NHKと政治を問う④ 制作現場の抵抗に期待~良心に従う番組作りを
戸崎 賢二(元NHKディレクター)
「従軍慰安婦は戦争地域にはどこにもあった」、秘密保護法は「これが必要だとの政府の説明だから、とりあえず受けて様子を見るしかない」など、政権に近い考え方を持つ人物が、膨大なニュース、番組を作り続けるNHKのトップに座ったとき、制作現場はどうなるだろうか。NHKを注視する市民にとって、これは目下最大の関心事である。
1月31日の衆院予算委員会で、籾井勝人NHK会長は、質問に答えて「NHKの放送番組の編集権は会長にあります」と答えた。
そのあと、「個人の考えを番組に反映させることはない」、と述べたが、欺隔的な発言Mである。会長が持つとされる放送番組の最終的な「編集権」に、会長個人の考え方が反映しないなどとは誰も信じないであろう。
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「問われる戦時性暴力」番組改変で開かれた緊急会見=2005年1月18日、国会内
表に出ない判断
たとえば、仮に、日本軍「慰安婦」のような制度が、戦争地域にどこにもあった、というのなら、それが本当かどうか、証言や歴史研究の成果をもとに検証する番組を作りたいと、気骨あるディレクターやプロデューサーが企画したらどうだろう。特定の右翼政治家と同じ主張を持つ会長が認めるはずがないではないか。
実際には、会長から権限を分掌された放送総局長や局長ら幹部が判断するだろうが、その判断は会長の意向にそったものになるはずだ。こうした経過は決して表面には出ず、市民は監視できない。となれば、この特異な会長が職にとどまる間、現場の見識と抵抗が重い意味を持ってくる。
2001年の教育テレビ番組「問われる戦時性暴力」には、安倍晋三官房副長官(当時)ら右派政治家の圧力がかかり、NHK幹部がその意図を忖度(そんたく)して日本軍「慰安婦」証言を大幅に削除するなどした。
のちにこの事件を審議したBPO放送倫理検証委員会は、その「意見」(09年4月)の中で、「内部的自由」(現場制作者の思想信条の自由)の議論の必要性を強調している。
この番組では、「慰安婦」の真実を番組で伝えることが現場制作者の倫理であり良心だったが、「意見」は、こうした放送倫理を根拠に業務命令を拒否できるのか、という重大な問題を提起した。その上で、「通例、事業体の最終的な意志決定は、経営者や上司に属するとされているが、言論・報道・表現活動にかかわる組織において、そのまま当てはめることができるのか」という傾聴すべき疑問を提出している。
「編集権」に抗し
右翼が経営委員に任命され、政権寄りの人物が会長になる、というかつてない状況の中で、NHKにおける「内部的自由」の保障は、きわめて切実かつ緊急の課題にならざるを得ない。
そもそも「編集権」とは、戦後、民主化を求める新聞労働者を抑圧するために考え出された概念で、筆者は有害無益と考えている。放送法上にも「編集権」という語句はなく、ましてや会長が持つなどという規定はない。現場制作者は、ニュース担当であれ、番組担当であれ、取材した現実から学んで到達した認識をニュースや番組に結実させる。ここに揺るがぬ強さが生まれる。
今の政権も卑小なトップもいつかは退場するだろう。形式的な「編集権」などに屈せず、自らの良心にしたがって番組を作り続ける自覚を今こそ持ってほしい。この自覚は視聴者市民の知る権利に対する崇高な義務でもあるからだ。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2014年2月12日付掲載
実際に、番組を制作するスタッフたちが、良心に基づいて、不偏不党で、真実を伝え、問題点を検証する番組を作ることは、「編集権」なるもので制限できないはずだ。
上層部の圧力に屈せずに、番組を制作する気概が求められる。
戸崎 賢二(元NHKディレクター)
「従軍慰安婦は戦争地域にはどこにもあった」、秘密保護法は「これが必要だとの政府の説明だから、とりあえず受けて様子を見るしかない」など、政権に近い考え方を持つ人物が、膨大なニュース、番組を作り続けるNHKのトップに座ったとき、制作現場はどうなるだろうか。NHKを注視する市民にとって、これは目下最大の関心事である。
1月31日の衆院予算委員会で、籾井勝人NHK会長は、質問に答えて「NHKの放送番組の編集権は会長にあります」と答えた。
そのあと、「個人の考えを番組に反映させることはない」、と述べたが、欺隔的な発言Mである。会長が持つとされる放送番組の最終的な「編集権」に、会長個人の考え方が反映しないなどとは誰も信じないであろう。
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「問われる戦時性暴力」番組改変で開かれた緊急会見=2005年1月18日、国会内
表に出ない判断
たとえば、仮に、日本軍「慰安婦」のような制度が、戦争地域にどこにもあった、というのなら、それが本当かどうか、証言や歴史研究の成果をもとに検証する番組を作りたいと、気骨あるディレクターやプロデューサーが企画したらどうだろう。特定の右翼政治家と同じ主張を持つ会長が認めるはずがないではないか。
実際には、会長から権限を分掌された放送総局長や局長ら幹部が判断するだろうが、その判断は会長の意向にそったものになるはずだ。こうした経過は決して表面には出ず、市民は監視できない。となれば、この特異な会長が職にとどまる間、現場の見識と抵抗が重い意味を持ってくる。
2001年の教育テレビ番組「問われる戦時性暴力」には、安倍晋三官房副長官(当時)ら右派政治家の圧力がかかり、NHK幹部がその意図を忖度(そんたく)して日本軍「慰安婦」証言を大幅に削除するなどした。
のちにこの事件を審議したBPO放送倫理検証委員会は、その「意見」(09年4月)の中で、「内部的自由」(現場制作者の思想信条の自由)の議論の必要性を強調している。
この番組では、「慰安婦」の真実を番組で伝えることが現場制作者の倫理であり良心だったが、「意見」は、こうした放送倫理を根拠に業務命令を拒否できるのか、という重大な問題を提起した。その上で、「通例、事業体の最終的な意志決定は、経営者や上司に属するとされているが、言論・報道・表現活動にかかわる組織において、そのまま当てはめることができるのか」という傾聴すべき疑問を提出している。
「編集権」に抗し
右翼が経営委員に任命され、政権寄りの人物が会長になる、というかつてない状況の中で、NHKにおける「内部的自由」の保障は、きわめて切実かつ緊急の課題にならざるを得ない。
そもそも「編集権」とは、戦後、民主化を求める新聞労働者を抑圧するために考え出された概念で、筆者は有害無益と考えている。放送法上にも「編集権」という語句はなく、ましてや会長が持つなどという規定はない。現場制作者は、ニュース担当であれ、番組担当であれ、取材した現実から学んで到達した認識をニュースや番組に結実させる。ここに揺るがぬ強さが生まれる。
今の政権も卑小なトップもいつかは退場するだろう。形式的な「編集権」などに屈せず、自らの良心にしたがって番組を作り続ける自覚を今こそ持ってほしい。この自覚は視聴者市民の知る権利に対する崇高な義務でもあるからだ。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2014年2月12日付掲載
実際に、番組を制作するスタッフたちが、良心に基づいて、不偏不党で、真実を伝え、問題点を検証する番組を作ることは、「編集権」なるもので制限できないはずだ。
上層部の圧力に屈せずに、番組を制作する気概が求められる。