々強く吹いていて、空気は冷たい。
テレビでは今日も震災関連の放送をしている。
もうすぐ3月11日がやってくる。東日本大震災のあった二日前、私は路上喫煙に対しての文句を書いていた。そういえば、今日も散歩の途中、護良親王の墓の前で煙草を吸いながらコーヒーを飲んで、大型犬二頭の散歩をしている忙しそうな人がいた。タバコはやはり臭くてかなわない。

ちなみにに次の日はのんびり占いについて。翌日、あれほどの大地震が来て、多くの人の運命が大きく変わってしまうなどとは誰も思っていなかった。



人の運命は何によって決まるのだろうか。
あらかじめ決まっているのか、それともどうなるかなど誰も知らないのか。

あの日、地球のごく一部が動いたことは、地球の勝手だし、地球上のどこに誰がいるかなど、地球にとってはどうでもいいことだろう。
それよりは、人間が勝手にいろいろやっていることの方が、地球にとっては迷惑かもしれない。

いずれにしても、それぞれの存在がそれぞれ勝手にやっている。宇宙も、太陽も、地球も、私たち人間も。



日々の生活とは、死ぬまでの行程にすぎない。
途中、紆余曲折があるにはあるが、果たして紆余曲折というのが適切な表現なのかわからない。

人の命の儚さを思うに、不肖コロ健、自分が今日もまずまず静かに過ごしていられることを誰かに感謝することが大切なように思う。


明日はどうなっていることやら 
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電車は遅れたけど

2014年03月08日 | 日々思うこと、考えること
朝一番で湘南新宿ラインに乗って行こうと思ったら、横須賀線の信号機故障。今日も思いっきり寒かったので、凍結でもしたのだろう。家を出る前にテレビで知ったので、東海道線の駅まで妻に車で送ってもらって、東京方面へ向かった。
足止めを食っていた湘南新宿ラインに横浜で追いつき、それほど遅刻せずに会場に着くことができた。
今日の発表の準備も結構することができた。



発表を無事(?)終え帰路についた。9時から17時まで薄暗い会場の中で缶詰になっていたのだが、外に出たら、もう夕暮れ。これだけの時間を費やして私は何を学んだのだろうと思うと、少々怪しくなる。



帰りの湘南新宿ラインも少し遅れてがっくりきたが、鎌倉にも無事帰ってきた。
でも、鎌倉観光から帰る人が未だに多くて驚く。最近、鎌倉時間が遅くにずれこんできている。



金曜土曜とずいぶん緊張して学会に臨んだわけだが、案の定疲れた。私の代わりになるような人はいくらでもいるのだが、お声がかかる間はお務めするのがいわば私の義務だろう。
そのうち誰にも呼ばれなくなるので、そのときゆっくり休めばいい。

ほっと一安心 
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さらなるプレッシャー

2014年03月07日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今回の学会、1日目。
昨日に劣らず寒い。会場は埼玉県だが、駅から近いので助かる。

一応、明日の発表のために必要な写真を貼付けたスライド原稿はできていたので、学会場には直接行こうと思っていた、

もちろん勤務先の病院には終日学会出張の届けを出してあるので、出勤する必要は無かったのだが、発表に際して1カ所、確認しなくてはいけない所見があったのを思い出した。
布団から抜け出して、病院に行った。
準備を済ませ、ルーチンの仕事、メールの整理をしていたらあっという間に昼前、学会前の会議に遅れてしまわないように病院を後にした。



さて、学会も始まり演題を聞いてみれば、いつものことながら、やらなくてはならないこと、というか、足りないことが山ほどあることがわかる。入試問題を開いた瞬間のようで、それこそ悪夢だ。
学会のグレードというのもある。ちょうど、偏差値のようで調査不足が悔やまれる。
そうはいっても試験会場に入ってしまった以上途中退出はカッコ悪い。最後までやるしか道はない。



などといいつつ、懇親会に出てしまった。普段あまり話しをする機会のない先生がたとの意見交換は大事だ。
それでもコロ健、会の半ばで後ろ髪を引かれながら会場を後にした。
今は帰りの湘南新宿ラインである。
帰って、少し調べないといけないことがある。



とにかく、今日は思っていたよりずいぶん質の高い発表が多かった。これは明日も同じだろうから、私がそれを落とさないようにしなくてはいけない。
とまあ、またプレッシャーが増した1日目だった。
それにしてもいつもいつもこうだけど、いい加減どうにかならないのだろうか。


明日も寒いか?
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北風びゅーびゅー

2014年03月06日 | 日々思うこと、考えること
今日は寒かった。
久しぶりに、水たまりに氷が張っているのやら霜柱をみた。



北風がびゅーびゅー吹いていて、小川には波頭がみえた。




とはいえ、病院そばの梅はそろそろ満開。

少し離れたところにも、香りが漂ってくる。



明日から学会、発表スライドの完成度はいまのところ70%。なんとか、ぎりぎりセーフとなるか。

発表は明後日 
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鎌倉警察署跡地

2014年03月05日 | 鎌倉暮らし
解体作業が行われていた鎌倉警察署の建物が完全になくなり、外の囲いが取り払われ、広大な空き地が二の鳥居の前に出現した。
空き地が出現する、というのもおかしな表現だが、ほかに言いようが無い。



コンクリート打ちっぱなしの建物は、武骨で地味だったので、好きというほどではなかったが、それなり存在感もあったので、いざなくなってみるとさびしいし、同時に不安も募る。



鎌倉警察署が海のほうへ移って以来、鎌倉駅周囲の治安はどうなったのかわからないが、規模は小さいとはいえ繁華街から警察が消えたのは不安である。
去年、海の家がクラブ化したということで問題になった。逗子海岸の規制が強くなったため、規制のゆるい鎌倉の海の家がとくにひどくなったらしく、治安も悪くなったと聞く。
海辺の治安が悪くなれば、鎌倉駅周囲の治安も悪くなるだろう。鎌倉駅前がかつての片瀬江ノ島のようにならないでほしいと願う。
通り魔によるような事件も起きているのをみると、せめて駅前の交番には二人はおまわりさんにいてほしいと思う。

ところでこの土地、近くのお寺の地所だそうだが、このあと、どうなるのだろうか。

津波も心配 
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発表直前の悪夢

2014年03月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
先日、恐ろしい夢を見た。

来週の金曜の研究会での発表に関するものだった。どんな夢かというと、今度のも症例の病理解説なのだが、その準備がまったくできていないというもの。
今回の症例は二回手術がされていて、病理検体が2つあって、それぞれについて解説しなくてはならないのだが、準備が間に合わず当日持参した発表スライドには一度目の病理写真しか入っていなかった。


目の前では、臨床医が患者さんの経過をプレゼンしていて、それが終わればいよいよ私の番となる。
残された時間はドンドン短くなっていくのだが、どうしたらいいか、妙案は浮かばない。

初回のも二回目のもいっしょくたにしてごまかそうか、というようなインチキも考えた。さすが夢の中、といいたいところだったのだが、会場には病理医もいるのでばれてしまうと、夢の中にもかかわらずブレーキがかかった。
さすが、コロ健、律儀である。

実際のところ、昔、間違えて同じ写真を一つの演題の中で二度提示したことを指摘されたことがあるのだが、夢の中でもそのことを思い出していた。
トラウマである。その時は、本当のミスだったのだが、他の聴いている人はどう思ったか。いい加減な発表だと思ったに違いない。

さて、そうこうするうち、いよいよ、臨床医のプレゼンが終わってしまった。
何ら対応策がとられないまま、いよいよ登壇、というところで目が覚めた。

夢でのプレゼン、果たしてどんなふうにして切り抜けたのだろうか。それとも逃げたか。



いずれにせよ、夢は終わっていない。

現実世界では、発表はまだ来週の話。

昨日、2回目の手術の組織の写真を撮った。まだ、1回目の写真は撮っていない。

写真だけでも早いところ準備しようと思う。

ディスカッションについては、これから。

まずは、文献探しから。

プレッシャーかかってます 
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人の気持ちに寄り添って

2014年03月03日 | 日々思うこと、考えること
2年前の3月、『なぜ、人は諍うのか』と考えた。

そのときに、個人レベルに限らず、話し合いという形で、社会レベル、国家レベル、いろいろなレベルで相手の立場に立っているようにと心がけて生きることが必要だと感じた。

こんなこと、誰でもわかっていることだろうが、実際はできていない。
その証拠に、世の中、諍いだらけだ。



今日、電車通勤している女医さんが「最近は、乱暴な人が多くて、通勤が怖いです」と嘆いていた。私も、この人、自分のことしか考えていないと感じることがよくある。

そんな話を見たり聞いたり、さらには私自身が嫌な思いをさせられたりすると、私自身、大丈夫かと心配になる。

普段から、人につらく当たっていたりしないか。
意地悪していないか。



いつも誰かの気持ちに寄り添っていたら、いつも優しくしていることができるのだろうけど、なかなかそれは難しい。
そうしているつもりでも、そうできていないことは多々あるし、むしろその逆になっていることすらある。

いっそのこと、すべてをあきらめるか、すべてに目をつぶるか。
それができれば、それほど悩まずに済むのだろうけど、それはそれで、なかなかできない。

ひとりよがりになってない? 
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ベストセラーの映像化・・・2014年2月の読書記録

2014年03月02日 | 読書、映画、音楽、美術
ビブリアが映像化されたとき、小説(原作)ではロングヘアだったヒロインが、ショートヘアで人気の女優さんが主演でがっくりした。語り手役の俳優さんがおじさんだったというのも失望感を倍加させた。ドラマ自体は悪くなく、ドラマからはいった人にとっては面白かったろう。小さなおうちは主人公のお手伝いさん役の女優さんが第64回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したということだったが、黒木華さんという女優さんはよくはまっていたように思う。賞を取ったのだから演技もさぞ上手だったのだろう。
ベストセラーはしばしば映像化されるが、私は映像イメージが固定化するとつまらないので、映画を観たあと原作を読むということはほとんどしない。ハリーポッターだけは、登場人物のイメージが固定してしまったが、みながみなあれほどはまってしまっていてはやむを得まい。



2014年2月の読書メーター読んだ本の数:4冊読んだページ数:1385ページナイス数:231ナイスビブリア古書堂の事件手帖 (5) ~栞子さんと繋がりの時~ (メディアワークス文庫)ビブリア古書堂の事件手帖 (5) ~栞子さんと繋がりの時~ (メディアワークス文庫)感想読み始めは、例のテレビドラマの出演者のショートカットが頭にちらつきしゃくに障ったが、地元鎌倉の風景が描かれはじめたあたりから、テレビを見る前に読んでいたときにもっていたイメージに戻すことができた。だけど、残念ながら今度は小説の方がテレビドラマのように、話の延長延長となってしまっている。悪くはないけど、それぞれの推理も少々乱暴なようなきがする。“いい物語だった”と思えるうちに終えるのもいいのでは。それにしても、鎌倉の情景描写は今回も秀逸。モノレールには時刻どおり、時間どおりに走っているようでした。読了日:2月19日 著者:三上延


疾風ロンド (実業之日本社文庫)疾風ロンド (実業之日本社文庫)感想次々と出てくる登場人物をみれば絶対解決はお約束みたいな話。少々ハラハラするものの、初めからテレビドラマの台本のよう、それも一昔前の。暇潰しにしても、もう少し良い本を探す。「100万部!」って、現代日本のベストセラーのレベルとは、こんなものなのか。そのことがわかって良かったとするしかない。ところで、ちょうどソチオリンピックが開催中だが、スノボはつくづく若者のスポーツだ。読了日:2月14日 著者:東野圭吾


幸福な生活 (祥伝社文庫)幸福な生活 (祥伝社文庫)感想大人向けのショートショート。男女、親子といった親密な間柄に潜む危うさを描いている。よく書けてはいるけど。クドカンの帯はどうかな。筒井康隆(「笑うな」)のショートショートを思い出したら、まだまだかなわないな、と筒井ファンの私は思った。読了日:2月12日 著者:百田尚樹


小さいおうち小さいおうち感想祖父の家にも住み込みの女中さんがいた。物心がついた頃には60前後だった。舟木一夫の大ファンで女中部屋にはブロマイドが飾ってあった。「オバチャンオバチャン」と、幼かった私はずいぶん甘え、わがままを言い困らせたこともあった。オバチャンに「坊ちゃん」と呼んでもらうと嬉しかった。母がいつまでたっても「お嬢様」と呼ばれていたのも不思議だった。中学にあがる前にオバチャンは引退したように思う。オバチャンは祖父の家に行けばいつでもいたけど、やめたらそれっきりになってしまった。家族とそうでない人の違いというのを感じた。読了日:2月1日 著者:中島京子



永遠の0、まだ読んでないので観てません 
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医療を哲学的に考える(15)・・・医療者の視点からの医療とは その2

2014年03月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
さて、前回、「医療者によって患者一人一人は「症例」として相対化される。」というように考えた。



前回は、小説で考えてみたが、今回は医療漫画の金字塔、手塚治虫作『ブラックジャック』で考えてみたい。
といっても、ブラックジャックを一番読んだのは小学生の頃で、通っていた塾に置いてあったからという程度だった。その後もちょくちょく読んでいたが、ファンと言うほどではない。
そんな、不肖コロ健がブラックジャックについて知っているのは、医師免許を持っていないこと、医学知識は豊富で手術の技術は天下一品であること、金持ちからはそれ相応の治療費をとる、ということを軸にして話が展開されるということぐらいだ。

この3つの点から医療をみてみる。もちろん、現代の話としてである。

1)医師免許を持っていないのに医療行為をしているということ・・・どれほど優秀であっても、医師免許が無くては日本国内で医療行為をしてはならない。医療というものは国が担保して行っている国民への最大のサービスである。自由診療であっても、医療行為は国によって質が担保されていなければいけない。結局のところ、ブラックジャックはヤミ医者として一生を送るのだが、このことに対して喝采を送る人が多かった。おそらくは、「実力さえあれば何を行ってもいい』という考え方があるのだろうか。
2)医学知識は豊富で手術の技術は天下一品であるということ・・・自分の家を建てるときに、腕はいいけど愛想の悪い大工に頼むか、それとも腕は悪いが愛想がいい大工、どちらに頼むかという話がある。こと手術”だけ”ということになったら腕のいい医者に頼む人がほとんどだろう。だから、手術の技術が天下一品であるブラックジャックは許された。
3)金持ちからはそれ相応の治療費をとる・・・ブラックジャックは自らの技術料を的確に判断していた。だから、とれるところからは“適正”にとったといえる。ブラックジャックという漫画は、医療行為がお金に換算されうるものだということ青少年に知らしめてくれた。そして、ブラックジャックを通じで医者というのが金を稼ぐには手っ取り早い職業の一つであるということを知った、青少年は医者を目指すことになった。



ブラックジャックという漫画は、手塚治虫という医師であり卓越した画力をもった漫画家によって描かれたことにより、医師というもののあり方というのがリアルに表現された。
私にしても、ブラックジャックを読んで少なからず影響を受けた年代である。ある点では、内科医である父よりも考えさせられたところもあった。だけども、ブラックジャックのような外科医にも父のような内科医のいずれにもならずに、病理医になった。
だが、病理医になってわかったのは、ブラックジャックのような病理医がいてもおかしくなく、病理医も臨床医と同じで、医者という立場にあるということに違いはなかった。

日本の医療保険制度は国家財政を圧迫するほど負担の大きいものではあるけど、そのなかで働いていてつねづね思うのは、医療保険というものに雇われているということ。
ブラックジャックのような医者がいて悪いとはいえないけれど、彼がきちんと医師免許を取って市中病院で日々難しい手術をこなし、時としてVIPの手術を行う、というような展開が理想的であると思うのだが、どうだろう。




『医療とは国家が医療者を通じて行う生命のサービス』


アッチョンプリケ
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