立憲主義考⑦ 9条2項は生きている “新9条論”どうみる
一部識者やメディアから、自衛隊を憲法に位置づけ、集団的自衛権行使を禁じる明文規定を盛り込むなどの「憲法改定」が主張されています。「新9条論」と呼ばれています。戦争法が強行されたもとで立憲主義を「回復」し、「自衛隊の活動の野放図な拡大を防ぐ」という意図だとされています。
■運動の足場
この主張の色合いはさまざまですが、ポイントは憲法9条2項の“戦力不保持”規定の削除・改定にあります。その前提には、戦争法で9条2項は“死文化・空洞化”したという認識があります。
「戦争法反対」「憲法守れ」と掲げた安倍政権の暴走に対する空前のたたかいは、9条が主権者国民の中に深く息づいていることを示しました。
「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(昨年12月20日発足)の中野晃一上智大学教授(政治学)が、古い世代と、立ち上がった若い世代のたたかいを「敷布団と掛け布団」と例えたように、連綿と続く国民運動の力はいま、大きく広がっています。「だれの子どももころさせない」というママたちの叫びは、戦争全面否定の9条2項の精神を体現しています。やむことのない国民的批判が、戦争法発動の動きを制限しています。“2項削除論”はその足場を失わせることになります。
9条2項は、「個人の尊厳」を守るために国家の武装を否定して立憲主義を強化・発展させたものです(連載第3回、11日付)。9条2項を削除すれば、軍事的価値を「回復」して、自由の制約と結びつきます。2項を取り払うことで条文と実態の矛盾を「解消」すれば“立憲主義が「回復」する”というのは、あまりに立憲主義を薄めるものではないでしょうか。
戦争法は日米新ガイドライン(軍事協力の指針)の実行法であり、日米同盟の最新の到達点です(連載第5回、14日付)。自衛隊は、「専守防衛」に徹するといっても、日米同盟のもとで在日米軍が存在することによって、侵略へ協力することになり、諸外国からは信用されません(連載第6回、15日付)。立憲主義回復に向け、日米同盟の問題に正面から向き合うことが不可欠です。

「新9条論」を扱う新聞記事と書籍
■根本的対案
9条は「空文」となったのか―。
9条2項は自衛隊の存在によって「侵害」されると同時に、自衛隊を大きく制限してきました。“戦力不保持”規定があるからこそ、自衛隊は「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」とされ、集団的自衛権行使をはじめ海外での武力行使を禁じられたのです。
2項がある以上、政府は戦争法についても「従来の憲法解釈の範囲内」という制約と説明責任を負い続けます。逆に2項を削除してしまえば、自衛隊は軍隊となります。一定の明文の制約を設けても、日米同盟のもと軍隊として海外での諸活動が拡大する危険があります。
テロの拡大、新たな核開発の動き、実力による現状変更など、多くの不安定要因が世界に存在します。それらが武力によって決して解決できないこと、武力を使えば暴力の連鎖を引き起こすことが人類史的経験で明らかになっています。
「殺し合いをどうやってやめさせるか」が最大の課題となっています。いまこそ日本国憲法9条2項=武力によらない平和が、根本的対案として光を放つときではないでしょうか。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月16日付掲載
“戦力不保持”規定があるからこそ、自衛隊は「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」とされ、集団的自衛権行使をはじめ海外での武力行使を禁じられてきた。
戦争法で既成事実化したといって削除してしまっては、元も子もない。
一部識者やメディアから、自衛隊を憲法に位置づけ、集団的自衛権行使を禁じる明文規定を盛り込むなどの「憲法改定」が主張されています。「新9条論」と呼ばれています。戦争法が強行されたもとで立憲主義を「回復」し、「自衛隊の活動の野放図な拡大を防ぐ」という意図だとされています。
■運動の足場
この主張の色合いはさまざまですが、ポイントは憲法9条2項の“戦力不保持”規定の削除・改定にあります。その前提には、戦争法で9条2項は“死文化・空洞化”したという認識があります。
「戦争法反対」「憲法守れ」と掲げた安倍政権の暴走に対する空前のたたかいは、9条が主権者国民の中に深く息づいていることを示しました。
「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(昨年12月20日発足)の中野晃一上智大学教授(政治学)が、古い世代と、立ち上がった若い世代のたたかいを「敷布団と掛け布団」と例えたように、連綿と続く国民運動の力はいま、大きく広がっています。「だれの子どももころさせない」というママたちの叫びは、戦争全面否定の9条2項の精神を体現しています。やむことのない国民的批判が、戦争法発動の動きを制限しています。“2項削除論”はその足場を失わせることになります。
9条2項は、「個人の尊厳」を守るために国家の武装を否定して立憲主義を強化・発展させたものです(連載第3回、11日付)。9条2項を削除すれば、軍事的価値を「回復」して、自由の制約と結びつきます。2項を取り払うことで条文と実態の矛盾を「解消」すれば“立憲主義が「回復」する”というのは、あまりに立憲主義を薄めるものではないでしょうか。
戦争法は日米新ガイドライン(軍事協力の指針)の実行法であり、日米同盟の最新の到達点です(連載第5回、14日付)。自衛隊は、「専守防衛」に徹するといっても、日米同盟のもとで在日米軍が存在することによって、侵略へ協力することになり、諸外国からは信用されません(連載第6回、15日付)。立憲主義回復に向け、日米同盟の問題に正面から向き合うことが不可欠です。

「新9条論」を扱う新聞記事と書籍
■根本的対案
9条は「空文」となったのか―。
9条2項は自衛隊の存在によって「侵害」されると同時に、自衛隊を大きく制限してきました。“戦力不保持”規定があるからこそ、自衛隊は「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」とされ、集団的自衛権行使をはじめ海外での武力行使を禁じられたのです。
2項がある以上、政府は戦争法についても「従来の憲法解釈の範囲内」という制約と説明責任を負い続けます。逆に2項を削除してしまえば、自衛隊は軍隊となります。一定の明文の制約を設けても、日米同盟のもと軍隊として海外での諸活動が拡大する危険があります。
テロの拡大、新たな核開発の動き、実力による現状変更など、多くの不安定要因が世界に存在します。それらが武力によって決して解決できないこと、武力を使えば暴力の連鎖を引き起こすことが人類史的経験で明らかになっています。
「殺し合いをどうやってやめさせるか」が最大の課題となっています。いまこそ日本国憲法9条2項=武力によらない平和が、根本的対案として光を放つときではないでしょうか。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月16日付掲載
“戦力不保持”規定があるからこそ、自衛隊は「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」とされ、集団的自衛権行使をはじめ海外での武力行使を禁じられてきた。
戦争法で既成事実化したといって削除してしまっては、元も子もない。