こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

最近、ちょっとFacebookが苦手

2020年06月15日 | 電脳化社会
夜中目が覚めるとつい枕元にあるスマホを手に取ってしまう。ブルーライトの刺激を受けたら、よけいに眠りにくくなるとはわかっているので、いったい何時なのかだけを見てすぐに伏せてしまえばいいのだけど、画面の向こうに何が書かれているのかと気になってしまい画面を開けてしまう。読んだところで、私を取り巻く世界が変わるわけではないし、朝になってからでも遅くはないのにわざわざgooとかYahooの新着ニュースを見たり、ブログやFacebookのチェックをしたりする。

ポータルサイトのニュースの見出しの8、9割は同じようなことで、ソースも同じ。ニュース以外の構成も似通っていて、すぐに飽きてしまう。ちなみにGoogleのニュースもあるが検索エンジンがニュースを並べること自体に違和感があり、こちらはあまり読まない。ブログは自分のブログへのアクセス数、フォローしているブログの新着記事をチェックする。更新されたのが数分前だったりすると、ああこの人、こんな夜中に、眠れないのかな、などと自分のことを棚に上げてブロ友さんを思いやる。

Facebookは新しい投稿があるとそのことが表示されるのでつい開くが最近やや開く回数が減っている。通勤時には開くことがあるが、すくなくとも夜中にわざわざ開けて読むようなことはしない。以前は多くの人が楽しいことを無邪気に載せていたが、新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大以降はそういった、生活を楽しむこと自体がはばかられる様になり、さらには自粛生活のせいで楽しいこと自体がなくなってしまった。他人を攻撃するコメントも増えていて、私も一度やられて閉口した。コロナ関連の投稿もその臨床病態がわかっていなかった頃の情報共有はうまくいっていたが、局面が公衆衛生学的な局面に移ってきてからは、公衆衛生を専門としない人を含めいろいろな意見が出てきて、投稿の取捨選択が億劫になってきた。私はこのブログで私なりにいい文章が書くことができた時に、”ブログを更新しました”と、こんきもの記事をアップすることがあったが、ブログとFacebookではそもそも立ち位置が違うし、読むほうもFacebook的なさらっとしたものがいいようで、あまり興味を持ってもらえなかった様で、最近ではそうすることもやめた。そんなわけでなんとなくFacebookは開かないし、開かない様にしている。そのせいで、後になって驚く様な投稿を知ることもないわけではないが、どれも私の生活や仕事を脅かす様なものではない。
ブログ、Facebookの他にもインスタ、ツイッターにもアカウントは持っているが、そちらはほどんとみない。ツイッターなんて、夜中に開いてとんでもない議論に出くわしたらたまったものではない。SNSの世界でも住み分けがなされているのだということだろう。ブログでも、Facebookの様に名前も顔も出している人はいるし、Facebookでも正体がほとんどわからない人もいる。これはツイッターでも同じ様なものだろう。私は、まあまあゆるゆるの立ち位置でいる。それはこのブログが自分自身の心のあり方、生き方を見つめていくためのものだということが基本的な立場であるためで、政治とか経済の素人が背景も知らずにつべこべ言うのを避けているせいでもある。
気温急上昇

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勘違いで締め切り2日前倒し

2020年06月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今朝も昨日と似た様な空。
父が亡くなってからの1週間はまったく目が回るようだった。その間、仕事関係のメールも何も目を通していなかったが、まだ、関係方面いずれも本調子には戻っていないようで、重大な遅れを生じることはなかった。

ところで、今年の病理学会総会はオンライン総会という史上初の形式をとることになったのは先日お知らせした(第109回日本病理学会総会)。やり方は、パワーポイントで作成したスライドを総会ホームページにアップロードするだけ。演説の予定だったのがポスターっぽくなってしまい、口八丁です乗り切れなくなり少し困った。だが、それ以上に困ったことが起きた。
大変なことに、昨日になって気がついたのだ。締め切りは17日(水)だと思っていたのだが、ホームページを開いたら実は15日(月)だった。それも正午。少し前から準備を進めていたものの、父のことがあってぱったり、何もストップしていた。週明けからやっても間に合うだろうと思っていたら、勘違いとはいえ締め切りが2日前倒し、これは大変とずいぶん慌てた。
おまけに、ログインのためのID、パスワードのメールをなくしてしまっていてわからない。ゴミ箱にも残っておらず、事務局に問い合わせのメールを出した。

運営事務局御中
> この度はお世話になりありがとうございます。
> 演題登録に際し、5月某日にお送りいただいたはずのメールをおそらく当方のミスで紛失してしまい、登録できないでいます。
> つきましては、再送いただけませんでしょうか?
> 一般口演〇〇 
> (演題番号) (演題名:)○×△疾患の病理診断
> コロ健ほか

> 締め切り直前の大変お忙しいところに申し訳ございませんがよろしくお願いします。
> なお、参加登録は済ませてあります。
> 〇〇病院病理 コロ健

と丁重なメールをだしたら、すぐに返事が来てことなきを得た。案ずるより産むが易し。どうせやらなくてはならないのならさっさとやってしまった方がいい。それにしても、土曜日でも対応してくれてありがたかった。それこそ締め切り直前だったからだろうか。私のようなおっちょこちょい、他にもいるに違いない。同じ様な方がいたら、今からでも遅くない、上記のメールをテンプレートにお使いください。
というわけで、それから頑張ろうと思ったら、今度は以前から準備していたファイルがない。これまたゴミ箱までひっくり返してみたが見つからない。いよいよ真っ青になった。”病理学会”で引っ掛けて、片っぱしから開いてみたら、なんとファイル名が”第108回病理学会発表スライド”となっていた。スライドの方も108回。いよいよ私も耄碌してきたかとあきれつつも、ホッとした。
思っていたよりもずっとできていなくて、青くなったが、今朝から頑張りなんとか仕上げ、先ほど無事登録。

これでゆっくり風呂に入れるし、明日は仕事に集中できる。
めでたしめでたし。
今夜は乾杯

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あの花、この花

2020年06月13日 | ガーデニング・菜園・花・緑
今年はいきなり梅雨らしい空模様となっている。数年前(2014年?)に気象庁が”梅雨入りしたと思われる”という、自信なげな言い方に変えたが、今年は素人目にもわかる堂々とした入梅だ。

さて、この時期は春の花がおわり、夏の花が咲くまでの花境期でもある(花境期 - 2013年6月4日)。私の好きなクチナシはまだで、さしものゼラニウムも元気がなくて一旦休憩。それでも色々と頑張っている花たちはいる。
紫陽花は、終ると色が変わり、上手くいってくれるとドライフラワーのようになる。
家庭菜園の花たちが元気だ。
ナスは先日2本収穫できた。これからの収穫が楽しみ。
キュウリもずいぶん太くて大きいのがとれた。ナイトが大好きだったな・・・。
プチトマトはお弁当に使えるので、結構丁寧に扱っている。
ルッコラは花も食べることができて◎。
コオロギがレタスの葉の下で雨宿りしていた。
ベビーリーフは良いペース

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縁を大切に、命を大切に

2020年06月12日 | 生き方について考える
人に限らず、生きとし生けるもの、生まれ落ちた時から縁がある。
人にとって親兄弟は切っても切れない存在で、互いのどちらかが生きている限り、互いを思いやる。その縁はやがて無数の縁につながり、自分を含め、世界中の人に良いこと悪いこと様々なことが次々無数に起こる。

なにが良いことで、なにが悪いことかなど、当の本人を含め誰にもわからない。どこかで時間を区切って、その時点での良し悪しを判定するのも一つの手ではあるだろうが、故人であれば受験の結果、就職先、結婚相手、役職などで判断したところで、どれもその時々の通過点、終着点もわからず何をもって良いか悪いかなどわからない。人生棺桶に入ったところでやっと終わるが、そうなってしまえば立派な葬儀も戒名もお墓も本人には関係なく、後はみな同じで、何も残らない。ただし、故人を弔うこと、墓参することは、残された人間の心の中に生きていてもらうためにしなくてはいけない。

人間かならず一度死ぬ(人生は一度きり、ならば楽しく生きていこう -2014年12月31日)。そのことを忘れてしまうから人間、欲が出て物事に執着する。この世に生まれた縁を大切にし、感謝してさえ生きていたら、人生の苦しみのほとんどは乗り越えることができるだろう。それは、死んだらチャラというわけではなく、犯罪に巻き込まれても受容しろというようなことでもない。病気、犯罪などは用心深く避けながら命を大切にして生きるのは、人生をより良いものとするためには必要なことだ。
つらいつらい、たいへんたいへんと思い、思ったことをむやみに口にしていたら、やがてはすべて現実のものとなる。生きていくうち出会うどれもこれも、経験することはすべては死ぬまでの過程の一つ一つに過ぎない。人様との縁を大切に迷惑かけず、敬意を払って生きることを心がけて生きていきたい。
執着せずに

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あっという間の1週間

2020年06月11日 | 家族のこと
父が亡くなったのが、先週の木曜日。1週間があっという間に過ぎた。
葬儀を無事済ませることができて本当に良かった。

忌引休暇は今日でおしまい。明日からの仕事の準備をしようと思っていたが、やることが残っていて、それどころではなかった。母も妻も私も疲れが出てきているが、やるべきことは早めにということで、いろいろやった。
私の白いポロシャツが写り込んでしまったが、上の絵は父の自慢の作品のひとつ。
この先、このような遺品の整理もでてくるのだろうが、それは四十九日を終えてからのこと。
さて、明日からは、たまった仕事をしなくてはいけないが、なによりWeb開催される病理学会の発表スライドを作らないといけない。今、改めてToDoリストを見たらもう締め切り直前。なかなか考えがまとまっておらず、これは、もう大ピンチだ。
さて、間に合うか。
今日、梅雨入り

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父のこと、父と私のこと

2020年06月10日 | 家族のこと
父が亡くなってから今日まで、涙はほとんど出なかった。ナイトが死んだ時はあれほど泣いてしまったのにこれは一体どういうことだろう。

父は四国の資産家の家に生まれ、画家になるか医者になるかを悩んだほど絵が上手だった。ピアノも上手なおぼっちゃまだった。ただ、生まれつき足が少し悪く、それは一生治らないものだった。戦後、家業が傾き経済的に苦労をしたそうだが、手に職をという祖母の勧めもあり、名門大学の医学部に進んだ。たしかに、継ぐべき家業が無くなってしまっては、そうするしかなかったろうし、画家になる夢も諦めざるを得なかったのだろう。インターンを終え、国内より給料がいいからとアメリカの病院で働く資格を取り、結婚してすぐに渡米した。先の大戦の戦勝国アメリカが日本を助けていた時代だった。
長男である私と弟は両親がアメリカにいる間に生まれた。弟は生まれてすぐにダウン症だと、父はわかったが、母には日本に帰ってくるまで話さなかったそうだ。私が小学生の頃妹が生まれた。生活のこともあり、父は帰国後市中病院に勤め、以来その病院に定年まで勤務し、定年後も顧問として関わっていた。テレビや新聞に引っ張りだこな時期もあったとても高名な臨床医だったが、ついに大学に戻ることはなかった。
とても穏やかな人で、夫婦喧嘩を見たことはない。
息子の私に口を出すこともほとんどなかったが、重要な局面で干渉し、私の人生を決定づけた。部活のこと、進路のこと、その二つについては、父が亡くなる少し前までわだかまりは残った。叱られた覚えは少ない。父の机に置いてあったタバコをくすねて吸った時に殴られたのと、大学で成績が振るわなかった時に怒られたことぐらいしか覚えていない。
それらはすべて、私への愛情からのものだった。
父が病気で伏せってから、どんどん弱っていくのを間近でみてきた。弱っていく父は、もうかつてのようなコンプレックスを持つべき対象ではなくなっていた。もう、父は私に意見することはなく、毎晩のように私の名前を呼んで母を困らせ、見舞いから帰る時には、「また、時間があったら帰りに寄ってね」と頼んでくるだけだった。もう、そこにかつての父の姿はなく、私は父を必要としない人間になっていた。
亡くなった父は私には何も話しかけてこなかった。
さよならお父さん

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心からのありがとう

2020年06月09日 | 家族のこと
告別式の最後、棺の蓋をする前の最後のお別れを告げる時、父にむかって、”ありがとう”という言葉が自然と出た。
直前まで、私は言葉を探していた。でも、”ありがとう”が出た瞬間、私の思いが父に届いたような気がした。
これまでにも色々書いてきたが、私は父によってやりたいことをいろいろ諦めさせられてきた。恨みに思ったこともなんどもあった。
でも、それらすべてが、父の私への愛情だったのだと、その時わかった。
とても、家族思いで、自らの人生を真っ正直に生きた父だった。

よりよく生きる

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東京で見る月、鎌倉で見る月、十七夜

2020年06月08日 | 鎌倉暮らし
父の通夜は無事終わり、鎌倉には真っ赤にライトアップされたレインボーブリッジ経由で戻った。
東京アラート発令中。
赤い橋の向こうには大きな月がのぼっていた。
今回、父の一度きりの葬儀、どのように執り行うか、ずいぶん悩んだが、”時節柄ご無理の無きよう”、”ご列席の際にはマスクの着用をお願いいたします”と訃報に書き入れた上で関係方面に知らせすることにした。
芳名録に記入する際に使うペンを使い回すのは、私が嫌だったので、皆さんそれぞれお持ち帰りいただいた(昨日、百均で買っておいた)。
残念ながら、精進落としの会食はしなかった。

鎌倉に帰りつき、ベランダから見上げると十七夜の月は大きく、そして静かに空に浮いていた。

十五夜から2日後の十七夜の月はかのうの月といって、月に祈ると願いがかなうそうだ。
父が無事あの世に旅立ってくれることと、新型コロナウイルス感染症が一日も早く収束してくれることを祈った。
明日、送ります

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入梅前の晴れ

2020年06月07日 | 家族のこと
昨晩、親戚一同で末期の水を父にあげた。その後湯灌の儀、納棺。
病院で亡くなれば、看護師さんが清拭をして送り出してくれるが家で亡くなるとなかなかそうもいかない。葬儀屋さんが父のことを綺麗にしてくれ、私たちも頭を洗ってあげた。

その後、東京は途轍もない雷雨に見舞われた。
猛烈な雷雨の中、東京の家を出、どうなることやらと心配しながら運転したが、神奈川に入ってしばらくたったら雨は止んだ。
止んだ、というか雨そのものが降らなかったようで、留守番をさせていたコロのことが心配だったが、大丈夫だったようだ。

今朝は少しもやが出ていたがやがて青空に。明日明後日はいよいよ葬儀だが幸い天気は良さそうだ。

今日は、葬儀に備えて最後の打ち合わせと父が借りていたベッド、手すりの回収の手伝い。父が借りていたものが手際よく回収されていった。
在宅で送ってあげることができたのは本当に良かった。
明日は少し休んでから

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スパゲティ ジェノベーゼソース

2020年06月06日 | 料理・グルメ
父が亡くなったからといって、お腹はすく。

夕食はパスタにしようと、家を出る前に、いつの間にか花がつき始めてしまったバジルを摘んでおいた。
帰ってきて、ニンニクと松の実とオリーブオイルをミキサーにかけて、ジュノベーゼソースを作った。パスタと和えて、パスタジュノベーゼ。
バジルの葉を添え、野菜サラダとで、夕食にした。

お線香の匂いがしみてきた

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父との56年6か月

2020年06月05日 | 家族のこと
昨日、父が亡くなった。

ここ数日容態が悪く、仕事帰りに顔を見に行っていた。昨夕も急いで行ったが、残念ながらその時には間に合わなかった。亡くなったという妻からのメッセージを受け取ったときとき、私はまだ山手線の中だった。その30分後父が待つ家についた。

父はもうすっかり眠っているようで、まだ温かかった胸を撫でながら、「お父さん、コロ健ですよ、来ましたよ。」と呼びかけたが、もう動かなかった。しばらくたって、在宅医療施設から、先生と看護師さんがやってきて、死亡を確認してくれ、死亡診断書を書いていただいた。

知らせを受けてから家に向かうまでの間、父との思い出を考えようとしたら、私が自分の56.5年の人生の中で一番長く付き合ってきたのが父だったという当たり前のことに気がついた。こんなことわかっていなかったのかと、思わず吹き出しそうになってしまった。そして、そのことがわかったのは父がいなくなったその日だった。

葬儀の打ち合わせをしたり、知り合いにおしらせしたり、お仏壇の周りをきれいにしたりとやっているうちにあっという間に1日が過ぎた。母も妻も私もへとへとで、あまり遅くならないように帰ってきた。
新しい生活様式の中で

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私がコロナにかかったら

2020年06月04日 | 自然災害・事故・感染症
昨日は新たな感染者が何人とか、有名人のだれそれが感染していたことが明らかになどという話を連日連夜目にしているが、どこかそれは他人事のようにして受け取っていないだろうか。うつさない、うつらない、などといっていながら、自分だけは大丈夫という、正常性バイアスに私こそが陥っているのではないだろうかと考えた。そこで、私が新型コロナウイルス(COVID-19)に感染したらどうするかということをシミュレーションしてみることにした。

(1)感染経路
新型コロナウイルス(COVID-19)に感染するとしたら、私の場合、通勤途中、病院そして週末の買い物のいずれかだ。今も目の前でゲホゲホやっているおじさんがいるし、規模が大きな病院なら患者さんがいてもおかしくない。それぞれ、感染確率はそれほど高くないが、社会のためにもしばらくの間、自分の行動は明らかにしておく必要があるだろう。それに、普段の行動内に出現しない人との接触はいつどこで起こるかわからない。
(2)発症
味覚、嗅覚異常、発熱などらしい。わかりやすいのは発熱だろう。倦怠感が続いて出てくるだろうから、そうなったらまずは勤めを休む。休んでいるのは怖いだろうな。熱が下がったところで、他の異常の有無を確認する。熱が下がらなかったら、帰国者・接触者相談センターに連絡して相談しよう。
(3)収容、入院
PCR検査なりがおこなわれ、感染が確定したら、自宅待機もしくは入院となる。そのあとのことは成り行きに任せるしかない。最初の5日程度がヤマとなるが、そこで軽快しても悪化しても最低2週間は身動きが取れなくなる。ひどくなる前に仕事の手当てをしておかなくてはいけない。なんといっても病理医は院内に一人しかいない。近隣の病院の病理の先生には私に何かあった時には助けてくれと伝えてあるので、急場は凌げるだろうが、入院加療が1ヶ月以上に及ぶようになったら困りものだ。腕の良し悪しは別として病理医の代わりはなかなかいないのがこの国の現状だ。
入院中は誰とも会えないから、さぞ、寂しいことだろう。
(4)軽快後
PCRで陰性が確認された後、病院は仕事に復帰させてくれるだろうから、職場では周りの人に恐怖を与えないよう注意しながら復帰したい。私がいない間に、誰かが発症したらそれは私からということだろうから、肩身は狭い。
(5)このブログ
問題となるのは、このブログだ。コロナにかかりましたからしばらくお休みしますというのもどうだろう。でもほかに書きようもないし。そんな時は、ああ、コロ健、かかってしまったか、と心の中で見舞ってください。

実際は、この数千倍のことが身の上に降りかかってくるだろうから、こんなことあんまり意味がないのかもしれない。ただ、死んでしまうこととは違ってコロナの場合は生きて戻ってくる可能性が高いから、戻ってからのことも考えておかなくてはいけない。まあ、入院中はやることがなくてあれこれ考えるだろうからわざわざ今考えなくてもいいのかもしれない。
私がコロナにかかっても

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東京アラート、関係する人しない人。

2020年06月03日 | 自然災害・事故・感染症
東京アラート(東京防災ホームページより)
  • 「東京アラート」は、都内の感染状況を都民の皆様に的確にお知らせし、警戒を呼び掛けるものです。
  • 都民の皆様は、不要不急の外出を控えるとともに、3密のリスクが高い場所には十分ご注意ください。
  • 手洗いの徹底とマスクの着用、ソーシャルディスタンスの確保、「3つの密」を避けた行動など、「新しい日常」を徹底して実践してください。
  • 事業者の皆さまには、都や各業界団体が策定するガイドライン等を踏まえて、適切な感染拡大防止対策の更なる徹底をお願いいたします。また、出勤に当たっては、テレワークや時差通勤の活用をお願いいたします。


昨晩、東京都内での新型コロナウイルス感染症患者が34人確認されたことなどを踏まえて、東京アラートが発動された。都庁やレインボウブリッジが真っ赤になっている異様な写真を見て救急車のサイレンを思い出した。東京アラートそのものは、きたる第二波に備え、住民の行動注意を促すためのもので、これでちょっと改善したら引っ込められ、また数値が悪くなったら出される。そういったことの繰り返しなので、普通に”新しい生活様式”で生活している人にはあまり関係ない。


感染が広がった元は院内感染を別とすれば、ほぼ夜の歓楽街のようだ。性行為感染症(STD) の場合、主に性器の上皮を介しての感染となるが、コロナウイルス感染症も上気道の上皮細胞を介してうつるので、人から人への感染であるという点では似たり寄ったりだ。いわゆる性行為を行わなくても、キスのような濃厚な接触、顔を極端に近づけての会話といったような行為をしたら容易に感染してしまう。
カウンター越しに話しただけで飛沫は口に入るし、店内でカラオケに興じても感染する。三密であればエアロゾル中のウイルスを吸うことになる。客はわざわざ感染するためにそういう店に行くようなものだし、店は店で売り上げのために感染症など度外視して濃厚なサービスをする。そういう店であっても、濃厚な接触をしなければいいのだが、客の衝動は抑えられないし、ルールを無視する店があれば他もそれに追随するしかない。

そういうお店で働く人も、そういうお店に客としていく人も、すべては自己責任ということだが、自らの無謀な行為が医療資源、ひいては税金の消費につながるという意識はない。医療崩壊回避のためには、その辺りのことを十分自覚してほしいが、色々な意味でそれは無理だろう。
そういうお店で働くしか生きるすべのない人というのがいる。金を払う客がいたら、そこに職があり、働く場がある。仕事の性質がどのようなものであっても、その人自身に本質的な意味で罪はない。罪深いひとであっても救われなくてはならない。

ただ、気の毒なのはそのその人たちの家族だ。独身者は別として、家族が感染したとなったらあれこれ詮索されて困る人は少なくないだろう。医療従事者ですらこれほど白い目で見られるのだから、夜の街でうつった人が家族内にいるなどとなったら、それこそ大変なことになる。
そういう商売をしている親が感染し入院してしまったため、その子供の行き場がなくなったということが問題になっている。母児同室というわけにもいかず、小児医療の場では対応に苦慮せざるを得ない。

それはそれだが、こういう感染拡大が起こっていくと、結局割を食うのは子供たちだ。やっと学校が再開されたと思ったら、ごく一部の遊び人のせいで感染拡大が広がり、また学校が閉じられるというようなことになりかねない。中学、高校生でもふらふら遊んでいるのは一握りだ。そんな遊んでいる同級生のために、インターハイも高校野球も中止になるなんて、気の毒としか言いようがない。将来設計すら変更を余儀なくされている。

どっと町に繰り出している、ごく少数の遊び人の方々は自分が感染拡大の元凶であるという認識を持って、まだまだ自重していただきたい。
といっても、無理だろうな

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Web会議、うまくこなせるようになりたいが

2020年06月02日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
医局で仕事をしていると、突然隣の先生の話声が聞こえてきておどろくことがある。顔を上げてみても、話し相手はいないし、PHSで話しているわけでもない。机上をチラ見するとモニターに何人もの顔が出ていて、Web会議中だということがわかる。やっとこの状況にも馴れて来たが、いまだに違和感を感じるのは電車内で携帯で喋っている人への思いと似たようなものだろうか。

Web会議をするにしても凝る人とそうでない人がいる。立派なヘッドセットを購入して使っている人もいれば、PCのカメラとマイクをそのまま使っている人もいる。それどころかカメラすら付いていないと言っている人もいて、画面にはその人の名前だけが表示されている。どうも、そういった先生には年配の方が多く、PCのカメラが目の前についていることがわかってないのではないかと思っている。私は、PCについているカメラをそのまま使っていて、会議前にはモニターに映る自分を見て、高さを調整したり、PCとの距離をとったり、背後におかしなものが映り込んでいないか気をつけている。幸い、病理の部屋を使うことができるので、先日登場した顕微鏡を背中にして座っている。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、テレビでも個別収録が常態化してきているようで、色々な芸能人や評論家、専門家が個別の部屋からカメラに向かって話している。なかには自宅からという人もいるが、背景に気を使わない人も少なくない。また、ヘッドセットを使っている人が少ないのは、そういうことを知らないからかもしれない。電波で流すのだから、テレビ局が機材を提供して質の高いものを流してほしいが、簡単に回収もできず、なかなかそうもいかないのか。
あと、多くの人が出ていると、喋るのがかぶってしまうこともある。みているとちゃんと人の話を聞くことができる人かどうかがよくわかる。意外なところでそれぞれのキャラクターが透けて見えてくる。これからはWeb上でどれだけ自分個人を魅力的に見せることができるかということも必要な芸力になってくるかもしれない。

私もWeb会議にもすこし馴れてきて、自分が喋らないときはこまめにミュートするとか気を使うこともできるようになってきた。こういったのは、会議の司会者が最初に説明してくれておけばすぐに適応できるのだが、わかってない司会者だと、全く駄目だ。がやがやしたまま進行して、よくわらかなくなる。誰かが教えてあげたらいいのだけど、偉い先生が司会者だとなかなか言えない。
私としては、自分が主催者となる自信はない。先日のCPCは院内のIT通の先生に手伝ってもらって乗り切ることができた。”マイク渡しますね”なんていう会話を聞いていても何のことだかよくわからない。まずは、カメラとヘッドセットを購入して、なんとなくイケてる感を出そうかと思っているが、いざとなるとどれがいいのかよくわからないし、”それゲーム仕様じゃない”なんて言われるようなものを買っては、目立ちすぎてかえってみっともない。結局のところ、それらのものを購入するのはこの状況が落ち着いて、ある程度評価が定まってからのことになりそうだ。
マスク、届きました

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雨季の始まり、学校の始まり

2020年06月01日 | 日々思うこと、考えること
昨日は結局1日ぐずついた天気だった、車で移動しているにはときどき雨に降られた。遅くなってからは本格的な雨だったようだ。今朝は雨こそ降ってはいなかったが、すっかり雨雲に覆われていた。通勤では外を歩く距離が微妙なので傘を持つか持たないか迷うことが多いのだが、今日は持って出た。帰宅時もパラパラ降っていたので、持って出て正解だったといえる。いよいよ6月、気持ちの良い季節はあっという間に終わり、ジメジメした雨季(梅雨)が始まる。

駅では市内の私立小学校の生徒たちが階段を降りてくるのとすれ違い、ほんのすこし前までこれが当たり前だったのだと思い出す。生徒たちがマスクをしているというのと、制服が冬服から夏服に変わっているのが、コロナ前後の違いか。電車内では中学、高校生もちらほら見るが、かたまっているのは目立たない。学年ごとに時差登校などをしているのだろうか。

このブログに新型コロナウイルスの言葉が初めて出たのは1月27日、その頃にはすでにマスクなどのPPE(Personal Protective Equipment;個人防護具)の不足がいわれ始めていて、院内でも対応策が練られ始めていたが、社会はまだ平穏だった。NHKののど自慢の予選が滞りなく行われたのは幸いだった。でも、2月に入ってから大きく変わった。研究会、学会のほとんどが中止、延期となり、その後Web開催などが模索されるようになった。あっという間の出来事で、ずっとぼんやり過ごしていたように思うが、ブログは毎日書いていたので、何かは考えていたのだろう。

運良く日本では目立った医療崩壊には至らず今日まで来ているが、それは一面であって、たとえば新人医師の教育が不十分な偏ったものとなっているのはある意味医療崩壊といえる。教育とは大変大事なもので、半年以上、学校が閉鎖されていたというのは由々しき事態だ。子供の教育というのは国力の維持・向上のためには必須のことであり、日本ももちろん国を挙げて教育に力を入れている。学校が再開されるのは喜ばしいことだが、この先、生徒同士の感染が頻繁に起こり、先生方は気苦労が絶えないだろうが、頑張っていただきたい。

今日が入学式という学校もあったようだ。おめでとうございます。
まずは教育

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