軍事依存経済 武器生産再開の起源⑧ 安倍政権 陥った悪循環
1950~60年代に日本の財界がもくろんだ武器の輸出は結局、挫折しました。
経団連防衛生産委員会の『防衛生産委員会十年史』(64年)は、東南アジア諸国の対外支払い能力の不足や、日本の武器生産の未成熟を要因にあげました。同時に、最大の「輸出阻害要因」は「政治的問題」だったと指摘しました。世論が政治的な歯止めを生み出していたのです。
小松製作所の河合良成社長(当時)の発言が象徴的です。
「民衆は、私共を目して『死の商人』と呼び、銀行家は私共の事業に融資することを遅疑した」(『十年史』)
世論の圧力と国会の論議の中で67年、自民党政権も武器輸出を禁じた三原則を打ち出しました。防衛生産委員会の千賀鉄也事務局長(当時)によれば、このころ「兵器メーカーは、どちらかというと、二次防三次防など自衛隊を対象としての兵器生産に焦点を移していました」(エコノミスト編集部編『戦後産業史への証言三』)。
F35戦闘機(米空軍のホームページから)
市場拡大の欲求
しかし、日本の財界は武器輸出の選択肢を捨て去ってはいませんでした。『十年史』は、武器生産を担う民間企業が「死の商人」に転化していく論理を、自ら告白していました。
「自衛隊の平時の必要補給率だけを対象として防衛生産を考えると、民間企業としては経済的に成り立ちがたいものが現われてくる」
軍需企業には「小量多品種生産という困難が常につきまとい」、生産活動が「数ヶ月の(設備の)稼働でおわるため」に、「過剰設備や、時には遊休人員すら生じ」るなど、「経営上好ましくない事態がおこりがちであった」。
「もし海外に市場を求めることが出来れば、このような需要と経済単位との間の矛盾もある程度解決され、経済的なロス(無駄)も緩和されるであろう」
「市場の拡大」は「企業の本能的欲求とも称すべきものである」。
国内向けの少量生産では無駄が生じるから、海外に市場を求めるのは企業の本能だというのです。輸出した武器が破壊と殺りくをもたらすことへの自省は全くみられません。
武器が少量生産になりがちな背景には武器の特異な性格があります。『十年史』は、武器の「進歩が甚だ急速で総じて量産期間が短い」ことを強調しました。軍拡競争のシーソーゲームにより、相手の性能を上回ろうとして新たな武器が次々に開発されるためです。
武器が高性能になるほど設備も高度化し、開発費用は莫大になります。軍需企業や軍事力強化をめざす国家はますます武器市場の拡大を欲する、という悪循環に陥ります。
現代の武器生産は絵に描いたような軍拡競争の悪循環にはまり込んでいます。この悪循環に身を投じ、武器輸出禁止の原則を投げ捨てたのが安倍晋三政権です。安倍政権のもとで防衛省が定めた「防衛生産・技術基盤戦略」(2014年6月)は、武器輸出を解禁する理由を明記しました。
「技術革新や開発コスト高騰等により、欧米主要国においても一国で全ての防衛生産・技術基盤を維持・強化することは、資金的にも技術的にも困難となっており、航空機などについては、国際共同開発・生産が主流となっている」
「武器輸出三原則等の我が国の特有の事情により(共同生産に)乗り遅れ、我が国の技術は、最新鋭戦闘機やミサイル防衛システムなどの一部先端装備システム等において米国等に大きく劣後する状況となっている」
国際共同の流れに乗らなければ、高度化した武器を生産できないという主張です。
大量生産が可能
米国主導の国際共同生産の特徴は、すべての共同生産国が安定的な買い手になるうえ、共同生産に参加しないユーザー(使用者)国にも買わせることで、武器の大量生産を可能にする点にあります。日本が共同生産に参加する最新鋭戦闘機F35のユーザー国には、パレスチナへの空爆を繰り返すイスラエルも含まれています。紛争の火に油を注ぐ行為にほかなりません。
戦後、米国従属下で復活を遂げた日本の軍需産業が、あくなき利潤追求という資本の本性に従って固執してきた「死の商人」の論理を、安倍政権は丸のみしたのです。日本の武器輸出解禁は米国の積年の要求でもありました。日本の国家予算と高度先端技術を、いっそう大規模に自国の軍事戦略に活用できるようになるからです。
米国と日本の財界が共同で推し進めてきた日本の軍備増強と、日本国憲法の平和原則との衝突は、極限に達しています。
(連載「軍事依存経済」おわり)(この項は杉本恒如が担当)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年5月12日付掲載
武器の「少量生産」「開発期間が短い」デメリットを解消する手段は、多国籍で共同開発。
一国で使う武器は少なくても、数カ国まとめれば採算がとれるようになるってことですか。
1950~60年代に日本の財界がもくろんだ武器の輸出は結局、挫折しました。
経団連防衛生産委員会の『防衛生産委員会十年史』(64年)は、東南アジア諸国の対外支払い能力の不足や、日本の武器生産の未成熟を要因にあげました。同時に、最大の「輸出阻害要因」は「政治的問題」だったと指摘しました。世論が政治的な歯止めを生み出していたのです。
小松製作所の河合良成社長(当時)の発言が象徴的です。
「民衆は、私共を目して『死の商人』と呼び、銀行家は私共の事業に融資することを遅疑した」(『十年史』)
世論の圧力と国会の論議の中で67年、自民党政権も武器輸出を禁じた三原則を打ち出しました。防衛生産委員会の千賀鉄也事務局長(当時)によれば、このころ「兵器メーカーは、どちらかというと、二次防三次防など自衛隊を対象としての兵器生産に焦点を移していました」(エコノミスト編集部編『戦後産業史への証言三』)。
F35戦闘機(米空軍のホームページから)
市場拡大の欲求
しかし、日本の財界は武器輸出の選択肢を捨て去ってはいませんでした。『十年史』は、武器生産を担う民間企業が「死の商人」に転化していく論理を、自ら告白していました。
「自衛隊の平時の必要補給率だけを対象として防衛生産を考えると、民間企業としては経済的に成り立ちがたいものが現われてくる」
軍需企業には「小量多品種生産という困難が常につきまとい」、生産活動が「数ヶ月の(設備の)稼働でおわるため」に、「過剰設備や、時には遊休人員すら生じ」るなど、「経営上好ましくない事態がおこりがちであった」。
「もし海外に市場を求めることが出来れば、このような需要と経済単位との間の矛盾もある程度解決され、経済的なロス(無駄)も緩和されるであろう」
「市場の拡大」は「企業の本能的欲求とも称すべきものである」。
国内向けの少量生産では無駄が生じるから、海外に市場を求めるのは企業の本能だというのです。輸出した武器が破壊と殺りくをもたらすことへの自省は全くみられません。
武器が少量生産になりがちな背景には武器の特異な性格があります。『十年史』は、武器の「進歩が甚だ急速で総じて量産期間が短い」ことを強調しました。軍拡競争のシーソーゲームにより、相手の性能を上回ろうとして新たな武器が次々に開発されるためです。
武器が高性能になるほど設備も高度化し、開発費用は莫大になります。軍需企業や軍事力強化をめざす国家はますます武器市場の拡大を欲する、という悪循環に陥ります。
現代の武器生産は絵に描いたような軍拡競争の悪循環にはまり込んでいます。この悪循環に身を投じ、武器輸出禁止の原則を投げ捨てたのが安倍晋三政権です。安倍政権のもとで防衛省が定めた「防衛生産・技術基盤戦略」(2014年6月)は、武器輸出を解禁する理由を明記しました。
「技術革新や開発コスト高騰等により、欧米主要国においても一国で全ての防衛生産・技術基盤を維持・強化することは、資金的にも技術的にも困難となっており、航空機などについては、国際共同開発・生産が主流となっている」
「武器輸出三原則等の我が国の特有の事情により(共同生産に)乗り遅れ、我が国の技術は、最新鋭戦闘機やミサイル防衛システムなどの一部先端装備システム等において米国等に大きく劣後する状況となっている」
国際共同の流れに乗らなければ、高度化した武器を生産できないという主張です。
大量生産が可能
米国主導の国際共同生産の特徴は、すべての共同生産国が安定的な買い手になるうえ、共同生産に参加しないユーザー(使用者)国にも買わせることで、武器の大量生産を可能にする点にあります。日本が共同生産に参加する最新鋭戦闘機F35のユーザー国には、パレスチナへの空爆を繰り返すイスラエルも含まれています。紛争の火に油を注ぐ行為にほかなりません。
戦後、米国従属下で復活を遂げた日本の軍需産業が、あくなき利潤追求という資本の本性に従って固執してきた「死の商人」の論理を、安倍政権は丸のみしたのです。日本の武器輸出解禁は米国の積年の要求でもありました。日本の国家予算と高度先端技術を、いっそう大規模に自国の軍事戦略に活用できるようになるからです。
米国と日本の財界が共同で推し進めてきた日本の軍備増強と、日本国憲法の平和原則との衝突は、極限に達しています。
(連載「軍事依存経済」おわり)(この項は杉本恒如が担当)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年5月12日付掲載
武器の「少量生産」「開発期間が短い」デメリットを解消する手段は、多国籍で共同開発。
一国で使う武器は少なくても、数カ国まとめれば採算がとれるようになるってことですか。