政権交代へ ミャンマー① 軍支配を覆した国民
「私たち国民すべては、国民民主連盟(NLD)が勝って本当に幸せです。本当かどうか実際に確かめに来ました」。テット・マー・ウィンさん(20、女性)は、NLD本部前で、喜びに満ちた表情で語りました。8日に行われたミャンマー議会選挙の開票作業が続く10日、NLD本部前では人々が集まり、勝利を祝いました。マウ・マウ・ロットさん(男性・50歳)も、「待ちに待ったNLDの政府ができる。私たちはそれを確信していた」といいます。
自由で公正に
15日には全議席がほぼ出そろい、NLDが上下連邦議会(664議席)の過半数を制して390議席に。50年以上におよぶ軍の支配を覆して新政権樹立への道を開きました。
「今回の選挙はわが国にとって、非常に重要」と語るのはヤンゴン大学国際関係学部のチョウ・チョウ・セイン教授(48)。「(1962年のクーデター以降)2012年の補選を除き、これまでは軍政下で実施された選挙だった。
今回、初めて民政移管後の全国選挙となり、自由で公正な条件のもとで選挙が行われた」と言います。
一方、11年に発足したテイン・セイン政権は文民政権とはいえ、旧軍政の影響を強く受け、選挙管理委員会も軍にかかわりのある人物から構成されるなど、軍政時代のような不正も一部で危ぶまれました。セイン教授は「軍政下で実施された選挙との最大の相違は、今回、国民が初めて選挙プロセスに加わったことだ」と指摘します。
総選挙で投票する女性=8日、ヤンゴン
共同して準備
今回、選挙管理委員会は市民組織と共同して選挙を準備しました。選管による公正な選挙のための「手引き」や「規範」作成に市民組織が積極的に関与しました。警察も治安確保のために既存の警察組織だけでなく、市民から「特別警察」を募りました。一部で治安の悪化により中止された選挙区もありましたが、多くの地域で公正で自由な選挙が実施された背景には、国際監視団の協力に加え、国民の選挙プロセスへの参加がありました。
選挙結果そのものも、軍の影響と支配を拒否する国民の意思を示すものでした。テイン・セイン政権も選挙を「民主化の里程標」と位置づけましたが、国民の多くには「軍政の継続」と映りました。アウン・サン・スー・チー党首らと1988年にNLD創立に加わったモウ・モウ・トゥ氏(79)は、「テイン・セイン政権はこの国を真に変革するつもりはなかったのではないか。非民主的憲法は存続し、経済発展の裏で土地を取り上げられた農民は国外に移住し、若者も劣悪な教育環境と失業のために移民労働者となった」とのべ、「人々は怒り、選挙で政権を変える意思を貫いた」と語りました。(ヤンゴン=松本眞志 写真も)(つづく)
【議会と大統領】
連邦議会は上院(民族代表院、224議席)と下院(国民代表院、440議席)で構成されます。それぞれ議席の4分の1は国軍司令官指名の軍人議席。議会が最高権力者の大統領(非議員も可)を選出します。上院民選議員団、下院民選議員団、両院軍人議員団がそれぞれ大統領候補を指名し、両院議員の全員投票で最多得票者が大統領となり、他の2人は自動的に副大統領になります。
現憲法は大統領の資格の一つとして、子どもが外国籍でないことを規定しているため、憲法改正がない限り、英国籍の息子を持つアウン・サン・スー・チー氏の大統領就任は不可能です。
また現憲法は、国軍司令官が内務相、国防相、国境相を指名するほか、非常事態の際には大統領が国軍司令官に全権を移譲するとしています。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年11月17日付掲載
今回の総選挙は、選挙の運営に市民組織も参加しての、名実ともに文民選挙。
連邦議会の4分の1は軍人が優先的に占めるというものですが、その中でも改革派のNLDが過半数を獲得した。つまり、選挙で選ばれた議席のうち3分の2以上をNLDが獲得した。圧倒的勝利です。
「私たち国民すべては、国民民主連盟(NLD)が勝って本当に幸せです。本当かどうか実際に確かめに来ました」。テット・マー・ウィンさん(20、女性)は、NLD本部前で、喜びに満ちた表情で語りました。8日に行われたミャンマー議会選挙の開票作業が続く10日、NLD本部前では人々が集まり、勝利を祝いました。マウ・マウ・ロットさん(男性・50歳)も、「待ちに待ったNLDの政府ができる。私たちはそれを確信していた」といいます。
自由で公正に
15日には全議席がほぼ出そろい、NLDが上下連邦議会(664議席)の過半数を制して390議席に。50年以上におよぶ軍の支配を覆して新政権樹立への道を開きました。
「今回の選挙はわが国にとって、非常に重要」と語るのはヤンゴン大学国際関係学部のチョウ・チョウ・セイン教授(48)。「(1962年のクーデター以降)2012年の補選を除き、これまでは軍政下で実施された選挙だった。
今回、初めて民政移管後の全国選挙となり、自由で公正な条件のもとで選挙が行われた」と言います。
一方、11年に発足したテイン・セイン政権は文民政権とはいえ、旧軍政の影響を強く受け、選挙管理委員会も軍にかかわりのある人物から構成されるなど、軍政時代のような不正も一部で危ぶまれました。セイン教授は「軍政下で実施された選挙との最大の相違は、今回、国民が初めて選挙プロセスに加わったことだ」と指摘します。
総選挙で投票する女性=8日、ヤンゴン
共同して準備
今回、選挙管理委員会は市民組織と共同して選挙を準備しました。選管による公正な選挙のための「手引き」や「規範」作成に市民組織が積極的に関与しました。警察も治安確保のために既存の警察組織だけでなく、市民から「特別警察」を募りました。一部で治安の悪化により中止された選挙区もありましたが、多くの地域で公正で自由な選挙が実施された背景には、国際監視団の協力に加え、国民の選挙プロセスへの参加がありました。
選挙結果そのものも、軍の影響と支配を拒否する国民の意思を示すものでした。テイン・セイン政権も選挙を「民主化の里程標」と位置づけましたが、国民の多くには「軍政の継続」と映りました。アウン・サン・スー・チー党首らと1988年にNLD創立に加わったモウ・モウ・トゥ氏(79)は、「テイン・セイン政権はこの国を真に変革するつもりはなかったのではないか。非民主的憲法は存続し、経済発展の裏で土地を取り上げられた農民は国外に移住し、若者も劣悪な教育環境と失業のために移民労働者となった」とのべ、「人々は怒り、選挙で政権を変える意思を貫いた」と語りました。(ヤンゴン=松本眞志 写真も)(つづく)
【議会と大統領】
連邦議会は上院(民族代表院、224議席)と下院(国民代表院、440議席)で構成されます。それぞれ議席の4分の1は国軍司令官指名の軍人議席。議会が最高権力者の大統領(非議員も可)を選出します。上院民選議員団、下院民選議員団、両院軍人議員団がそれぞれ大統領候補を指名し、両院議員の全員投票で最多得票者が大統領となり、他の2人は自動的に副大統領になります。
現憲法は大統領の資格の一つとして、子どもが外国籍でないことを規定しているため、憲法改正がない限り、英国籍の息子を持つアウン・サン・スー・チー氏の大統領就任は不可能です。
また現憲法は、国軍司令官が内務相、国防相、国境相を指名するほか、非常事態の際には大統領が国軍司令官に全権を移譲するとしています。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年11月17日付掲載
今回の総選挙は、選挙の運営に市民組織も参加しての、名実ともに文民選挙。
連邦議会の4分の1は軍人が優先的に占めるというものですが、その中でも改革派のNLDが過半数を獲得した。つまり、選挙で選ばれた議席のうち3分の2以上をNLDが獲得した。圧倒的勝利です。