こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

床屋さんでのタバコ談義

2021年12月28日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
   寒さのせいで、庭の花たち、とくに鉢植えにしていた子たちがやられてしまった。ハンギングのパンジーも元気がない。昼間はいい天気となるらしいからシャキッとしてくれるだろうか。

 昨晩、仕事帰りに床屋に行った。少し伸びてきたなと思う程度で、普段ならあと十日ぐらい粘るが、年末年始をまたぐとぼさぼさになってしまうので、今年最後ということで遅い時間から切ってもらった。

 私がいつも任せている理容師さんは五つほど年上で人柄も腕もよく、気に入っていて、かれこれ五年ほど面倒を見てもらっているが、残念なことが一つある。タバコ飲みなのだ。昨晩も店に入ると少しタバコの匂いがした。髪の毛を切ってくれている間も指や髪の毛についたタールの匂いがただよってくる。髪の毛を洗い終える頃にはその匂いも弱くなるが昨日はなかなかしつこく残っていた。

 ハサミを当ててもらっている間、タバコの話をよくする。どちらが言い出したか忘れたが、昨日もタバコの話になった。

 タバコを吸うというのは、ニコチンの補給をして中毒症状を緩和しているだけだから、タバコを吸わなくても大丈夫、生きていけるという話をこれまで幾度も話してきたが、一向に止めようとしない。

 タバコさえなければ、というタバコにまつわる事件・事故、ちょっとしたエピソードというのはタバコ飲みそれぞれにある。以前は立派なニコチン中毒患者だった私にもここには書けないようなズッコケ話がいくらでもある。その理容師さんなど数年前に店の外でタバコを吸った後不注意で階段を踏み外して大怪我をしていた。昨日もその話が出たが、
 
 あのときも、タバコさえなければね、とはわかっているんですよ

 と、笑い話で終わらせてしまう。

 私のブロ友さんで、今回の大雪に見舞われている土地の方がいる。その方も”確固たる喫煙者”すなわちニコチン中毒からの離脱が困難なようだが、ブログに大雪の中、決死の思いでタバコを買いに行ったということを書いていた。無事帰宅されたからこそその顛末を面白く読ませていただけたが、タバコのために凍死なんてことにならず良かった。その記事を読んで、私が若いころひどい風邪をひいたときに動けず、親にたばこを買ってきてくれとも頼めず、シケモクをひたすら集めて吸い直していたのを思い出した。タバコさえなければそもそも風邪をこじらすことはなかったろうし、シケモクを吸ってみじめな思いをすることもなかったろう。思い出すと滑稽以外の何ものでもないが、あの時は必死だったし、その時の気持ちは今でもわかる。

 NHKの連続テレビ小説では太平洋戦争前後の、すなわち昭和時代が主になることが多い。それを観ていて思うのは、画面からタバコが消えているということで、灰皿すらほとんどみない。飲み屋の場面でもなんとなく靄がかかっている程度だ。あのころ、というか平成の始まる頃まで世の中では多くの人がタバコ片手に生活していたのだから、時代考証としては間違っているということになる。だが、そのうち、タバコというものに接することのない世代が社会の中心となっていったら、キセルもタバコも前世紀の遺物として歴史的な記憶に置き換わっていくに違いない。

 ちなみに、件の店は理容師さんが二人いて、二人揃って喫煙者だ。この場合、片方がタバコをやめるのは不可能に近い。店を出るときに、

 今年も残り五日、あと百本吸って終わりにしたらどうですか?

 と勧めたが、もう気持ちはタバコに向かっているようであまりまともに聞いちゃいない。

 次来るときは、タバコが要らなくなってるといいですね

 と言ったが期待せずにいる。

 人生にはタバコにまつわること以外にも面白いことはあるだろうし、人生の話題作りをわざわざタバコに委ねる必要もない。
別に止めろとは言ってない

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