島の未来築く「自治の原点」 島根・海士町 合併せず、持続可能な町づくり
日本海の隠岐諸島にある人口約2300人の小さな自治体、島根県海士町(あまちょう)。国から迫られた「合併」をせず、「自立」を選択したことを原点に、住民と行政が力を合わせて魅力あるまちづくりをめざす取り組みが注目されている同町を訪ねました。
(前野哲朗)
町の玄関口・菱浦港の近くの丘に立つ県立隠岐島前(どうぜん)高校。隠岐諸島・島前地域の3町村で唯一の高校です。山内道雄町長は3月の卒業式を振り返ります。
「生徒、家族、教職員、スタッフ、来賓の皆さんで体育館がいっぱいになり、よくここまできたなって、祝辞を述べながら涙がでたよ」
島根県海士町長・山内道雄さん=4月29日、海士町役場
島留学で魅力化
10年ほど前に同高校は、少子化の影響もあって入学者が激減し、廃校の危機に直面しました。2009年から同高校の「魅力化」にたずさわる豊田庄吾さん(43)は「廃校となれば人口減少はさらに加速します。島の未来に直結する問題でした」と話します。
島前3町村で、教職員、行政、住民らが議論を重ねて同高校「魅力化構想」を策定(08年)します。生徒を支援する公立塾を設置。
「島留学」として全国から生徒を募集し、住民は家族のようにサボートする「島親」となって協力しました。地域の魅力や課題を探求する授業も行っています。それから同高校への進学希望者は増加し、14年度から全学年で学級増。廃校の危機は脱しました。
3月の卒業式後、進学のために島を離れる多くの子どもたちは、山内町長にこう言いました。「いつか島に戻って恩返しがしたい」
海士町は2000年代前半、国から合併を迫られましたが「島は自ら守り、島の未来は自ら築く」と決め、合併せずに「自立の道」を選択。これが海士町の「自治の原点」と山内町長は強調します。
隠岐島前高校=4月28日、島根県海士町
産業再生に挑戦
行政と住民の知恵と工夫で地域資源を活用し、持続可能な島をつくるために第1次産業の再生に挑戦してきました。漁業は、不便な離島のために鮮度が落ちる問題を克服するため、町として凍結技術を導入して支援。農業では、ワイン産業化支援や、ミカン栽培を再生させる10年計画をたてて、町職員と農業者が相談しながら進めています。
都会などから移住するIターンの若者は04~15年で356世帯521人(定着率5割) となり、今や町人口の1割にのぼり、人口減少に歯止めをかけつつあります。さらにまちづくりの力となって活躍しています。
なぜひかれるのか―。大手自動車メーカーを辞めて9年前に海士町に移住した阿部裕志さん(38)。「みんなが幸せになる絵が描きにくい」社会に疑問を感じていたと言います。海士町と出会い「大量生産大量消費の社会から転換していくという町のビジョンに共感しました」と語ります。
島前高校「魅力化」に取り組む豊田さんもーターンです。「公立塾」の責任者を務める豊田さんは「良い教育をつくっていきたい。そして、人やお金が東京に一極集中する流れを変え、地方で暮らすことを選べる社会にしたい」と話しました。
住民が主体となって 島根大学名誉教授 保母武彦さん
海士町の地域づくりは全国のトップクラスです。その基礎にあるのは、「島は自分たちで守る」という「自治・自立」の精神に満ちた行政と住民の連携です。「地域づくりは人づくりから」と言われますが、海士町では「人づくり」で、住民が地域づくりの主体になってきています。この結果、人もカネも情報も集まってくる魅力の島がつくられてきたのです。海士町には大企業も先端産業もなく、あるのは海と農地と森林だけですが、Iターン者が押し寄せる魅力の島となったのです。
島の環境と資源を子や孫の世代に受け継ぐ、維持可能な水産業や隠岐牛の牧畜の発展も、行政と住民の連帯の結晶です。伝統的な農漁村の助け合い社会の中で、Iターンの若者たちも、人間性豊かな暮らしを始めています。そのカギは、「自治・自立」であり、温かい椙互扶助です。
安倍政権は、地方の財源も政策も国が「選択と集中」の権限を握り、副市長、副町長などに国家公務員を送り込むまでになっています。これは、アベノミクスへの利用からさらに進んで、戦争法と一体になった「銃後を固める地方創生」の危険が濃厚です。そのような政策方向は、憲法に基礎を置く地方自治をつぶすことにほかなりません。
海士町のIターン者のように、人間らしい生き方を求めて農山村への移住を望む若者が増えています。海士町の取り組みは、日本の将来のあるべき姿を問うていると思います。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年5月9日付掲載
「島留学」って発想いいですね。産業を呼び込むのではなく、元々ある産業を魅力化。Iターンが押し寄せる町。
日本海の隠岐諸島にある人口約2300人の小さな自治体、島根県海士町(あまちょう)。国から迫られた「合併」をせず、「自立」を選択したことを原点に、住民と行政が力を合わせて魅力あるまちづくりをめざす取り組みが注目されている同町を訪ねました。
(前野哲朗)
町の玄関口・菱浦港の近くの丘に立つ県立隠岐島前(どうぜん)高校。隠岐諸島・島前地域の3町村で唯一の高校です。山内道雄町長は3月の卒業式を振り返ります。
「生徒、家族、教職員、スタッフ、来賓の皆さんで体育館がいっぱいになり、よくここまできたなって、祝辞を述べながら涙がでたよ」
島根県海士町長・山内道雄さん=4月29日、海士町役場
島留学で魅力化
10年ほど前に同高校は、少子化の影響もあって入学者が激減し、廃校の危機に直面しました。2009年から同高校の「魅力化」にたずさわる豊田庄吾さん(43)は「廃校となれば人口減少はさらに加速します。島の未来に直結する問題でした」と話します。
島前3町村で、教職員、行政、住民らが議論を重ねて同高校「魅力化構想」を策定(08年)します。生徒を支援する公立塾を設置。
「島留学」として全国から生徒を募集し、住民は家族のようにサボートする「島親」となって協力しました。地域の魅力や課題を探求する授業も行っています。それから同高校への進学希望者は増加し、14年度から全学年で学級増。廃校の危機は脱しました。
3月の卒業式後、進学のために島を離れる多くの子どもたちは、山内町長にこう言いました。「いつか島に戻って恩返しがしたい」
海士町は2000年代前半、国から合併を迫られましたが「島は自ら守り、島の未来は自ら築く」と決め、合併せずに「自立の道」を選択。これが海士町の「自治の原点」と山内町長は強調します。
隠岐島前高校=4月28日、島根県海士町
産業再生に挑戦
行政と住民の知恵と工夫で地域資源を活用し、持続可能な島をつくるために第1次産業の再生に挑戦してきました。漁業は、不便な離島のために鮮度が落ちる問題を克服するため、町として凍結技術を導入して支援。農業では、ワイン産業化支援や、ミカン栽培を再生させる10年計画をたてて、町職員と農業者が相談しながら進めています。
都会などから移住するIターンの若者は04~15年で356世帯521人(定着率5割) となり、今や町人口の1割にのぼり、人口減少に歯止めをかけつつあります。さらにまちづくりの力となって活躍しています。
なぜひかれるのか―。大手自動車メーカーを辞めて9年前に海士町に移住した阿部裕志さん(38)。「みんなが幸せになる絵が描きにくい」社会に疑問を感じていたと言います。海士町と出会い「大量生産大量消費の社会から転換していくという町のビジョンに共感しました」と語ります。
島前高校「魅力化」に取り組む豊田さんもーターンです。「公立塾」の責任者を務める豊田さんは「良い教育をつくっていきたい。そして、人やお金が東京に一極集中する流れを変え、地方で暮らすことを選べる社会にしたい」と話しました。
住民が主体となって 島根大学名誉教授 保母武彦さん
海士町の地域づくりは全国のトップクラスです。その基礎にあるのは、「島は自分たちで守る」という「自治・自立」の精神に満ちた行政と住民の連携です。「地域づくりは人づくりから」と言われますが、海士町では「人づくり」で、住民が地域づくりの主体になってきています。この結果、人もカネも情報も集まってくる魅力の島がつくられてきたのです。海士町には大企業も先端産業もなく、あるのは海と農地と森林だけですが、Iターン者が押し寄せる魅力の島となったのです。
島の環境と資源を子や孫の世代に受け継ぐ、維持可能な水産業や隠岐牛の牧畜の発展も、行政と住民の連帯の結晶です。伝統的な農漁村の助け合い社会の中で、Iターンの若者たちも、人間性豊かな暮らしを始めています。そのカギは、「自治・自立」であり、温かい椙互扶助です。
安倍政権は、地方の財源も政策も国が「選択と集中」の権限を握り、副市長、副町長などに国家公務員を送り込むまでになっています。これは、アベノミクスへの利用からさらに進んで、戦争法と一体になった「銃後を固める地方創生」の危険が濃厚です。そのような政策方向は、憲法に基礎を置く地方自治をつぶすことにほかなりません。
海士町のIターン者のように、人間らしい生き方を求めて農山村への移住を望む若者が増えています。海士町の取り組みは、日本の将来のあるべき姿を問うていると思います。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年5月9日付掲載
「島留学」って発想いいですね。産業を呼び込むのではなく、元々ある産業を魅力化。Iターンが押し寄せる町。