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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

大好きな人に幸せになってもらつもりで

2019年06月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昼から都内であった学会で特別講演という機会をいただき、1時間話をさせていただいた。
今朝、観た”チコちゃんに叱られる”、で、NHKの(私が贔屓にしている)森田美由紀アナウンサーが”人に話す時には相手の人のことを好きだと思って話すといいのでは”、とコメントしていたのを思い出し、大雨の中わざわざ参加してくださった先生方に向けて心を込めて話をさせてもらった。
話す前にもう一つ思い出したのが、「会場にいる人、みんなが幸せになるように話す」という、私の尊敬する病理医の言葉。
 
二人の話の極意を合体させたら、「会場に来ている人みんなを好きだと思い、みんなを幸せにするために話す」とでもなるだろうか。
どっちみち話を始めるとなんとなくトランスっぽくなってしまって、こんなこと忘れてしまうのだけど、直前までは、こう考えて臨んでみた。
学会は無事済んで、打ち上げは新宿でした。

やっぱり疲れました


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モテ期に気をつけなければいけないこと

2019年06月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
「コロ健先生、あちこちから引っ張りだこですね」と、ふた回り近く年の離れた先生に言われた。たしかに最近誰かに呼ばれて人前で話すことが多いと感じていた。
「まあ、モテ期みたいなもんだね。ホラ、僕は人があまりやっていないことをやっているから、それでたまに話でも聴いてみようということになるんだよ。しばらくして、一回りしたら終わるから。」
そう、応えながら、今の自分を落ち着いて見た。
有頂天になっていないか、一つ一つの話を誠実に一生懸命やっているか。

少しでも、有頂天になったり、天狗になったりしたら、人間どこか嫌なところが出てくる。自分はすごいんだ、なんて思い上がってはいけない。そんなそぶりが出た途端に、私は皆からそっぽを向かれるに違いない。
私はその方面のプロではない。アマチュアである私の日々の仕事の延長の”ニッチな”話を聴きに来てくれた人と、楽しい有益な時間を共有するために少しでも努力しないといけない。モテ期にこそ、自らを客観的にみて落ち着いて仕事をしなくてはいけない。
なんてことを考えながら、このあと数回を乗り切っていこう。

来年の予定はまだ入っていない

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うまい具合に50分

2019年06月13日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨晩、研究会があって講演をした。聴衆は100人ぐらいの、よくある近在の先生たちが仕事帰りにちょっと集まることのできるというような会だ。ありがたいことに、聴衆の皆さんは私の話を熱心に聴いてくださり、嬉しかった。
そんなわけで無事に終わったといえば終わったのだけど、個人的にはちょっとトラブルがあった。
この講演、時間を1時間だと思い込んでスライドを準備していたのだった。プレゼン用のスライドは1時間用に117枚を準備していた。
準備も比較的順調にいっていて、このブログで狼狽するとかいう醜態をさらすこともなく、バッチリOKとタカをくくっていたら大失敗となってしまったのだ。というのも会場に着いてからプログラムを改めて確認したら講演時間は50分。私の講演時間が19時15分から20時5分となっている。開始時間はチェックしていたのだけど終わりの時間は確認していなかった。コロ健、これはしまったことをした。


10分縮めるとなると、相当なものだ。各スライドちょっとづつ早めに話すか、1章分飛ばすか。PCは会場係に預けてしまっていていまさら削除もできない。結局、各スライドを早めに話すことにした。パワーポイントのスライド枚数を示すインジケーターと時刻表示を頼りにうまい具合に50分ちょうどで話し終えることができた。
座長は知り合いの病理医で、時間通りに収めたことを驚いてくれ、褒めてもらった。
こんなことで褒められるとは思ってもなかったので、案外嬉しかった。
なかには熱心にメモを取ってくださっていた先生もいらしたが、ちょっと早口だったために、メモを取るための十分な時間はなくて、少々申し訳なかったが、しかたない。まさかその先生方も、私が話す前にちょっとしたトラブルに襲われ、大慌てで話を組み立て直したかなんてことには気がついてはいないだろう。

今週はもう1回

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「献立アプリ」第4話・・・和洋中で定食屋

2019年06月12日 | 料理・グルメ
第3話からの続き)
私から妻へというこれまでとは逆方向の連絡でも不思議なワゴンが出現するということが明らかになってからというもの、妻が私の希望するメニューを頻繁に聞いてくるようになった。なんといっても、私が食べたいメニューを伝えさえすれば、その食材を探さなくても目の前のワゴンにはその食材のセットがあるのだ。こんなに楽なことはない。
ただ、”ある”、といってもそれらはすべて買わなくてはいけないのだが、毎日献立を考えなくてはいけないという苦労を考えれば、ずいぶん楽なことだ。
それに、私のリクエストがマンネリ化したらその時には、妻が考えたらいい。
「最近、どう?
僕がお願いするようになって、献立を考えるのがずいぶん楽になったでしょ?」
今夜の献立は、私の"旬の焼き魚と冷奴というもの。
妻はこれに肉じゃがとアサリの味噌汁をつけてくれた。今はイサキが美味しいそうだ。
「そうね、でも健ちゃんのリクエストといったら、とんかつ、豚しゃぶ、生姜焼き、なにかの焼き魚にお刺身。そんなのが多くて、どこかの定食屋さんみたい。別に不思議なアプリに頼らなくても困らないようなものばかりよ。
まあ、作る方は楽でいいけど。」
たしかに、昨日は麻婆豆腐をリクエストした。おとといはペペロンチーノ。たしかに、バラエティーに乏しい。
「どれも美味しくて、すぐにでもお店を開けそうだよ。和洋中華どれも美味しいなんて、すごいよ。やってみたらいいんじゃない?
食材はすぐ手に入るし。
そういえば、この前、トリュフのクリームパスタをお願いしたじゃない。生ハムサラダと一緒にって。買い物を困らせようと思って頼んだわけではないけど。」
「そうね、あの時はちょっと驚いたけど。あと、少し高くついたわね。」
「でも、やっぱり目の前に食材のワゴンはあった。」
「そうなのよ、たまたまイタリンアンフェアとかで。ちょっと高めのものばかりだったから、少し高かった。それに、美味しそうな泡と白も買っちゃった。」
「ま、ありがちだけど。あの時は美味しかったね。まだ思い出す。
でも、逆に僕がそのメニューを頼まれたとしてもやっぱり出現したかな?イタリアンフェア。」
「そうじゃない?きっと。」
「・・・、ところで、それってカード使ってる?」
「もちろん、だってポイントがつくじゃない。あなたもでしょ?」
「もちろん、楽だし。ところで、わが家の食費って、最近どのぐらい?」
「そうね、もう子供達が出て行ったからずいぶん安くなっているわ。ただ、あのアプリで連絡を取ったのは単価が高くて、ちょっと控えなきゃって、思っているの。でも、」
「でも?やっぱり、欲しかったものが目の前にあったら、買っちゃうよね。カード使えるし。」
情報メジャーと称される企業が、検索や移動パターンからその人の嗜好、行動パターンを解析、把握し、それを利用することでさまざまな商品販売を行なっているということがテレビの情報番組で紹介されていた。
実際、スマホを開けたら、少し前に検索したことに関連したことが次々とバナー広告として表示される。というか、バナーどころかストレスなく目に飛び込んでくるようになってきている。つい買ってしまう、ということは今のところないが広告を開いて読むことがないとは言えない。
以前は、献立アプリを利用するのは控えがちだった妻も、お互いに使うようになってからというものだんだんと利用する頻度が高くなってきている。
単価が少し高いのはある意味”出前”のように食材の揃ったワゴンがすぐそこに出現するのだから仕方あるまい。同じものでも。コンビニで売っている方が、スーパーで売っているより高いのと同じだ。

あれ?

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第5話に続く

土砂降りでびしょびしょ

2019年06月11日 | 日々思うこと、考えること
今朝久しぶりに青空を見た。雲はたくさん残っているけど、それでも気持ちいい。たしか、土曜も雨だったはずだから、2、3日青空を見なかっただけで、気分も落ち込んでいた。
それにしても、昨日はずいぶんな大雨だった。普段なら大した距離とも思わないところを歩いたら、とんでもない、ズボンはもちろん、靴の中までびしょびしょになってしまった。
こんなこと、久しぶりだ。

今の職場は駅に近いので雨の中をびしょびしょになるまで歩くことはあまり無い。でも、思い起こすと、前の職場も、その前の職場も鉄道の駅からは不便な距離のところにあった。バスが嫌いということもあり、健康のためと朝晩雨の日も雪の日も歩いて30分近くを通っていた。あの頃も雨のたびにずいぶん濡れていたはずだけど、今よりも外歩きに慣れていたのだろうか、雨に対する感じ方も穏やかだったのかもしれない。
わずか2年であの頃のことを忘れてしまうのだから、人間の体の記憶なんていい加減なものだ。
青空は朝のうちだけらしいが、早起きしたことへのご褒美だと思って気持ちよく過ごすことにしよう。

あれこれ片付けよう

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私の周りのアジサイ

2019年06月10日 | ガーデニング・菜園・花・緑
鎌倉のアジサイといえば北鎌倉の明月院のアジサイが有名だけど、この季節いつも混んでいて、とても近づくことなどできず、北鎌倉駅に近づいただけで踵を返してしまう。恥ずかしながら、去年観たのが初めてだ(鎌倉アジサイ巡り - こんな気持ちでいられたら)。
明月院や極楽寺の成就院、最近知られてきた亀ケ谷とかでなくても、鎌倉には街角でもちょっとした崖とかあって、そんなところにアジサイがたくさん植わっていて、それらの美しさは有名どころに勝るとも劣らない。
そしてわが家の玄関へのアプローチにも数年来育てているアジサイが数株あって、最近ずいぶん大きくなってきた。
もともとの地面が狭いので、通路の上まで出てきてしまって今日のように雨が降ると葉についた水滴がズボンの裾についてしまうのだが、それはアジサイの季節なのだから仕方がないとあきらめなくてはいけない。
しばらくの間は、朝晩の家の出入りが楽しみだ。

裏山のアジサイも咲き始めた

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第60回臨床細胞学会@京王プラザホテル

2019年06月09日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日あたり、ゆっくり休みたかったけど、臨床細胞学会。今日が最終日なので、どうしても出席しなくてはいけない。午後から子宮頸癌についての教育セッションがあるので、それを目指して出かけた。午前中は家の模様替えの手伝。たまには手伝ってあげないと、妻が気の毒だ。

今年の総会は新宿なので、助かる。なんといっても湘南新宿ライン一本で行くことができる。およそ1時間。横須賀線が総武線とか東北線と繋がって、千葉や埼玉・北関東からのアクセスが良くなったのは、逆も真なりで、結果としては良かったと思う。路線を選べば、千葉、浦和・さいたま、宇都宮まで乗り換えなしで行くことができる(実際のところ宇都宮は新幹線を使うが・・・)。
ナイトとコロに留守番を任せて出かけてきた。
駅に向かうが、梅雨時だというのに、観光客がものすごく多い。紫陽花の季節となってある意味増えているのだろう。
それにしてもこの街、それほど観光客に対応できるほどのキャパシティはないと最近思い始めているが、この先どうなってしまうのか。
細胞診専門医会というの参加して、終ってからは先輩とお疲れ様のビールでいっぱい。大して疲れていないけど、一仕事したことにはなるのでやっぱり美味しい。
ちょっと飲みすぎの気があったけど楽しく飲んだ。
帰りも湘南新宿ラインと思っていたけど、別のところで飲んだので、ルートがかわってしまったが、無事帰宅した。

来週はいそがしい

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横須賀線の25/130年

2019年06月08日 | 通勤・交通・旅行
JR横須賀線は今年で開業130年だそうだ。私が鎌倉に住むようになってから25年なので、およそ2割。円グラフを頭に思い浮かべたらそれなりの面積にはなる。

開業は1889年で、初めは大船・鎌倉・逗子・横須賀の4駅。その後、順次駅がつくられた。私が利用し始めた頃にはすでに東戸塚(1980年開業)、西大井はあって(1986年開業)、新駅は武蔵小杉だけ(2010年開業)。南武線に乗り換えるのに新川崎から鹿島田まで歩いたのが懐かしい。

この先も職場が変わることがあっても、よほどのことがない限り鎌倉から居をどこかに移す気は無いので、横須賀線を使わなくなることはないだろうと思う。遠距離通勤はこのまま続けることになるので、定年まで日々使ったらトータルすれば私の人生の1割ぐらいが横須賀線とともにあった、ということになるかもしれない。
車窓から見える景色は日々変わっていく。もうすぐ、車両も新しいものに更新されるそうで、全てがロングシートになってしまうらしい。いろいろなものが、変わっていく。
残念なことは、横浜から武蔵小杉までの間の、かつて広大な車両基地があったところに建物が増えて富士山がほとんど見えなくなってしまったこと。
あと、ささやかに望んでいることは、横浜駅の工事が早く終わって使いやすくなってほしいということ。鎌倉駅前のロータリーももう少し綺麗にしてほしいが、これは島森の横のJRのホテルが開業したら変わるのだろう。

梅雨入りしましたね

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有楽町、柳の下に咲く紫陽花

2019年06月07日 | 電脳化社会
昨日書いた通り車内でキーボードの音が気になる人に睨まれて落ち込んだ。
実を言えば、今度のMacBook Airのキータッチの音については私自身少しばかり気にはなっていたのだ。だから、私が睨まれた理由がキータッチ音であることもすぐに気がついたとも言える。それでも、他の人に比べたらずいぶん気を使っていたつもりだった。
とにかく、往復4時間の人間としてはこの時間を仕事に使うことができなくなったりしたら死活問題だ。

さて、どうするか。
ブログの記事の更新だったらスマホでできるけど、原稿のチェックだとかメールのやり取りはスマホでは不十分。
iPadに取り替えたらどうだろうと思ったが、クラウドとのやりとりで通信料が高くなりそうだ。デスクトップ上で過去のファイルを開くということもできない。
問題は何か。

・・・キーボードだけ取り替えたらどうだろう。
音の出なキーボードを使えばいいわけで、ネットで早速探してみたら、”静音”キーボード、というのがたくさん出てきた。主に、職場などでのことのようだけど、キーボードの音で困っている人は少なくないようだ。
そこで、床屋に行くついでに、有楽町にある大手家電量販店で音の静かなキーボードを探したのだが、どれもサイズが大きい。それに静かといえば静かだがMacBook Airのそれとあまり変わらない。諦めるしかないかと思い始めていたら、いいのがあった。ちょっと値が張ったが、仕方ない。望みのものが手に入った。
ホッとして、街角を見ると柳の下に紫陽花が。鎌倉よりも咲くのが早いのだろうか。

 
早速、このキーボードをMacBook Airの上に載せて使うことにした。幸い、本体のキーは一段低く凹んでいので、このキーボードを押したことによる誤タッチは起こらない。

お店で確認しておいたとおり、キータッチの音はほとんどせず、ほぼ無音。マウスパッドはもともと音が小さいので、これは注意すればいいし、使用頻度も低い。これで何か文句を言ってくる人がいたら、それは電車内でPCをいじることに対する因縁だ。
ゲームで遊んだり、タブレットで動画をみたりしている人となんら変わらない。
人それぞれである。

犬も歩けば棒に当たる

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感じ方は人それぞれ・・・だから要注意

2019年06月06日 | 日々思うこと、考えること
先日、電車の中で、ノートPCをいじっていたら、ものすごい目で睨まれた。キーボードタッチの音がうるさかったのだろうと気がついて、慌ててPCの蓋を閉めた。もっと大きな音を立てている人もいるのになあ、なんて、心の中でぼやいてみたけど、その人にとっては私のこの音も気に障る大きさなのだろう。普段、周囲に対して、気をつけているつもりだったが、実は自分こそが迷惑をかける存在だったと気がついて落ち込んだ。気をつけなくてはいけない。
最近、多くの人がそれぞれの価値観を持っていること、そして、それを抑える必要がないと自覚し始めている。社会規範というものが、”社会”という総体の持つ考え方の一つに過ぎないもので、必ずしもそれに従うことはない。それぞれの人の価値観はいいとか悪いではなくて、それぞれの人固有のものであり、感じ方も人それぞれということになる。絶対的な価値観など存在しなくなっている。
私のことをうるさいと思った人にとってはうるさかったというだけの話だ。気をつけていたつもりだった私にはまだまだ配慮が欠けていた。周囲に対して配慮などする必要ないというのは大間違いだ。少なくとも、私は気をつける人間でいたい。それにこれまでに、同じような思いをしていた人は他にもいたに違いない。私自身は大いに反省しなくてはいけない。
ただ、電車の中で仕事ができなくなると、それは死活問題なので考えなくてはいけない。
ブログも書けなくなる

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「献立アプリ」 第3話・・・メキシカンフェアー

2019年06月05日 | 料理・グルメ
第2話からのつづき)
『今夜はなにが食べたい?』
ちょうど仕事場を出るところに、妻からそんな連絡がアプリで入った。また何かの食材の”注文”が入ったのかと思ったが、違った。こういうとき、以前は、「適当でいいよ」なんて返事をしていたこともあったけど、主婦が日々献立を考えることがいかに大変な仕事であるかが私も最近やっと分かってきたので、今では真剣に考えて返事をしている。結婚してからかれこれ20年、夕食だけで5000だか6000ものメニューを考えさせてきたのだから気がつかない方がどうかしている。
私もラインに、『タコスは?』
と、返事を入れた。
 
妻は食材を私に買わせたりしないようにと気を使ってくれているので、例の”アプリで欲しいものを連絡すると、その商品を売っているワゴンが出現するという不思議なシステム”を使うことはあまりしないでいる。
それでも、これまでに、ニンニク、シジミ、クレソン、ソーセージを買って欲しいという連絡があり、その都度ワゴンが出現してくれ、私はそれらの商品を何事もないかのように買い物し、事なきを得ている。ちなみに、犬のおやつのリクエストは一度きりだ。
その都合よく出現するワゴンが幻ではないのは、品物を買った後、その場所に歩いて戻ってみても、やっぱりそこあるという事で確認できた。でも、出勤時にはその場所にワゴンはあるものの、当然商品はまだ置いてない。どこかの時点で誰かが商品を持ってきて、並べるのだろうが、それをわざわざ確認するのは意味がない。第一、それが”切実に”必要でなければそのワゴンは出現しないのだ。
 
その不思議なワゴンで商品を売っていた人は、若い人も年寄りもいた。最初の生姜と油揚げとビールを売っていたのは、50がらみの小太りな女性だったし、犬のおやつを売っていたのは学生アルバイトのような明るい髪の毛の色の20ぐらいの女性だった。シジミは産地直送というだけあってか、たくさんのシワの刻まれた顔の、いかにも漁師という感じの初老の男性だった。
 
 
今夜の食事のメニューが何に決まったのかが気になったが、私としては「今夜のタコス!」と心の中で勝手に呟きながら家路についた。
 
 
アプリでリクエストしておいた通り、夕食はタコスだった。だが、いつもと味が違う。そもそも、具材を挟むタコシェルが違うのだ。
「あれ?今夜はいつもと違うのにしたの?」
「そう、やっぱりわかる?」
「まあ、そりゃわかるよ。でも、味は悪くはないから、いいよ。うん、美味しい。」
「そう?ならいいんだけど。新しいのにしてどうか、心配だったの。」
「ところで、これってどこで売っていたの?」
「それがね、偶然なんだけど、あの連絡入れたのがちょうど駅前だったんだけど、そうしたら、”メキシカンフェアー”っていうのをやっているお店があって。」
「ふーん、そうなんだ。でも、まああそこなら普段からこのタコス売ってるしね。」
「まあね。ちょっと安いからいいかなって思って買っちゃった。トマトもレタスも一緒に売っていたのよ。あと、アボカドも。」
「へえ、ビックリだね。まあ、でも味はやっぱりいつものがいいかな?」
「そうね、お試しで食べてみたけどやっぱりイマイチよね。今度はあっちにするわ。」
「これはこれで美味しいから、大丈夫。美味しくいただきましょう!」
私はそういいながら、妻のコップにビールを注いだ。
 
 

明日の献立は?

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第4話に続く


今日は書く気が起こらない

2019年06月04日 | 日々思うこと、考えること
このところ、大きな事件、事故が多すぎる。
昔もこんなにいろいろあったのだろうか?あったのかもしれないが、その内容についていくことがなかなか難しい。

そのうちのいくつかのことを取り上げて書き始めたのだけど、暗い気持ちになって途中でやめた。どれもこれもあまりにも絶望的なのだ。

途中でやめて、何か書きなおそうと思ってもその気力も失せた。
ということで、今日はもうこれ以上書けません。

週末には梅雨入り?

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病理医不足で私が考えなくてはいけないことは何か

2019年06月03日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
うーん、先週は疲れた。
働き方改革といったところで、仕事の総量が減るわけではない。
医師の数が足りているとはいえない状況の中で、医学部の定員を1割増やして医師を増やしているけど、それでも十分な数とはいえない。内科や外科、産婦人科といったメジャー科の医師数は足りていないし、地方での医師不足も解消されていない。
そして、もちろん病理医は一向に増えていない。
最近では、がん診療における病理医の役割がどんどん増えていて、仕事は増加の一途。
仕事の効率化は限界まできている。どう工夫したらいいだろう。

などと、文句を言っている年ではない。私もシニアとして、改善策を考えていかなくてはいけない。そして、不平不満を言ったところでいいことは何も無い。
 
病理医になってみようと思っている医学生、初期研修医がいたら、是非ご一考ください。

AIはどこまで頼れるか

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子供を育てるということ・・・2019年5月の読書記録

2019年06月02日 | 読書、映画、音楽、美術
子供を育てるということは、神様から授かった命をある一定の期間お預かりするということだ。だから、子供が幼い間は全力で守らなくてはいけない。子供を育てるということは、ある程度自分を犠牲にしなくてはいけない。子供を持つ前はそんな覚悟を持っている人などいないけれど、幼い命を目の前にしたらその命を全力で守る決心をする。
大人になったら社会に戻すのだけど、そのとき子供をどのような形で社会に送り出すかということも難しい。
異性と付き合うということ、結婚することよりも楽しいことが世の中に溢れている時代となり、晩婚化、非婚化はどんどん進行している。そういったことの先にある、子供を持って育てるということの意義も薄れつつある。
それでも、この本を本屋大賞に選んだ人も人の子。自分が受けた命をどう使うかは、おそれぞれの人の自由。私は私でこの命をこの先どのように使っていくのかを改めて考えてみたい。
5月の読書メーター
読んだ本の数:1
読んだページ数:372
ナイス数:54

【2019年本屋大賞 大賞】そして、バトンは渡された【2019年本屋大賞 大賞】そして、バトンは渡された感想
主人公の感情がフラットなのは愛情豊かな親によるものなのか、本人の元々のキャラクターなのかがわからなかった。後者とすれば担任の先生の心配するような事態がいつ起こっても仕方なかっただろうと思う。幸せになろうと思っている人が集まれば、みんなが幸せになる、そんな幸せな話を楽しむという素直な気持ちで読めば、自分も幸せになれる。そんな、幸せな物語。
読了日:05月28日 著者:瀬尾まいこ

読書メーター

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いったん帰る、のか、ちょっと仕事に行ってくる、か。

2019年06月01日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
家に帰ると、妻がいて、犬たちがいる。妻の手料理を食べ、犬の頭を撫でてやると僕は元気になる。
遠距離通勤の僕が平日家にいる時間というのはとても短い。目覚めて活動している時間は職場での方が長い。
仕事がギュウギュウ詰まっているときなどは、積み残しの症例を残して次の日に回すことになる。そういう時は、”いったん”家に帰る、という表現が似合う。
妻にしてみたら、僕は”仕事をしに出かけて行く”のであって、僕とは感覚が違うだろう。
仕事があるということには感謝しなくてはいけない。仕事そものがあることとともに、仕事をこなせるだけど健康と体力があることにも感謝する。周りを見渡せば”仕事”している人は、たくさんいる。ほとんどの人は、自分の職務に忠実で、質の高い作業を行なっている。僕も、その一人としてそうありたいと思う。
だから、家に帰ることがいったんなのか、仕事に行ってくる、のかは問題にはならない。仕事を持って働いている間、それらは連続したもので、オンオフというものはあってないようなものだ。オフタイムに体を休めることも仕事を続けるために大事だし、なんのために仕事をしているのか、ということを考えた時、僕自身のため、ということ。僕にとって家と職場はシームレスな存在で、どちらも自分の居場所だ。

今日もよく働きました

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